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2017.07.31

インゲボルク・バッハマン『三十歳』を読む

インゲボルク・バッハマンの短編集,『三十歳』(松永美穂訳,岩波文庫)を読んだ。昨年の正月に上梓されて間もなく買ったのだが,最近まで本棚で眠らせていた。老生のよくやるパターンである。

本書は表題作「三十歳」を含む,以下の7つの短編で構成されている:

  • オーストリアの町での子供時代
  • 三十歳
  • すべて
  • 人殺しと狂人たちのなかで
  • ゴモラへの一歩
  • 一人のヴィルダームート
  • ウンディーネが行く

「オーストリアの町での子供時代」は自伝的要素の強い小説,というよりもエッセイ。戦争の時代ですら郷愁を帯びてしまっている。

表題作「三十歳」は三十歳を迎えようとする男性が焦燥感に駆られたかのように無計画な旅に出て,まともな成果をあげることなく,1年を浪費する話。最後にはヒッチハイクを試みて交通事故に遭う。

「すべて」はフィップスという息子の成長を見守る父親の話。父親としては息子が世俗に染まって欲しくないのだが,息子はその期待を完璧に裏切る。悪い言葉を覚え,暴力沙汰を引き起こし,やがて取り返しのつかない結末が…。

「人殺しと狂人たちのなかで」は第二次世界大戦終了後10年経ったウィーンの居酒屋で起こった事件を描く。ドイツ第三帝国の一部であったオーストリアの人々は戦争被害者であるとともに加害者でもあるという複雑な過去を持つため,戦争の話になるとギスギスした雰囲気になる。それでも男たちは戦争中の話をやめられない。

「ゴモラへの一歩」は,男性に従属的だったシャルロッテが,マーラという若い女性(多分,スロヴェニア人)によってレズビアンの関係に目覚める話。異性に対しては従属だったのに,同性に対しては支配的になる,という関係性の変化が面白い。ゴモラというのはソドムと共に「不自然な肉の欲」の罪によって神に滅ぼされたという町の名前である。

「一人のヴィルダームート」は,異常なまでに「真実」にこだわる上級地方裁判所判事のアントン・ヴィルダームートが,同じ姓を持つ,殺人事件の容疑者:ヨーゼフ・ヴィルダームートの裁判を担当する中で,精神の異常をきたす話。

「ウンディーネ」は,水の精・ウンディーネの独白。ウンディーネは人間の男性たちに向けて誘いと呪いの言葉をかけ続ける。


池内紀は毎日新聞の書評(2016年2月21日)の中で,これらの作品に対して「つねに喪失がテーマ」と述べている。そんな気もするが,違う気もする。「ゴモラへの一歩」などはこれまでの人間関係の喪失はあるものの,新たな人間関係の構築が予感される作品である。池内紀は同じ書評の中で「若さは行方知れずで成熟は訪れない」とも述べているが,その評語の方が合っていると思う。


◆   ◆   ◆


何れの作品も読み応えがあるのだが,読みやすさで言えば,「ゴモラへの一歩」が一番だろう。シャルロッテとマーラの対話の中で物語の中心課題が非常に明確に浮かび上がってくる。

「一人のヴィルダームート」は7編中,「三十歳」に次いで二番目に長い小説で,読むのにちょっと骨が折れる。だが,この小説の主人公,アントン・ヴィルダームートの「真実」に対する見解はとても面白い。一つ引用してみよう:

「だが,親愛なるみなさん,あらためて訊くが,なぜ真実を語らなくてはいけないのだろうか? そもそもどうして,このいまいましい真実を選ばなくてはいけないのだろう? わたしたちが嘘に陥らないためか。というのも嘘は人間が作ったものだが,真実は半分しか人間が作ったものではないからだ。真実のもう一方の側には,事実の世界にある何かが対応しなくてはならないのだから。あることが真実であるためには,事実の世界にまず何かがなくてはならない。真実は,単独では真実たりえない」(本書227~228頁)

「人殺しと狂人たちのなかで」についてコメント。この作品を読みながら,戦後のウィーンってこんな感じだったのだろうか?と思ったりした。戦後10年,ということは1955年だから,ちょうど連合軍軍政期が終わる頃である。ついでに本作の訳語について一言。137頁に1942年の冬のことが記されているが,これはスターリングラード攻防戦のことだろう。だとすると,文中の「第六部隊」は,正確には「第六軍」とした方が訳語が正しいと思うのだが,原作ではどうなっているのだろうか?


◆   ◆   ◆


本書の訳文は非常に簡潔で読みやすい。ところが,老生の場合,この短編集を読み通すのに結構時間がかかった。作者が元々詩人だっただけあって,言葉遣いに緊迫感がある。例えば,「一人のヴィルダームート」では,「真実」と「事実」の使い分けが重要だ。言葉の一つ一つに込められた意味や意図が深い。一語たりとも疎かにできないため,読み解くのに時間が必要だ。新潮文庫から出ていたサルトルの短編集『水いらず』を読んだときと同じ感じ。インゲボルク・バッハマンがハイデガーについての博士論文を書いていたことを踏まえると,「実存主義」というキーワードで『三十歳』と『水いらず』の両者はつながりそうである。


◆   ◆   ◆


Wikipedia英語版によれば,インゲボルク・バッハマンは1973年9月25日の夜から26日の未明の間,ローマの自宅の寝室で発生した火事によって全身にやけどを負った。入院したものの,翌月17日に死去した。入院時,バルビツール酸系(鎮静剤/睡眠薬として使用されていた)の乱用による離脱症状があったものの,医師たちはこれに気づかず,それが死につながったと言われている。

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