佐藤洋一郎『稲と米の民族誌』を読む
アジア各地に稲作は広がっているが、稲作文化は一つではない。品種も栽培方法も調理法も多様である。その多様な稲作文化を紹介しているのが本書『稲と米の民族誌』である。
著者は農学者。遺伝学の立場から稲の起源を求めて30年に渡ってアジア各地を調査してきた。
本書では各地の稲作・米食文化の紹介に多くの紙数を割きつつ,時折,著者の専門である,稲の起源を巡る論争にも触れる,という形で話が進んでいく。
いま,稲作・米食文化と言ったが、本書では「稲作景観」という言葉を用いて,稲作・米食文化を自然環境と併せて表現している。ここで「景観」とは「人間やその社会とその周囲を取り巻く自然を含む一体的な関係」のことである。
本書では,ブータン、シッキム、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、中国といった地域の稲作景観が紹介されている。老生の仕事先が多くカバーされているので、とても嬉しい。例えば,ラオスではもち米のおこわ「カオ・ニャオ」がとても美味しいのだが,「もち米の国,ラオス」のところでそれが紹介されている。該当部分を読むと,カオ・ニャオの味や触感が蘇ってくるのを感じる。
稲作と言っても,ジャポニカかインディカか,うるち米かもち米か,田植えをするか直播でいくか,畦に豆を植えるかどうか,等々,いろいろなパターンがある。
また,米食も,うるち米のご飯を炊いたり蒸したり,もち米をモチにしたりおこわにしたり,また,米を粉にしてライスペーパーを作ったり麺を作ったり,というようにバラエティに富んでいる。米粉の活用,ということではベトナムは群を抜いている。
米は酒造りにも使われる。ラオスでは「ラオラオ」,タイでは「メコン」というもち米由来の強い酒が造られる。
もち米は甘いスナック菓子を作るのにも用いられる。竹筒にもち米を入れ,緑豆,ココナッツミルクを加えて焼く「カオラム」がそれである。老生もラオスで食べたものである。
ということで,本書では多様で楽しい稲作・米食文化が紹介されている。
以前,「日本の農耕文化の起源:ニジェール河畔からのはるかな旅」という記事で紹介した中尾佐助は,佐々木高明と共に「照葉樹林文化論」を展開した。佐々木高明によれば,ブータンもまた照葉樹林文化の地域に含まれる。しかし,本書によれば,ブータンでは照葉樹林文化の重要な指標である,焼畑もモチ食も見られないとのことである。本書の記述は控えめであったが,ブータンを照葉樹林文化圏に含めるのは結構難しいように老生は思った。
稲の起源についても触れておこう。
かつては「アッサム―雲南地方」が稲作の起源地とされていた。ジャポニカとインディカという2大グループの共通起源がこの地域にあったという。先ほどの「照葉樹林文化論」と合わせて,この説は一世を風靡した。
しかしながら,その後の考古学や遺伝学の研究の蓄積により,ジャポニカは長江流域で生まれ,インディカはその後で熱帯のどこかで生まれた,という二元説が有力となった。この二元説の前半部分は「ジャポニカ長江起源説(参照)」と呼ばれ,本書の著者もその立場に立っている(その後,バイオインフォマティクスの発達によって,異説が登場。稲作起源論争は今もなお継続中とのこと)。
著者が「アッサム―雲南地方」起源説に与しないのは,同地方に近い地域での調査経験も踏まえてのことだろう。著者は上述したブータンの他,シッキムにも足を運んだ。この時,現地の稲作景観をつぶさに見て,稲作・米食文化の歴史の浅さを感じ取っている。「研究者が感覚に頼ってものをいうのは控えるべき」と断りつつも,体験によって著者は意を強くしたようである。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 小池正就『中国のデジタルイノベーション』を読む(2025.01.06)
- 紀蔚然『台北プライベートアイ』を読む(2024.09.20)
- 『ワープする宇宙』|松岡正剛に導かれて読んだ本(2024.08.23)
- Azureの勉強をする本(2024.07.11)
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
「東南アジア」カテゴリの記事
- 高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』(2023.05.05)
- 納豆が食べたくなる本|高野秀行『謎のアジア納豆』(2023.04.20)
- 「情動エンジニアリング」について考える本(2022.03.19)
- 東南アジアの現代史はこれで:『はじめての東南アジア政治』(2022.02.11)
- ミャンマーにてクーデター(2021.02.01)
コメント