古賀峯一は慌てたのだろうか?
加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』(中公新書2015,2009年7月)の第5章「南洋群島・樺太――忘れられた『帝国』」を読んでいてちょっと気になったのが,次の記述である:
「南洋庁が置かれていたコロール島は,1944年3月30日の第1回目の米機動部隊による空襲で,港湾施設と艦船が被害を受けた。このときの空襲は,パラオ港に停泊する聯合艦隊を狙ったもので,古賀峯一聯合艦隊司令長官は,慌ててフィリピンのダバオに向けて飛行艇で飛び去ったものの,途中で遭難死してしまった。」(193~194頁)
古賀峯一長官の遭難死は「海軍乙事件」として知られている。Wikipediaの記述によれば,古賀長官の移動は司令部移動の予行演習を兼ねたものとされ,慌てたわけでなく,既定の方針だったような印象である。
『「大日本帝国」崩壊』の「慌てて…飛び去った」という記述は,嶋田海軍大臣が,古賀長官のパラオからの移動を前線からの逃走だと批判したことを踏まえてのことだろうと思う。古賀長官の死は「戦死」ではなく「殉職」の扱いだった。
ただし,当時,古賀長官と嶋田海相とが不仲だったことを踏まえると,古賀長官のパラオからの移動を「逃走」と捉える嶋田海相の判断にはかなりのバイアスがかかっているような気がする。真相はどっちなのだろうか?
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