瀬川拓郎『アイヌと縄文』を読む
最近,『ゴールデンカムイ』のような優れたエンターテイメント作品の登場によって,アイヌ文化に注目が集まっている。
それに受けて,ということではないが,ここ一週間ほど瀬川拓郎『アイヌと縄文 ――もうひとつの日本の歴史』(ちくま新書)を読んでいた。
考古学や遺伝学など最新の研究成果によれば,アイヌは縄文人の正当な末裔である。例えばハプロタイプに関する研究は,アイヌの多くが縄文系統とされるハプログループD1bに属していることを示している(ちなみに本州では青森県と静岡県の人々に多く見られる)。
本書を読むうえで重要なことは,進歩した農耕民の弥生人と遅れた狩猟・採集民の縄文人という単純化された二項対立の図式を捨てることである。縄文から続縄文,擦文と続きアイヌに至る人々は農耕を取り入れそこなった人々ではなく,縄文の伝統を守りながら交易のための狩猟に特化していった人々なのだということが,本書を読み進めていくうちに明らかになっていく。
古来,本州に住んでいた農耕民は権力の象徴として毛皮やオオワシの尾羽を必要とした。これを供給していたのは続縄文人―擦文人―アイヌたちである。続縄文人―擦文人―アイヌたちは毛皮やオオワシの尾羽を本州人に供給する一方で,玉や鉄器などを本州人から手に入れていた。両者は補完し合う関係にあったのである。
続縄文人―擦文人―アイヌたちは本州人,いわゆる和人によって追い詰められていった人々ではない,ということも本書の中で明らかになる。
例えば,東北では1世紀ごろまでは水稲栽培が行われていた。しかし寒冷化の進展により,同地の農耕民は減少,人口の希薄化が起こった。この人口希薄地帯に進出したのが,当時の北海道の人々,続縄文人である。つまり,本州では古墳時代と言われる時代のある時期には,続縄文人たちによる南下が起こっていたのである。
また,9世紀から15世紀にかけて,北海道の人々,すなわち擦文人―アイヌたちは道北,道東,千島,サハリンへと活動域を拡大していく。これは本州との交易用のサケやオオワシの尾羽の確保のためであるという。本書の一節を引用しよう:
「商品化する世界のなかで,擦文時代の人びとはもはや東アジアの辺境で孤立する縄文人ではありませんでした。かれらは富をもとめて商品生産の社会に転換し,他者の領域を侵していく道をあゆみだしました。さらに次のニブタニ時代を迎えると,かれらは北東アジア,日本,中国をつなぐ交易の円環のプレーヤーとして,大きく成長を遂げていくことになるのです。」(『アイヌと縄文』142頁)
ここでふと思い出したのが,渡辺京二『黒船前夜 ロシア・アイヌ・日本の三国志』である(参照)。この書名が如実に表しているように,アイヌというのは,北東アジアにおける重要なプレーヤーだったのである。
このように,逞しく生き,時には勢力の拡大もしていた続縄文人―擦文人―アイヌたちが守ろうとした縄文の伝統とは何か。それは,連帯と平等の原理であるという。アイヌの文化を知ることによって,我々は縄文以来の伝統思想,もう一つの日本の歴史に触れることができるのだ。
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