甲斐徹郎『自分のためのエコロジー』を読む
だいぶ前,10年以上前に出た本だが,講習会のネタ探しに甲斐徹郎『自分のためのエコロジー』 (ちくまプリマー新書)を読んだ。
地球環境問題への取り組みを掛け声だけで終わらせないためには,この問題を他人事ではなく自分事にしなくてはいけない。
そのために著者が提案するのは,自分が得をするエコロジカルな取り組みである。
本書では,その取り組みの対象として住環境が選ばれている。住まいとその周りの環境を制御することで快適で地球に優しい暮らしを実現しようというのだ。
この本で面白いのは,利便性の他に豊かさという評価軸を持ってきていることである。
利便性は便利/不便という機能,つまりはテクノロジーに直結するようなわかりやすい評価軸である。
これに対して,本書では,関係性(孤立しているか共生しているかということ)の価値を豊かさという言葉で表し,豊かさによっても我々の住環境を評価している。
著者は住環境に対する考え方の枠組み,つまりパラダイムを次のように分類している:
(1)伝統的な集落における価値構造
○建物単体では不完全な住環境の制御を周辺環境(樹木,隣家等)の活用によって補う
○依存型共生
○「不便」だけど「豊か」
(2)現代都市における価値構造
○建物単体で十分な住環境制御ができるので,建物は周辺環境から隔絶している
○自立型孤立
○「便利」だけど「豊かじゃない」
(3)これからの価値構造
○建物単体に周辺環境も加えて住環境制御を行う
○自立型共生
○「便利さ」も「豊かさ」も
日本の伝統的な集落では木造の建物ばかりで,壁の断熱性能も悪く,隙間風も吹き込み,冷暖房をしても十分に快適な室内環境を作り出すことが出来なかった。そこで,近隣の家との境界に樹木を植え,風除けにしたり遮光したりして,集落全体で快適な住環境を作るように努力していた。これが(1)の伝統的な集落の姿である。住宅単体の不便さを,集落の関係性の豊かさによって解決する,という考え方が背景にある。
テクノロジーが発達してくると,丈夫で断熱性も高い住宅ができ,室内環境を完全にコントロールできるようになる。こうなると,集落というか地域の世帯同士の関係性というのは不要になる。それぞれの家庭はそれぞれの住宅を要塞化して閉じこもるわけである。これが(2)の現代都市の姿である。集落/地域の関係性を放棄し,住宅単体の便利さのみを追求するということである。
戦後,日本人は(2)の価値構造を良しとしてきた。しかし,住宅を要塞化してその中のみ快適にするというやり方は,住宅の周り,周辺環境に多大な負荷をあたえてしまう。例えば,夏場にエアコンで室内を快適に保とうとすれば,エアコンの室外機からは大量の熱が放出され,屋外の熱環境を悪化させる,というような具合。
そこで本書で提案されているのは(3)の価値構造への転換である。例えば,夏場に室内を快適にしようとすれば,エアコンに頼るだけが能じゃない。簾で遮光したり,ゴーヤを植えて緑のカーテンを作ったり,コミュニティで木を植えたり,といろいろな手を打つことができる。
だが,(3)の価値構造への転換は簡単ではないと思う人も多いはずである。現代社会というのは濃密な人間関係の否定から出発しているからである。
これに対して著者が示すのが,感情の関係性と利害の関係性を峻別するということである。自分の家にとって得なことが,隣家にとっても得なことであれば,感情を越えて,協力関係が成立する。2つの家の敷地の境界に木を植えることによって,両家の光熱費が下がるのであれば,その木を植えるべきだということである。
ここでタイトルの「自分のための」という語句が重要な意味を持っていることがわかる。自分のために良いことが,他者にとっても良いことであれば,自他が協力し合うことによって,より大きなスケールでメリットが生まれる,というわけである。
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