ゾミア: 地域呼称が研究に与える影響
ゾミア (Zomia)は「地域研究 (Area studies)」上の概念である。アムステルダム大学のウィレム・ファン・シェンデル (Willem van Schendel)が2002年に論文:
Willem van Schendel, "Geographies of Knowing, Geographies of Ignorance: Jumping Scale in Southeast Asia", Environment and Planning D: Society and Space, Volume 20, Issue 6 (December 2002)
の中で提唱した。
地理的には,ヴェトナム北部,ラオス全土,タイ北部,ミャンマー北部,中国南部の山岳地帯,チベット,ブータン,ネパール,インド北東部を含む巨大なエリアを指す。研究者によってはこのエリアがより狭まったり,広がったりする。
この概念は,それまで,東アジア,東南アジア,南アジア,中央アジア,……というように地域ごとに分かれた研究集団において辺境としてバラバラに扱われてきていた領域を,ひとつの研究対象として取り上げるために生まれた。
ゾミアには約1億人の「マージナル」な人々,基本的には多様な少数民族が住む。ゾミアという概念は,東アジア,東南アジアといった通常の呼称を用いる地域研究では取りこぼされていた人々を研究するための新たな枠組みとなった。
ファン・シェンデルがゾミアを提唱した後,ジェイムズ・C・スコットをはじめとする多くの研究者たちがゾミアに引き付けられるようになった。
ゾミアという新概念が誕生したことも重要だが,もう一つ大事なことがファン・シェンデルの論文の冒頭4ページ半を割いて述べられている。
それは,地域呼称が研究に与える影響のことである。
地域に境界と呼称とを与えると,その地域を対象とする研究において,関心の中心と周辺とが生まれる。ファン・シェンデルは東南アジア地域研究を例に取り上げる:
"Southeast Asian studies appear to form a more multicentred mandala based on an alliance of three major provincial factions: the Indonesianists, the Thai experts, and the Vietnamologists (Weighing the Balance 2000, pages 17 - 20). The concerns of these groups dominate the field. They tolerate weaker factions at the peripheries, for example, those generating scholarly knowledge about lesser satrapies known as the Philippines, Laos, Malaysia, or Burma (Myanmar). And then there are the marches, the borderlands that separate the region from other world regions. In the case of Southeast Asia these are the liminal places referred to above: Northeast India,Yunnan, Sri Lanka, Madagascar, New Guinea, and so on." (Willem van Schendel, "Geographies of knowing, geographies of ignorance", Environment and Planning D: Society and Space, Volume 20, Issue 6, pp. 650 - 651)
つまり,東南アジア地域研究では,インドネシア,タイ,ヴェトナムに関する研究に重きが置かれる。フィリピン,ラオス,マレーシア,ミャンマーに関する研究は軽視され,インド東北部,雲南,スリランカ,マダガスカル,ニューギニアに関する研究は言わずもがなの状況に置かれる。
ところで,そもそも,東南アジアという呼称自体,それほど新しいものではない。ジャン・デルヴェールの『東南アジアの地理』にはこう書かれている:
「東南アジアという呼称は,最近アングロ・サクソンが用いた軍事的な表現である。つまり第二次世界大戦中に日本軍に占領されたインドシナ半島とマラヤ群島奪回のために,1943年に《東南アジアの指揮権》がマウントバッテン総督にゆだねられたさいに,その呼称がはじめて用いられた。」(ジャン・デルヴェール『東南アジアの地理』文庫クセジュ,白水社,1968年)
つまりは,(軍事的な理由があったとはいえ)恣意的に作られた地域呼称が,やがて研究者の思考の様式を規定し,研究の重要度の序列まで定めてしまう。その具体例が,東南アジア地域研究に見られた。また,そのカウンターパンチとしてゾミア概念が生まれた,というわけである。
| 固定リンク
「アカデミック」カテゴリの記事
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
- データ主導時代に抗して(2023.11.08)
- モンゴル語の"Л (L)"の発音(2022.11.18)
- 『学術出版の来た道』を読む(2021.12.10)
- Proton sea | 陽子の海(2021.06.03)
「東南アジア」カテゴリの記事
- 高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』(2023.05.05)
- 納豆が食べたくなる本|高野秀行『謎のアジア納豆』(2023.04.20)
- 「情動エンジニアリング」について考える本(2022.03.19)
- 東南アジアの現代史はこれで:『はじめての東南アジア政治』(2022.02.11)
- ミャンマーにてクーデター(2021.02.01)
コメント