カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』を読む
カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞したことで,近所の本屋には彼の作品の山ができている。
『わたしを離さないで』を読んで以来(参照),ご無沙汰だったのだが,今回,比較的最近の作と言える『忘れられた巨人』を読んでみた。
あらすじはこんな感じ:
アーサー王亡き後のブリテン島。ブリトン人とサクソン人との間には不穏な空気が漂っているものの,大きな争いは無く,両者はとりあえず共存している。
この島の住民はみな奇妙な病気に罹っている。様々な大事なことを忘れてしまう。いわば記憶の障害だ。人々はついこの間の事件や訪問者すら思い出せない。
そんな中,ブリトン人の老夫婦,アクセルとベアトリスは,顔すら思い出せない息子に会いに行こうと思い立ち,長年暮らした村を離れて旅を始める。旅の途上で,老夫婦は孤児の少年,サクソン人の戦士,アーサー王に仕えた老騎士らと出会い,行動を共にする。
老夫婦の旅はやがて老夫婦の運命のみならず,この島の未来をも左右しかねない出来事とつながっていくのだった……。
描かれるのはファンタジーの世界であり,鬼や怪鳥や龍,その他魑魅魍魎が跋扈する。だが巨人は登場しない。ではタイトルの「忘れられた巨人」とは一体何なのか?それは人々が忘れていた,非常に大事なことの比喩であるが,ネタバレになるのでここでは書かない。
この物語をより深く読もうとすれば,ブリテン島の古代史について少しばかり予備知識があると良い。英国史に詳しい人はわかると思うが,ブリトン人というのはブリテン島のケルト系先住民である。そして,サクソン人というのは世界史で習うアングロ・サクソン,つまりヨーロッパ大陸から渡ってきたゲルマン系民族のことである。アングロ・サクソン人たちはやがてブリトン人を支配し,ケルト文化を駆逐する。老夫婦はその滅ぼされる側の人々である。
この物語には多様なテーマが埋め込まれている,愛や人間性にとっての記憶の意義であったり,現代ヨーロッパにおける難民排斥の動きを想起させる民族対立であったり。
先年読んだ『わたしを離さないで』との共通点を見出そうとすれば,それは消えゆく人々の白鳥の歌,あるいは消えゆく人々への挽歌,ということではないだろうか。カズオ・イシグロが描く世界はいつも静謐さを湛えているのだが,その静謐さが保たれているからこそ,白鳥の歌は響き渡る。
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