« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

2018.02.28

小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』を読む

さて,2月も終わりである。

昨年夏に買って,うちの本棚に鎮座していた『プレヴェール詩集』(小笠原豊樹訳,岩波文庫)をパラパラとめくっているのだが,どの詩も面白い。

『天井桟敷の人々』の脚本家であり,シャンソン『枯れ葉』の作詞家でもあるジャック・プレヴェールは優れた詩人でもある。

映画『パターソン』(参照)で,終わりごろに登場した日本人の詩人(演ずるは永瀬正敏)が,詩を訳すのはナンセンスだとか言っていたと思う。

しかし,小笠原豊樹によるプレヴェールの詩の訳は,それはそれで優れたものに生まれ変わっていると思う(残念ながら老生はフランス語ができないので,もとの詩の良さを堪能できない)。

例えばこれ,「はやくこないかな」

はやくこないかな しずかな一人ぐらし
はやくこないかな 楽しいお葬式

この冒頭の2行のあと,サスペンスとユーモアに満ちた30行あまりが続く。詩なのにドラマだ。

また,「猫と小鳥」も良い。最後の一行で

中途半端は一番良くない

と教訓めいた言葉で結んでいるが,そこに至るまでの二十数行で小鳥の悲劇,猫の後悔がギュッと凝縮して描かれている。これもドラマだ,数分間の。猫と小鳥もまた何らかの象徴なのだろうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.26

何かについて知りたかったら

「何かについて知りたかったら本を一冊書けばいい」(池澤夏樹)

昨晩,マームとジプシーによる演劇『みえるわ』で川上未映子の詩に触れたので,そういえば,昔の「ユリイカ」に詩が載っていたなぁとバックナンバーをあさってみたところ,2006年9月号に「少女はおしっこの不安を爆破,心はあせるわ」が載っていた。

ちなみにその号の特集は「理想の教科書」。

川上未映子(当時は「未映子」名義)による切れ目の少ない散文詩を読んだ後,今度は特集記事をずっと読みふけった。

そのうちの一つ,長谷川一による論考「なにかについて知りたかったら本を書けばいい」(ユリイカ2006年9月号145~154ページ)の中盤に引用されていたのが,冒頭の池澤夏樹の言葉である。

確かに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.25

YCAMで演劇鑑賞:マームとジプシー『みえるわ』

この日曜日,ツマとYCAMに出かけ,マームとジプシーによる演劇『みえるわ』を観てきた。

Sdsc_0954_2

川上未映子の詩をもとにした一人芝居。演出は藤田貴大,演ずるは青柳いづみ(参考)。

1月末から全国11会場を回っているらしいが,YCAMでは川上未映子の

「先端で,さすわ さされるわ そらええわ」
「治療,家の名はコスモス」
「水瓶」

の3つが演じられた。

アンティーク調の家具で飾られた若い女性の部屋らしき空間で,青柳がヒグチユウコらがデザインした衣装をまとい,川上未映子の詩を諳んじていく。そのうちに徐々に憑依され,エキセントリックさを増していくかのような感じが良かった。

詩の表現と青柳の声質・語り口が見事に調和している。

それにしてもあんな長い詩,よく覚えられたものだ。

ちなみに,3月2日からのYCAM爆音映画祭2018特別編の準備のために訪れていたらしいboid主宰・樋口泰人氏も会場にいた。山口でもこのYCAMの存在する一角だけ東京某所のようになっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石井遊佳『百年泥』を読む

ツマが芥川賞受賞作2作が掲載された「文藝春秋」2018年3月号を買ってきた。

とりあえず石井遊佳『百年泥』を読んでみた。

あらすじはこんな感じ:

借金返済のため,インド・チェンナイのIT企業に日本語教師として送り込まれた"私"。チェンナイに来て3か月半経ったところで,100年に一度と言われる大洪水に遭った。

洪水から三日目,ようやく水が引き,"私"は泥を踏みしめながら勤め先に向かう。勤め先に辿り着くためには,アダイヤール川に架かる橋を渡らなければならないのだが,橋の上は,水量を増した川を見物しようとする人々で大混雑していた。そして橋の上の歩道には洪水による泥の小山ができていた。

一世紀に渡って川底に蓄積されていた泥。これを"私"は百年泥と呼ぶ。

チェンナイの人々,そして"私"は,この百年泥の中から掘り出された記憶のかけらや懐かしい人々に再会するのだった。

泥の中から過去の人々が現れたり,チェンナイのエリート層が翼を付けて飛翔して出勤したりと,およそ現実的ではないことが普通に書き込まれている。これはマジック・リアリズムの手法だ。エイモス・チュツオーラの『やし酒飲み』参照)や『薬草まじない』参照)を思い出した。

この小説,特筆すべきはその文体だろう。百年泥に相応しいねっとりした口語調の文体だ。

例えば,こんな感じだ:

急激に都市化したインドの街はどこもそうであるように,中学の地理で落ち武者ヘアーの社会科教師に「マドラス」と習ったこの街もまた信じがたいほど空気がひどい,だがこの騒々しく殺伐とした街のいたるところにただよう海の予感によって,それは多少やわらげられている。

もっと長い文もある:

土手へとつづく下の道路ぞいにならぶ工具店にペンキ屋,フルーツジュース屋,看板に<YAMAHA>と大きくジャパンブランドの書かれたバイク屋などの諸店舗はいまだ泥水の中,いつも露店のココナッツ売りがいたあたり,ぱん,と鉈で一撃した大ぶりの実のてっぺんにストローを挿しちゅうちゅう吸いあげる客たちがちらばってた樹下のへん,今はいちめんの茶色い水,その隣に公衆トイレのあったことは思い出さないようにしてたらふいに段差に蹴つまづきそうになる。

口語調だが口語ではない。計算された粘性の高い文章である。

「文藝春秋」2018年3月号の「選評」で山田詠美が「話すように書きながらも,書き言葉でないと成立しない文体の勝利」と評していたが,そうかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.22

後発途上国とロボット化

生産拠点は労働力の安い国に移転していくというのはこれまでの歴史の示してきた経験則である。

アパレルの世界でいえば,韓国・台湾・香港→タイ・インドネシア・マレーシア→中国というように生産の中心地が移動してきた。今は中国からさらにバングラデシュやカンボジアへと拠点が移動しつつある。

その流れがどうも変わりそうである。原因はロボット技術の進展。

こういう記事:

ロボット化進む縫製工場 勝者は米国、敗者は?」(The Wall Street Journal)

が出ているのだが,ロボット化によって,発展途上国,とくに後発途上国の人々が職を失うのではないかという恐れは前から出ていた。

数年前からハイテク分野でも米国における"リショア"が話題になっていた。

米国内でのコストが高いから,ということで,工場が米国から海外に移転,つまり"オフショア"していたのが,ロボット化によって流れが変わり始めたのである。テスラが電気自動車の生産のためにロボットをどんどん導入しているのは極端な例かもしれないが,象徴的ではある。

これまでは国際分業で,労働集約型産業は賃金の低い国に移動する,という仕組みができていたのだが,その時代は終わりそうである。

老生の予測では,多品種少量生産を低価格で実施できるようなマイクロファクトリーがいずれ登場する。そうすると,工業の「地産地消」化を図った方が国際分業よりもコスト安になる。先進国では,小さなローカルのコミュニティの中で物を作って消費するようになるわけである。

ロボット化によって新たな中世,工房の時代が始まるのではないかとある意味ワクワクしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今週かった漫画:『ファイブスター物語XIIII』と『乙嫁語り10』

出たら是非もなく買う漫画がある。小生には。

永野護『ファイブスター物語』と森薫『乙嫁語り』はその中に含まれる。この間までは『へうげもの』が入っていた。

この2月中旬,『ファイブスター物語 XIIII』と『乙嫁語り 10』が本屋に並んでいたので購入した。

『ファイブスター物語』では13巻から大幅に設定変更があり,モーターヘッド/MHゴティックメード/GTMになっちゃったわけである。マイトガーランドになったし。

それはそれとして魔導大戦は面白い。14巻で輝いているキャラは,ナルミ支隊長ツバンツヒだと思う。異論は認める。

『乙嫁語り』は10巻に達した。カルルクの武者修行の話も良いが,スメスさんことスミスと薄幸の美女タラスの再会が泣ける。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.21

仮想通貨/暗号通貨について伊藤穰一が語る

ちょっと前に「仮想通貨はポンジ・スキームのようなものになるとか―ある数学モデルによれば」という記事を訳知り顔で書いたが,MITメディアラボ所長の伊藤穰一がもっともっと含蓄のあることを語っていたのでご紹介:

仮想通貨とブロックチェーン、そしてICOの狂乱に思うこと」(by 伊藤穰一,WIRED)

前半では仮想通貨/暗号通貨の現状についての懸念が述べられている:

「わたしが最近のICOについて懸念しているのは,それが暗号通貨を取り囲むゴールドラッシュ的な空気にあおられたものであり,無責任な手法で実施されたことで個人に害を及ぼし,開発者と組織のエコシステムを損なっている点である。」
「すなわち,ICOと暗号通貨の関係は,トランプ大統領とアメリカの民主主義との関係に似ている。どちらも創設者が思い描いた姿からは,かけ離れているのだ。」

しかし,後半では日本の不動産バブルやドットコム・バブルなどを振り返り,未来への期待が語られている:

「インターネットの世界で最も成功した一連の巨大企業は,最初のバブルのあとにプロトコルやテクノロジーが成熟してから設立された。わたしはいま,鼻をつまんで目を細め,未来に思いを馳せている。そして、ICOの暴走が巻き起こしている砂嵐の向こう側にある山々に向かって,駆け出しているのだ。」

そうそう。ブロックチェーン≠仮想通貨である。アフター・ビットコインに思いをはせよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.20

山口~京都日帰り出張

京都へ日帰り出張に行ってきたわけである。

Sdsc_0958

新山口駅から新幹線「のぞみ」に乗り2時間半程度かけて移動したのだが,自由席車両は満員御礼で,座れはしたものの,混みあって,何か疲れた。

Sdsc_0955

京都駅からは市バス206系統に乗って某大学まで移動したのだが,今度はアジア各国からの観光客で超満員。バス停に泊まる度に乗降に時間がかかり,通常30分程度の道のりが50分もかかる有様。

それにしても京都市内は外国人(アジア系)観光客で埋め尽くされていて,本当に驚いた。

インバウンド客の増加に古都のインフラは対応しきれておらず,絶望的な感じ。

一仕事終えたところで,また京都市バス206系統で京都駅に戻る。またもやインバウンド客の到来で車内は絶望的な状況に。

京都駅であれこれお土産を購入して,ふたたび長い帰路に就いた。

Sdsc_0960

京都日帰り出張は本当に疲れる。飛行機が利用できる東京日帰り出張に比べると何倍も大変だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.18

アンドレ・グンダー・フランク『リオリエント』を読む

昨年の秋に「水島司『グローバル・ヒストリー入門』を読む」という記事を書いた。

そのとき,ウォーラーステインの世界システム論すら「ユーロセントリズム(ヨーロッパ中心主義)」と批判し,これを乗り越えようとする動きがあることを紹介した。

その成果の一つがアンドレ・グンダー・フランクリオリエント 〔アジア時代のグローバル・エコノミー〕』(山下範久訳,藤原書店,2000年)である。

ものすごく分厚い。640ページある。

著者は執筆の目論見を次のように明確に語っており,清々しさすら感じる:

「本書において私は,既存のヨーロッパ中心的な歴史叙述および社会理論を『グローバル学』的 (globological)パースペクティブを用いて転覆しようと思う」(21ページ)

著者がこの本で主張していることは:

  • 現状の世界システム(いわゆる「近代世界システム」や「資本主義世界システム」)はコロンブスの「新大陸発見」やヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰回航から始まっているわけではなく,もっともっと悠久の昔から連続して続いているものであること
  • そして,世界システムに中心は無く,もし経済活動の中心地とでも言えるものがあるとすれば,それは千年以上に渡って東アジア,とくに中国であったということ
  • さらに,ヨーロッパによるヘゲモニーなどと言うものはせいぜいここ200年ぐらいの一時的なものであること

等である。

いわゆる世界史では「大航海時代」以降,ヨーロッパ諸国の世界全体への進出が目覚ましく,ヨーロッパ中心の世界システムの中にヨーロッパ以外の地域が組み込まれていったという史観に基づいた記述が行われているが,本書はこれを完全に否定する:

「ヨーロッパは自力で経済的上昇を遂げたのではなく,また合理性,制度,企業家精神,技術,温暖な気候などといった――要するに,人種的な――いかなるヨーロッパ『例外主義』によるものではないことは確かである」(51ページ)
「代わって本書は,ヨーロッパがアメリカ産の貨幣を使って,どのようにアジアの生産,市場,交易に割り込み,そこから利益を引き出したか――つまり,世界経済におけるアジア経済の優越的な地位から利益を得ていたか――を示す。ヨーロッパは,アジアの背中をよじ登り,次いでアジアの肩の上に立ち上がったのである――だが,それは一時的なものなのだ」(52ページ)

ヨーロッパが自力で勃興したかのような見方を,アンドレ・グンダー・フランクは次の端的な言葉で否定する:

「ヨーロッパはアメリカのお金を使ってアジア列車に乗る切符を買ったのだ」(36ページ)


◆   ◆   ◆


アンドレ・グンダー・フランクによれば,「ユーロセントリズム(ヨーロッパ中心主義)」的な史観が現れたのは19世紀である。社会科学分野の学者は「ヨーロッパはなぜ特別なのか」という設問の答えを探した。マルクスにとっては,ヨーロッパだけに「資本主義的生産様式」が生まれたことが答えであり,ウェーバーにとっては「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が答えだった。

しかし,ヨーロッパを特別視する設問自体が間違っている。19世紀以前はヨーロッパ人はアジアに対して高い評価を加えていた。例えば,18世紀の思想家・経済学者アダム・スミスは「中国は,ヨーロッパのどの部分よりもずっと豊かな国である」と評価していた。

いま,グローバル・ヒストリーという概念が普及し,ユーロセントリズムは終焉を迎えようとしている。"reOrient"という書名は「アジア再評価」と「方向修正」というダブルミーニングで付けられた。本書の狙いを一言で表すキャッチ―なネーミングだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.13

宇宙食版お好み焼き

先日,母から宇宙食のお好み焼きを貰ったわけである。

パッケージはこんな感じ:

Sdsc_0941

そして中にはこんなものが入っていた。

Sdsc_0942

大きさの比較のため,100円玉も一緒に写真に撮った。

ボソボソした食べ物でずいぶんと水分を吸い取られたが,確かにお好み焼きの味。

大阪でよく食べた駄菓子,「満月ポン」を思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.12

男子モーグル金銀銅全部"ID one"

平昌オリンピックのスキー男子モーグルをずっと見ていた。原大智が銅メダルとったのは朗報だが,それにもまして驚いたのが,金銀銅すべての選手が"ID one"のスキー板を使用していたこと。

というか,決勝の段階で6人全員が"ID one"だったわけである。それまでは米有名メーカー"Hart"のスキー板の選手もいたのだが・・・。


"ID one"は大阪・守口のスポーツ用品メーカー「マテリアル・スポーツ」のブランドだが,この会社,社長を含めて4人だけでやっている。

この会社のことを取り上げたのが次の記事:

最強“スキー板”を履いた選手が獲得した金メダルは6個ーー社員4人のメーカー社長を直撃!

この記事の末尾に

「大阪発の最強スキー板が、平昌五輪では表彰台を独占するかもしれない。」

とあるが,その通りとなった。

「下町スキー」あるいは「下町モーグル」やね。

「下町●ブスレー」のことは触れないということで・・・・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヒグチユウコ『ボリス絵日記』を読む

今を時めく画家/絵本作家のヒグチユウコ

うちのツマのリクエストにより,広島の蔦屋家電で,『ボリス絵日記』と『せかいいちのねこ』を買った。

ボリス絵日記』はヒグチユウコの家の飼猫,ボリスを主人公とする4コマ漫画集である。

作者が得意とする緻密な画風から離れ,柔らかな線と淡い色使いによるほほえましい感じの絵柄となっているのだが,内容は凄まじくシュールで毒もたっぷりである。

猫漫画というと,通常,作者と猫の日常生活を描いたエッセイ的なものが多いのだが,これは,日常生活をはみ出てファンタジーやSF要素も混じっている。

ボリスと鳥(文鳥?)の淡い恋やパン屋「ナイスキャッツ」でのボリスの作業風景など軸となるストーリーはあるのだが,いずれも爆笑をさそう展開となっている。どうなっているんだ作者の頭,と思うこと必至。

残部少なくなっているようなので(蔦屋家電では小生が買ったのが最後の1冊だった),興味ある人は見かけたらすぐに入手するべき。


【2018年2月21日加筆】
うちのツマも『ボリス絵日記』についてツイート。そうしたらヒグチユウコ先生ご自身からのリツイートもあったりして,結構盛り上がっております:

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.09

2018年2月初旬の株価乱高下:両論入り乱れ

2018年2月に入って,株価が乱高下しております。

景気後退説と一時的な調整説の両論が入り乱れている状況:

【景気後退説】

【一時的調整説】

今並べた両論のうち,調整説は昨日までのもの。今日になって悲観的な見方が続々と登場している。

やはり,1度の暴落では調整説が根強いが,2度も暴落すると景気後退説が力を増すようである。

短期間ではどちらの説が正しいか結論は出まい。わかるのはずっと後のことだろう。

当面,市場は神経質な展開を見せることだろう。

「ゴルディロックス」とか「適温相場」とかいう単語が人口に膾炙するようになった時点で危なかったのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.08

仮想通貨はポンジ・スキームのようなものになるとか―ある数学モデルによれば

なんとなーく,そんな気がしていたが,数学モデルを使った検討結果が公表された:

"Bitcoin May Evolve Into What Everyone Fears, Mathematicians Say" (By Olga Kharif, ‎2018‎年‎2月‎7‎日, Bloomberg)

"Prices of cryptocurrencies such as Bitcoin may never stabilize, and digital tokens risk simply ending up being the equivalent of Ponzi schemes."

通常の通貨も,ある種の神話性を帯びている(ほかの人が受け取ってくれる筈という仮定(信用)の下で流通している)が,仮想通貨 (cryptocurrencies) は神話どころかフィクションの度合いが高い。

単に,「ほかの人が受け取ってくれる筈」という流動性の仮定(信用)にとどまらず,「将来,価値が上昇する」という見込みも加わっているからだ。

仮想通貨の価値は付随的な買い手(fringe buyers)の見込みで変動する。買い手が仮想通貨の価値上昇を見込めば,仮想通貨の価値は上昇し,買い手が恐怖を抱けば価値は下落する。それだけのことである。

それだけのこと,と言ったが,そこが大事でもある。仮想通貨の価値上昇・下落が重視されると,仮想通貨を所持・放出すること自体が重要になり,通貨の最も大事な機能である,流通は二の次となる。

2018年1月18日の朝日新聞「オピニオン&フォーラム」の欄に岩井克人へのインタビュー記事が載っていた。「デジタル通貨の行方 ビットコイン相場 投資資産そのもの 使用控える矛盾に」という記事だ。

岩井克人によれば,仮想通貨は過剰な価値を持ってしまったため,かえって流通せず貨幣としての機能を失ってしまったということである。

現時点ではその通りだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.07

スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』を読む(続)

病気というと治さなくてはいけないものというイメージがつきまとう。

しかし,自閉症(Autism)は治すものではなくて受け入れるものである。

本書を読んで自閉症に対する考え方はそのように大きく変わった。

本書では脳多様性(ニューロダイバーシティー)という,とても大事な言葉が登場する。

自閉症は神経学的な多様性の現れ方の一つである。多数派に対するマイノリティという意味ではLGBTと良く似た立場にある。

LGBTに属する人々の中からファッションや美術を牽引する人々が登場しているのにも似て,自閉症の人々から自然科学やコンピュータ業界に革新をもたらす人々が登場している。

高機能自閉症者であり,科学者であるテンプル・グランディンはこのように警告する:

「自閉症を遺伝子プールから完全に取り除こうと試みることは,数千年間にわたって文化や科学や技術革新を進歩させてきた才能を一掃することでもあり,人類の未来を危険にさらしかねない」(スティーブ・シルバーマン『自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実』,556ページ)

自閉症の発見者,ハンス・アスペルガー(1906~1980)は,当初からこのことを見抜いており,自閉症の子供たちを「小さな教授」と呼んで尊重していた。

アスペルガーの卓見は第二次世界大戦の暴風の中で忘れ去られた。戦後,自閉症研究の第一人者となったのはオーストリア系アメリカ人のレオ・カナー(1894~1981)だった。

本書ではレオ・カナーに始まる自閉症研究が70年にもわたって迷走し,自閉症者やその家族が翻弄され続けてきた歴史がつづられている。

脳多様性の概念が無かったころ,自閉症の子供を持つ親たちは,子供をいわゆる正常児に治そうと,様々な努力を払い,場合によっては怪しげな民間療法に走っていった。

その状況は徐々に改善される。1980年代にローナ・ウィングによってアスペルガーの業績が再発見され,「自閉症スペクトラム」という概念が生み出された。続いて,映画『レインマン』によって人々の間に自閉症についての理解が浸透した。そして,1990年代以降のインターネットの発達も一助となり,自閉症者自らが発言を始めたことによって自閉症も個性や才能の一つであることが認識され始めた。もちろん,今でも自閉症に対する誤解は続いており,道半ばという感じではあるが。


◆   ◆   ◆


本書は600ページを優に超える大著で,決して気楽に読める入門書ではない。

だが,オリバー・サックスが言う通り,

「包括的で,洞察力に富む自閉症の歴史書であり,読者を魅了する物語である。」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018.02.04

『風と光と波の幻想―アミターバ坂口安吾』は鳥居哲男文学の最高峰かもしれない

1月19日に新聞のサンヤツ広告で見かけて以来捜し歩いて,ついに丸善丸の内本店で入手したのが,これ,

風と光と波の幻想―アミターバ坂口安吾〈第1部〉』(開山堂出版)

である。

鳥居哲男の著書は,『清らの人』を読んで以来注目していて,『倍尺浮浪』や『折口信夫&穂積生萩 性を超えた愛のかたち』なども読んだ。どれもこれも読みやすく面白い。

折口信夫&穂積生萩 性を超えた愛のかたち』については,「やってくれたな!」と感嘆したものだが,今回の『風と光と波の幻想』には,それを上回る衝撃を受けた。

なにしろ,死んだ坂口安吾が時空を超えて全国各地を巡り,自分の生涯,自分の作品を振り返るという物語だからだ。

プロローグの末尾で坂口安吾はこんなことを言っている:

――よし,いまからオレはこの風と光と波に乗って,自分が生きてきた生涯を,もう一度たどる旅に出発しよう。何しろ,あっちこっち命がけだったものだから,冷静に自分がその時その時,どうだったかを,覚えてないものな。プレイバック,プレイバック!

そして,坂口安吾は長崎,佐賀,美濃,加賀,長岡,等々,ゆかりの土地を巡り始めるのだった。

こんな趣向,普通思いつきますかね?


◆   ◆   ◆


本書の最後,エピローグでは坂口安吾と著者が対話する驚きの展開がある。

これで思い出したのが,『清らの人』では著者の個人的体験と折口信夫に関する様々なエピソードとが巧みに組み合わされていたことである。これによって,『清らの人』は単なる折口の評伝ではなく,鳥居哲男という人の眼差しや思考プロセス,さらには人生の一部を浮き彫りにする文学作品となっていた。

本書も同じ。坂口安吾の生涯を辿りつつ,やはり鳥居哲男その人の眼差しや思考プロセスや読書体験を描いている。

先日,アレハンドロ・ホドロフスキーの『エンドレス・ポエトリー』を観てきた。これはホドロフスキーが自らの青春の日々をマジック・リアリズムの手法で描いた,もしくはリテイク(撮り直し)した作品である。

本書『風と光と波の幻想』もまた,マジック・リアリズムの手法に依って,第1義的には坂口安吾の生涯のリテイク,第2義的には鳥居哲男という人の読書体験の再整理を行っている作品であるように老生は思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »