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2017.08.31

ラオスの猫(続)

ラオスの勤め先に野良猫がいる,という記事を先日書いたが,その野良猫には親猫がいる。

今日は親子揃って魚の肉を食べていた:

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色が違うので親子なのだろうか?と疑問に思っていたのだが,周囲のラオス人の証言によると親子(父と息子)だそうです。

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2017.08.29

ヴィエンチャンのたこ焼き屋台

引き続き,ヴィエンチャン滞在中。

通勤途中,電気屋さんの前に,たこ焼き屋の屋台が出ているのを発見した。

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内陸国なので,タコは冷凍したものを輸入していると思われる。

あるいはカンボジア・プノンペンのイオンモールのように,具材がイカ,という可能性もあるか。

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2017.08.28

ヴィエンチャンは雨季だが晴れたら暑い

今,ヴィエンチャンは雨季だが,晴れたらとても暑い。

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だから,韓国系のパン屋,パリジャンカフェで体を冷ます。

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2017.08.27

インラック前首相の逃走経路

ラオスにおりますが,タイの話題。

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まずは前置き。

NHKの海外向け放送で「おんな城主直虎」を観ていたのだが,今日は気賀ジェノサイドだった。2週にわたって過酷な内容。

そのあともNHKを引き続きつけっぱなしにして仕事をしていたら,週刊こどもニュースか何かをやっていて,「微笑みの国タイ」とかいうテーマでなにやらタイの政治についてのお話が始まった。で,ワチュラロンコン国王やプミポン前国王の写真が出てきた途端に画面が真っ白になり

"Programing will return shortly"

という文字が出てそのままの状態に。これは多分,タイ当局による規制ですな。いまもまだ戒厳令下ですからね。

さて,ようやく本題。

8月25日に最高裁判所に出廷するとか言っていたインラック前首相だが,結局姿を見せず国外逃亡した模様。

バンコク週報の記事によれば,カンボジアとの国境に面するトラート県チャーン島からヘリコプターでカンボジアの首都プノンペンに脱出,プノンペンからさらに空路でシンガポールに逃げた模様。今頃はたぶん,タクシン兄貴のいるドバイにいることだろう。

ずいぶん簡単に国外逃亡しているが,ひょっとしたら厄介者払いということで,現政権も黙認していたのかも。

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2017.08.24

ラオスの野良猫

ラオスにも野良猫はいる。いっぱいいる。

だいたい痩せている。

ラオスの勤め先に居ついてしまった子猫がこれである。

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人懐こく,誰かが近くに来るとおなかを出して転がって見せる。

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2017.08.23

ラオスの街角,コーヒーの店

ラオスの街角の露店を撮影してみた。
日射が強すぎて色調がちょっと変だが。

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よーく見ると,「コーヒーの店」と日本語で書いてある。

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コンビニ"mpoint mart"とか両替店とか,日本人が寄りそうなところの近くで営業しているので,日本語の看板を出してみたのかもしれない。

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2017.08.22

(続×11)最近のおこま嬢

今月2回目のおこま情報。

ツマが送ってきたおこま嬢の寝姿・寝顔の写真を掲載いたします。

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2017.08.21

こういう樹木を見ると

スコールもそうだが,こういう気根だらけの樹木を見ると,東南アジアにいるという実感がより高まる。

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2017.08.20

ナンプー公園前にでっかい工事車両が来ている

昼頃,ナンプー公園の周りをぶらぶらしていたところ,ラオプラザホテルからナンプー公園を結ぶ通りに,通りを完全にふさぐほど巨大な工事車両が来ていた。

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いったいどんな工事が始まるのか?

この国はいつも普請中なのだ。

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2017.08.19

よくスコールに見舞われる

ヴィエンチャン3日目。

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毎日一回はスコールに見舞われる。
空を見上げて,どこかで稲光が見えたら,スコールの予兆。
さっさと屋内に移動する。
ドッと降り注いで,短時間で終わる。
気温が一気に下がる。

熱帯にいることを実感するひと時。

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2017.08.18

ヴィエンチャン到着

ラオスの首都,ヴィエンチャンに到着。

到着時の飛行機には結構日本人が乗っていた。日本とラオスを結ぶビジネスが増えているのか?

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ラオスの標準時は日本より2時間遅れている。

日本標準時通りに過ごすと,ラオスでは早起きの生活になるというマジック。

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2017.08.17

満洲棄民は1945年1月には決まっていた

これも,加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』(中公新書2015,2009年7月)を読んでの気づき。

同書第4章「重慶・新京――『連合国』中国の苦悩」を読むと,関東軍はソ連参戦を予期した持久戦計画を1945年1月17日までに策定していたということである。

その計画では満洲南東部と朝鮮北部の保持が優先され,満州の大半は放棄することが決まっていた。満洲の日本人の多くは保護対象から外れていたわけである。終戦の数か月前から棄民は既定路線だったということである。

こういう冷酷な計画を練るほどの関東軍だから,終戦時には冷徹に行動できたか,というと全然違う。ソ連軍の占領政策についての楽観的な見方が裏切られるや慌てはじめ,8月17日には満鉄の指揮権を満鉄総裁に丸投げ,また居留民保護を在満日本大使館に丸投げ,という無責任ぶりを発揮し,現地の混乱に拍車をかけた。

この点,支那派遣軍は腹が座っていて,張家口でソ連軍と交戦しつつ,同地の日本人4万人の脱出を成功させている。

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2017.08.16

古賀峯一は慌てたのだろうか?

加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』(中公新書2015,2009年7月)の第5章「南洋群島・樺太――忘れられた『帝国』」を読んでいてちょっと気になったのが,次の記述である:

「南洋庁が置かれていたコロール島は,1944年3月30日の第1回目の米機動部隊による空襲で,港湾施設と艦船が被害を受けた。このときの空襲は,パラオ港に停泊する聯合艦隊を狙ったもので,古賀峯一聯合艦隊司令長官は,慌ててフィリピンのダバオに向けて飛行艇で飛び去ったものの,途中で遭難死してしまった。」(193~194頁)

古賀峯一長官の遭難死は「海軍乙事件」として知られている。Wikipediaの記述によれば,古賀長官の移動は司令部移動の予行演習を兼ねたものとされ,慌てたわけでなく,既定の方針だったような印象である。

『「大日本帝国」崩壊』の「慌てて…飛び去った」という記述は,嶋田海軍大臣が,古賀長官のパラオからの移動を前線からの逃走だと批判したことを踏まえてのことだろうと思う。古賀長官の死は「戦死」ではなく「殉職」の扱いだった。

ただし,当時,古賀長官と嶋田海相とが不仲だったことを踏まえると,古賀長官のパラオからの移動を「逃走」と捉える嶋田海相の判断にはかなりのバイアスがかかっているような気がする。真相はどっちなのだろうか?

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終戦記念日に加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』を読む

先日,NHKスペシャル「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」を見た。

これを観た後,そういえば,8月15日以降,「大日本帝国」の領土だった各地で何が起こったのかについて書いた本があったなぁと思い出し,本棚をあさったところ,出てきたのがこれ,加藤聖文『「大日本帝国」崩壊』(中公新書2015,2009年7月)である。

帝国版図のうち,いわゆる本土,つまり北海道・本州・四国・九州の4島では,8月15日以降,さしたる混乱もなく連合国軍進駐のプロセスが進んでいった。しかし,朝鮮,台湾,満洲,樺太,南洋群島といった各地では,戦闘の継続,政治的混乱等々,それぞれ異なった事態が進行し,現代にもつながる問題が生まれていくこととなった。

本書によれば,ポツダム宣言受諾のプロセスで,日本の指導層の念頭にあったのは,国体の護持のみであり,広大な「大日本帝国」の版図の隅々のことにまで頭は回っていなかった。本書ではこのように記されている:

「こうして,ポツダム宣言受諾による大日本帝国の敗北と解体は決定した。しかし,最後まで『国体護持』が争点となるなかで,『帝国臣民』についてとくに議論はなされなかった。このことが後になって帝国崩壊後の大きな問題へとつながっていくのである。」(本書47頁)

海外領土担当部署である大東亜省は,一応,アジア各地に終戦後の処置を指示していたが,このようなものだった:

「大東亜省は,ポツダム宣言受諾を伝えた暗号第715号の別電として暗号第716号によって具体的な指示を伝えた。そこには『居留民はでき得る限り,定着の方針を執る』とされていた。すなわち,大東亜省は現地定着方針による事実上の民間人の切り捨てを行ったのである。」(本書57頁)
「また,電信では同時に,朝鮮人と台湾人について『追て何らの指示あるまでは従来通りとし,虐待等の処置なき様留意す』とされていたが,『追て何らの指示』は結局この後も出されないまま彼らに対する保護責任は連合国側へ丸投げされた」(本書57頁)

この丸投げの一例が,朝鮮総督府の戦後処理であった。はじめは呂運亨率いる「朝鮮建国準備委員会」(建準)に事態収拾を依頼し,その後,朝鮮人指導者層の内紛が発生するのを見るや,「建準」を見限り,米軍にすべてを委ねることとなった。朝鮮人を当事者として加えないままの処理プロセスであった。

台湾の方は大きな混乱もなく,台湾総督府から中華民国(国民党政府)の台湾省行政長官公署への引継ぎが行われた。ただしこれも台湾人の自主的な参加を欠いたままの戦後処理であった。台湾人にとっては,統治者が日本人から外省人に交代しただけのことであり,自治は得られず,しかも統治者の質が劣化したという点ではより深い失望感を味わうこととなった。

本書では,もちろん満洲や樺太で起こった悲劇も詳述されている。いずれにしても,帝国版図の住民,つまり日本人のみならず,朝鮮人や台湾人や樺太の先住民を「帝国臣民」としておきながら,終戦工作の中で,あっさり切り捨ててしまうあたり,当時の指導層の無責任さには呆れるばかりである。

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2017.08.15

1930年代のヴィエンチャンの民族構成

今週からラオスに行くので,予習をしている。

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だいぶ前に買ったSoren Ivarsson"Creating Laos"を再読しているところだが,1930年代のヴィエンチャンの民族構成について面白い記述があったので,紹介する。

1937年,ヴィエンチャンには12400人のヴェトナム人と9570人のラオ人が住んでいた。

つまり,人種構成で言えば,ヴィエンチャンはラオ人の都であるにもかかわらず,ヴェトナム系住民が多数派を占めていたわけである。

なぜ,こんなことになっていたのか?

昨年の今頃,本ブログに書いたように(「ラオス史メモ:チャオ・アヌの戦い」),ヴィエンチャン王チャオ・アヌのシャム(タイ)に対する反乱は失敗し,1827年から28年にかけて,ヴィエンチャンはシャム軍によって徹底的に破壊された。シャムは,さらにヴィエンチャンからチャンパ―サックにいたるメコン沿いの土地の過疎化を図った。これにより,ヴィエンチャン周辺のラオ人人口は激減した。

その後,紆余曲折があって,ヴィエンチャンを初め,ラオ系諸都市はフランスの植民地に組み入れられてしまうのであるが,ラオ人たちを統治するにあたって,フランスはヴェトナム人官吏や活用した。また,農耕・建築を進めるにあたってもヴェトナム人を重用した。

この結果,本来ラオ人たちのものであった,ラオ系諸都市にはヴェトナム人が多く住まうこととなり,ラオ人の人口を上回るようになった。

ヴィエンチャンではヴェトナム人が過半数を占めた程度だったが,1943年のターケークでは人口の85%,サワンナケートでは72%をヴェトナム人が占めるようになっていた。

ラオ人は言語・文化的にはタイ人に近いのにもかかわらず,政治・経済的にはヴェトナム人との強い紐帯を持っているという現状の素地は,フランス植民地時代に形成されたのである。

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2017.08.14

魅惑の黒,黒の魅惑

ツマとともに萩に出かけ,山口県立萩美術館・浦上記念館で開催されている「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展を観てきた。山口県立萩美術館・浦上記念館は浮世絵と工芸品のコレクションで知られている。

Victorians

英国ヴィクトリア朝の王侯貴族の生活を彩った宝飾品,銀器の展示ということもあって,入場者の多くを女性が占めていた。

ダイヤ,トパーズ,真珠といった宝石を惜しげもなく使い,繊細な加工を施した宝飾品が並ぶ中で,老生の目を引き付けたのは,ジェット (jet)製の宝飾品である。ジェットというのは地中深く,高圧下で化石化した樹木である。黒玉とも言われるが,要するに,石炭の一種である。

"jet"はフランス語の"jaiet"に由来する。魔除けの効果を持つとされ,ヴィクトリア朝では,モーニングジュエリー(死者を悼むジュエリー)としての地位を確立した。宝飾品や食器が煌めく中で,黒光りするジェットは異彩を放っていた。

「愛のヴィクトリアン・ジュエリー」展を見た後は別の企画展示を見て回ったのだが,そこでも老生を引き付けたのは黒い作品群であった。


◆   ◆   ◆


萩美術館・浦上記念館の一角に茶室が設けられているのだが,ここでは「田中信行の茶室 流れる水 ふれる水」という企画展示があった。

Tanakanobuyukis

茶室の畳の上と,床の間にそれぞれ屹立する大小2つの黒光りするオブジェ。漆と麻布を用いた,乾漆という技法による作品である。オブジェは,その表面に室内外の景観を映し出す。映し出された景観は,観る者が移動するにつれて,流れるように変化する。それはまるで川の水面のようである。

ながれのきしのひともとは,
みそらのいろのみずあさぎ,
なみ,ことごとく,くちづけし,
はた,ことごとく,わすれゆく。

(ウィルヘルム・アレント「わすれなぐさ」,上田敏訳『海潮音』所収)


◆   ◆   ◆


つぎに陶芸展示を観て回った。十二代三輪休雪の作品群には村上隆に通じるポップさを感じ,興味がそそられたが,より魅かれたのは,その弟,三輪和彦による≪黒の遺構≫という作品である。

Miwakazuhikos

神殿か高層ビルの柱を思わせる24基の巨大なオブジェ群。金色に塗られたものや釉薬を塗られたものなどもあるが,真っ黒で荒々しい表面を持つ数本の巨大な四角柱は,焼け落ちた神殿を思わせる。2006年の作品なのに,数千年前の出来事を想像させる。

黒はいい。黒は。

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2017.08.13

エドワード・ヤン監督『クーリンチェ少年殺人事件』を見てきた

YCAMでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督『クーリンチェ少年殺人事件』が上映されているので,観てきた。

実際に台北で起こった,少年による殺人事件をモチーフにした映画である。

1991年の作品の4Kレストア・デジタルリマスター版。英語のタイトルは"A Brighter Summer Day"。劇中に流れるプレスリーの曲"Are you lonesome tonight?"の一節から採られた。

Gulingjie

伝説の傑作との噂にたがわぬ映画で,3時間56分を費やして観た価値があった。

舞台は,1960年代初頭の台北。喧嘩に明け暮れる不良グループ,少年の淡い恋心,不器用な外省人一家。社会には閉塞感と焦燥感が蔓延,若者たちはこれに鋭敏に反応し,暴力や一時的な享楽に耽る。小津と『ゴッド・ファーザー』の間に位置する映画だという「ヤヌス・フィルムズ」の評価はまさにその通り。

ストーリーをものすごく簡単に述べると,小四(シャオスー)という少年が,可憐で薄幸な少女・小明(シャオミン)に恋したところ,ファム・ファタルでした,という話(もちろんそんな簡単な話ではなく,既に述べたように,当時の世相,若者たちや家族の生きざまが丹念に描かれている。だから4時間近く必要なのだ)。小明に係った男性はみな,エライ目に遭う。なんか『吉祥天女』の叶小夜子を思い出したぞ。

男たちがエライ目に遭うのは,小明のせいではない。男たちが小明を善導しようなどと思いあがるからである。

"你怎麼就是不明白? (どうしてわからないの?)
這個世界是不會為你而改變的, (あなたはこの世界を変えることはできない)
我就好像這個世界, (私はこの世界とおなじ)
是不會為你而改變的! (変えることなんかできないわ)"

(字幕では「私を変える気? この社会と同じ,何も変わらないのよ」)

という小明の諦観に基づく発言は,小四のみならず若者たちの希望を完全に打ち砕く。

台湾の若者たちが希望を持てるようになるには,1990年代の李登輝総統による民主化を待たなくてはならない。

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2017.08.11

【再読】梅棹忠夫『東南アジア紀行』

1957年11月から翌1958年3月にかけて梅棹忠夫はインドシナ諸国を巡り,調査研究を行った。その時の記録が,『東南アジア紀行』である。

本ブログでは6年ほど前に「梅棹『東南アジア紀行』の時代」という記事で紹介したことがある。

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老生は,この夏もまたラオスに行く。もう9回目となるか。

渡航前に同国に関する知識を整理するために『東南アジア紀行』の下巻,ラオスのことが記されている第17・18章を読み直したのだが,読み直してみると,いろいろな発見がある。

梅棹らの,ラオス滞在は,1958年3月7日から3月17日までの11日間である。この僅かな滞在期間で,ラオスの各地をまわり,自然や文物をよく観察し,充実した記録を残しているのだから大したものである。老生はラオスに行く度に梅棹らよりも長く滞在しているのだが,彼らほど物事を見ていない。

梅棹らはジープで南ベトナムのドン・ハーからアンナン山脈を越えてラオスに入り,チェポン,パラーン,サワナケート(サワンナケート),ターケーク,パーン・ポーン,ナム・カディン,パークサン,とメコン左岸を移動し,ヴィエンチャンに入った。

アンナン山脈の東,ベトナム側では,常緑樹生い茂る雨季の世界だったのが,山脈を超えてラオス側に移ったとたんに,落葉樹林広がる乾季の世界に変わる,というのが面白い。

ヴィエンチャンに入って以降は,飛行機を利用してシエンクワーンルアンパバーンナムターを巡っている。道が整備されていない国では,まず,飛行機が重要な交通手段なのだ。

シェンクワーンに入った梅棹はヴィエンチャン王チャオ・アヌの反乱について触れている。チャオ・アヌ(チャオ・アヌヴォン)がシャムに対して起こした反乱については,本ブログで以前取り上げたことがある(参考:「タイの政治的混乱はチャオ・アヌの呪い」)。梅棹は,シャムに敗れたチャオ・アヌがシエンクワーンに逃げた顛末を書いているが,この話,老生はすっかり忘れていた。

当時のラオス人口は推定130万人,公定レートは1ドル=35kip,というようなこと,シエンクワーンには総督がいたこと,等々,読み直すと,ああそうだったか,と再発見が多くて面白い。

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2017.08.07

爆音上映で庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を見てきた

山口の夏,爆音の夏。

既に前の記事で述べたように,「カナザワ映画祭2017 at YCAM 爆音上映」に出かけて,塚本晋也監督『野火』と庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を鑑賞した。

『野火』に続いて『シン・ゴジラ』の話。

何度も繰り返すが,boidの皆さんが褒め称える,YCAMの音響システム。ゴジラの咆哮,地響き,自衛隊の砲撃,ニュース音声,伊福部昭の音楽,全てが全身に響き渡る。耳ではなく体で聴くという体験はYCAMならではのもの。


◆   ◆   ◆


内容についてあれこれ言うのは結構難しい。すでに公開から年月が経っており,議論しつくされているような気がする。とはいえ,ちょっとだけコメントしてみる。

以前,浅田彰が「2017年フランス大統領選挙の後で」(REALKYOTO)という記事の(注3)で『シン・ゴジラ』についてこういうことを述べていた:

  • 小池百合子をモデルとした防衛大臣(余貴美子)を描いているのは慧眼としても,米国特使カヨコ・アン・パタースン役の石原さとみの英語力はいかがなものか,政治的寓話(アレゴリー)としてはもっと良い脚本を用意するべき
  • 東京駅の廃墟で硬直したゴジラは,福島第一という原子力災害の寓話としては効果的
  • テクノクラート集団が非常事態の収集に成功するという結末は「維新」のイデオロギーそのものなので要注意

いちいちごもっともな気がするのだが,初代ゴジラを振り返ると,見方が変わる。

庵野監督には難しい政治的意図はなく,ただ,初代ゴジラを忠実になぞって現代版のゴジラを作り上げただけなのだ。つまりオマージュ。20世紀の志村喬は21世紀の塚本晋也で置き換えられた。

それどころか,もっと無邪気に,カッコいいメカの映像をどんどん繰り出したかっただけで,政府・自衛隊の描写はメカを出動させるための単なる理由づけに過ぎないのかもしれない。無人在来線爆弾 (E233系・E231系電車流用) とか,血液凝固剤プラントとか,コンクリートポンプ車隊とか,つまりは「はたらくくるま」の劇場版というとらえ方も可能だ。

もっと穿った見方をすると,字幕を出したかっただけ,という気もする。ヱヴァでもそうだったが,庵野監督のタイポグラフィーへのこだわりは凄い。平成明朝体W9(?)で「新幹線700系電車(無人運転)」とかバーンと字幕を付けると,たちまち特撮になる。ああそうか,『シン・ゴジラ』は難しく考えずに,庵野監督の特撮愛が全面的に出た娯楽作として観ればよいのか。

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爆音上映で塚本晋也監督『野火』を見てきた

山口の夏,爆音の夏。

ツマとともに「カナザワ映画祭2017 at YCAM 爆音上映」に出かけて,塚本晋也監督『野火』と庵野秀明監督『シン・ゴジラ』を鑑賞。小生にとってはどちらも初見だが,ツマにとっては『野火』を見るのは二回目。

まずは『野火』の話。

とても低予算とは思えない迫真の映像,演出。蛆虫はパスタで代用,装甲車は段ボールで作成。それにもかかわらず,リアリティーが出ている。(ワイヤー消しぐらいしか)CGを使わなくても映画は撮れるということの証明。

音も良い。燃え上がる炎には体全体に響く轟音が伴う。さすが,boid主宰樋口泰人氏が褒めて止まないYCAMの音響システム。先日見た『地獄の黙示録』もそうだが,サイコーの映画をサイコーの音響で鑑賞できるという喜び。

ちなみに『地獄の黙示録』のことだが,上映後のトークショーで塚本晋也監督ご自身が言っていことだが,塚本監督は『地獄の黙示録』を念頭に置きながら,『野火』を作成したという。やはりそうか。燃え上がる野戦病院の映像美は,ナパームで焼き払われるジャングルの映像に由来していたのだ。

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トークショー後のサイン会で『塚本晋也×野火』(完成台本が掲載されているし,田原総一朗ら著名人が寄稿)に塚本監督のサイン貰いました。

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2017.08.05

爆音上映で『地獄の黙示録』を見てきた

爆音上映が山口の夏の風物詩となってきた。
今年はカナザワ映画祭2017 at YCAM「爆音上映」と銘打って、選りすぐりの映画作品が上映される。

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昨日見てきたのは『地獄の黙示録』。爆音上映するとえらいことになる。特に戦闘シーン。

サーフィンをするために第一騎兵師団のヘリ部隊がベトコンの拠点の村を焼き払うという狂気を前後左右天井からの大音響が支える。

機銃掃射して手当てする。これが奴らのやり方だ。

昨年来、YCAMで『マッドマックス 怒りのデスロード』、『インターステラー』、『バンコクナイツ』と爆音で次々に見てきたが、見るたびに思ったのは、映画は音響だ、ということ。

4K, 8Kとどんどん解像度があがってきて、テレビ画面の大型化も進み、映画館に行かずともご家庭で高いレベルの映像を楽しめるようになってきた今日この頃。

しかし、音となるとまだまだ。ご家庭の音響は、映画館の音響システムによるそれには全く及ばない。ましてやboidの皆さんによって爆音調整された音響には。

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2017.08.01

(続×10)最近のおこま嬢

久々に,おこま嬢の写真を掲載する。

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箱に入って庭を眺めるおこま。

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猫は安全なところから外を眺めるのが好き。

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通称「バリバリ」(爪とぎ)の上で寝るおこま。

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通気性の良い敷布の上で寝るおこま。

猫は寒がりの暑がりで,適温の範囲が狭いようだ。夏は通気性の良いところで寝ている。

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