アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』を読む
昨年の秋に「水島司『グローバル・ヒストリー入門』を読む」という記事を書いた。
そのとき,ウォーラーステインの世界システム論すら「ユーロセントリズム(ヨーロッパ中心主義)」と批判し,これを乗り越えようとする動きがあることを紹介した。
その成果の一つがアンドレ・グンダー・フランク『リオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕』(山下範久訳,藤原書店,2000年)である。
ものすごく分厚い。640ページある。
著者は執筆の目論見を次のように明確に語っており,清々しさすら感じる:
「本書において私は,既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論を『グローバル学』的 (globological)パースペクティブを用いて転覆しようと思う」(21ページ)
著者がこの本で主張していることは:
- 現状の世界システム(いわゆる「近代世界システム」や「資本主義世界システム」)はコロンブスの「新大陸発見」やヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰回航から始まっているわけではなく,もっともっと悠久の昔から連続して続いているものであること
- そして,世界システムに中心は無く,もし経済活動の中心地とでも言えるものがあるとすれば,それは千年以上に渡って東アジア,とくに中国であったということ
- さらに,ヨーロッパによるヘゲモニーなどと言うものはせいぜいここ200年ぐらいの一時的なものであること
等である。
いわゆる世界史では「大航海時代」以降,ヨーロッパ諸国の世界全体への進出が目覚ましく,ヨーロッパ中心の世界システムの中にヨーロッパ以外の地域が組み込まれていったという史観に基づいた記述が行われているが,本書はこれを完全に否定する:
「ヨーロッパは自力で経済的上昇を遂げたのではなく,また合理性,制度,企業家精神,技術,温暖な気候などといった――要するに,人種的な――いかなるヨーロッパ『例外主義』によるものではないことは確かである」(51ページ)
「代わって本書は,ヨーロッパがアメリカ産の貨幣を使って,どのようにアジアの生産,市場,交易に割り込み,そこから利益を引き出したか――つまり,世界経済におけるアジア経済の優越的な地位から利益を得ていたか――を示す。ヨーロッパは,アジアの背中をよじ登り,次いでアジアの肩の上に立ち上がったのである――だが,それは一時的なものなのだ」(52ページ)
ヨーロッパが自力で勃興したかのような見方を,アンドレ・グンダー・フランクは次の端的な言葉で否定する:
「ヨーロッパはアメリカのお金を使ってアジア列車に乗る切符を買ったのだ」(36ページ)
アンドレ・グンダー・フランクによれば,「ユーロセントリズム(ヨーロッパ中心主義)」的な史観が現れたのは19世紀である。社会科学分野の学者は「ヨーロッパはなぜ特別なのか」という設問の答えを探した。マルクスにとっては,ヨーロッパだけに「資本主義的生産様式」が生まれたことが答えであり,ウェーバーにとっては「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が答えだった。
しかし,ヨーロッパを特別視する設問自体が間違っている。19世紀以前はヨーロッパ人はアジアに対して高い評価を加えていた。例えば,18世紀の思想家・経済学者アダム・スミスは「中国は,ヨーロッパのどの部分よりもずっと豊かな国である」と評価していた。
いま,グローバル・ヒストリーという概念が普及し,ユーロセントリズムは終焉を迎えようとしている。"reOrient"という書名は「アジア再評価」と「方向修正」というダブルミーニングで付けられた。本書の狙いを一言で表すキャッチ―なネーミングだ。
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