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2017.08.16

終戦記念日に加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』を読む

先日,NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」を見た。

これを観た後,そういえば,8月15日以降,「大日本帝国」の領土だった各地で何が起こったのかについて書いた本があったなぁと思い出し,本棚をあさったところ,出てきたのがこれ,加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』(中公新書2015,2009年7月)である。

帝国版図のうち,いわゆる本土,つまり北海道・本州・四国・九州の4島では,8月15日以降,さしたる混乱もなく連合国軍進駐のプロセスが進んでいった。しかし,朝鮮,台湾,満洲,樺太,南洋群島といった各地では,戦闘の継続,政治的混乱等々,それぞれ異なった事態が進行し,現代にもつながる問題が生まれていくこととなった。

本書によれば,ポツダム宣言受諾のプロセスで,日本の指導層の念頭にあったのは,国体の護持のみであり,広大な「大日本帝国」の版図の隅々のことにまで頭は回っていなかった。本書ではこのように記されている:

「こうして,ポツダム宣言受諾による大日本帝国の敗北と解体は決定した。しかし,最後まで『国体護持』が争点となるなかで,『帝国臣民』についてとくに議論はなされなかった。このことが後になって帝国崩壊後の大きな問題へとつながっていくのである。」(本書47頁)

海外領土担当部署である大東亜省は,一応,アジア各地に終戦後の処置を指示していたが,このようなものだった:

「大東亜省は,ポツダム宣言受諾を伝えた暗号第715号の別電として暗号第716号によって具体的な指示を伝えた。そこには『居留民はでき得る限り,定着の方針を執る』とされていた。すなわち,大東亜省は現地定着方針による事実上の民間人の切り捨てを行ったのである。」(本書57頁)
「また,電信では同時に,朝鮮人と台湾人について『追て何らの指示あるまでは従来通りとし,虐待等の処置なき様留意す』とされていたが,『追て何らの指示』は結局この後も出されないまま彼らに対する保護責任は連合国側へ丸投げされた」(本書57頁)

この丸投げの一例が,朝鮮総督府の戦後処理であった。はじめは呂運亨率いる「朝鮮建国準備委員会」(建準)に事態収拾を依頼し,その後,朝鮮人指導者層の内紛が発生するのを見るや,「建準」を見限り,米軍にすべてを委ねることとなった。朝鮮人を当事者として加えないままの処理プロセスであった。

台湾の方は大きな混乱もなく,台湾総督府から中華民国(国民党政府)の台湾省行政長官公署への引継ぎが行われた。ただしこれも台湾人の自主的な参加を欠いたままの戦後処理であった。台湾人にとっては,統治者が日本人から外省人に交代しただけのことであり,自治は得られず,しかも統治者の質が劣化したという点ではより深い失望感を味わうこととなった。

本書では,もちろん満洲や樺太で起こった悲劇も詳述されている。いずれにしても,帝国版図の住民,つまり日本人のみならず,朝鮮人や台湾人や樺太の先住民を「帝国臣民」としておきながら,終戦工作の中で,あっさり切り捨ててしまうあたり,当時の指導層の無責任さには呆れるばかりである。

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