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2017.05.31

安部製菓の「アイスラムネ」

最近,おやつに食べているのが,安倍製菓の「アイスラムネ」。

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今から6年以上前に,「名古屋製ラムネ菓子の比較」という記事を書いたが,その時紹介した「あべっ子」の仲間である。

原材料は

  • ブドウ糖
  • エリスリトール
  • コーンスターチ
  • 澱粉分解物
  • 酸味料
  • 香料
  • スピルリナ青色素

で,「あべっ子」との違いは,エリスリトールが入っていること。

エリスリトールは天然の糖アルコールで希少糖の一つ。非う蝕性の甘味料なので,虫歯にならない。

エリスリトールは水に溶けるときに吸熱反応を起こすため,「アイスラムネ」は本当に清涼感が得られる。この季節に相応しい。

うちでは「アイスラムネ」を生協経由で購入したが,どうもネット販売はしていないようだ。

「あべっ子」も美味しいので,興味ある人はどうぞ。

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2017.05.29

アレックス・カー『犬と鬼』読書ノート(1)

アレックス・カーの『犬と鬼 知られざる日本の肖像』を読んでいる。バブル後の1990年代の日本を論じた一冊。

もともとは2002年に講談社から刊行された単行本で,今年の1月に講談社学術文庫に入った。

日本礼賛本が多い中,日本で生まれ育った著者はむしろ日本に対して厳しい目を向けている。

プロローグの一文にそれが凝縮されている:

「廃棄物の検査や処理のノウハウを持たない『ハイテクの国』日本,貪欲な建設業界を潤すため,川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化。国債残高が世界で一番多い中,一般市民の財産の管理をやりそこない,健康保険や年金制度を崩壊させてしまった『エリート官僚』」(アレックス・カー『犬と鬼』8頁)

最初に述べたように,本書で論じられているのは1990年代の日本である。だが,著者は最初の刊行(2002年)から15年経っても,本書に描かれている状況はほとんど変わっていないと述べている。

この著者の感興に対し,果してそうだろうか?という疑問を持ちながら検討していこうというのが,本記事「読書ノート」の目的である。

「『犬と鬼』読書ノート」の第1回は「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」について。


◆   ◆   ◆


「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」については1~3章で集中的に論じられている。

日本人は自然を愛すると言いながら山や谷を人工物で埋め尽くすことをやめない,と著者は批判している。かつての建設省には「ユートピア・ソング」という歌があり,「山も谷間もアスファルト」と唄われていたという(60頁)。またかつての富山県知事・中沖豊はこう言った:「インフラが整えば住民は豊かさを実感できる」(40頁)。つまり,国土を人工地表面に変えることこそが,近代化であり豊かさであると政府も国民も考えているというわけだ。

そして,それを如実に表すインディケーターが,国内のセメント生産量である。

「年間に敷設されるコンクリートの量は,アメリカ全土に敷設される量より多い。1994年の日本のコンクリート生産量は合計9160万トンで,アメリカは7790万トンだった。面積あたりで比較すると,日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる。」(『犬と鬼』60頁)

文中のコンクリート生産量は,正しくはセメント生産量というべきだろう。あと,消費量=生産量ではないのだから,正確には輸出入分も考える必要がある。だが,基本的に国内で生産されるセメントは国内で消費されると見ておくことにしよう。

それで,1994年の日米のセメント生産量はそれぞれ,9160万トン,7790万トンだったのだろうか,そして現在はどうなっているのか? ちょっと確かめてみよう。

米国地質調査所(USGS)のデータ("Cement Statistics and Information", "Mineral Commodity Summaries")をもとに,1994年~2015年の日米のセメント生産量をグラフ化してみた:

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1994年に関しては,ほぼ著者の主張通りである(日本の生産量が10万トン異なっているが)。

日本のセメント生産量は1996年に9450万トンに達した後,下落が続き,2012年には5130万トンにまで落ち込んでいる。それが,復興・都心再開発・東京オリンピック等の需要によって少しばかり回復しているというのが現状だ。ピークの約半分。日本の国土をコンクリートで埋め立てる勢いは衰えたということができるだろう。

だが,米国の25分の1の国土面積,4分の1のGDPしか持たない日本が,コンクリートに関しては米国の3分の2もの生産量を維持しているということを踏まえれば,日本が国土改造にかける情熱は今でも衰えていない,と言えるかもしれない。

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2017.05.26

中村安希『N女の研究』を読む

先々週読み終えたのだが,読書メモをまとめていなかった。
時間が若干できたので,少し書いてみる。


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著者は小生よりも9歳年下のノンフィクション作家。2009年に『インパラの朝』で開高健ノンフィクション賞を受賞している。

最近はこのように小生よりも若い人々の活躍をよく見聞きする,とまあどうでもよい感想を述べたうえで,さて,本書の内容に入ろう。


◆   ◆   ◆


近年,大企業・外資系企業勤務がお似合いのハイスペックな女性たちがNPO業界で働くことを選択し始めている。それはなぜだろう?という興味から本書の取材活動が始まっている。

本書はN女の具体例を列挙するのにとどまらず,その存在理由についても検討している。その結果,N女を通して,現代社会が抱える問題を明らかにするに至っている。

財政の逼迫によって行政サービスが縮小し,市場原理の下,コストパフォーマンスが低い民間サービスが淘汰されていく中,日本社会には官民どちらからもサービスを受けられない領域が広がっている。ここをケアするのがソーシャルセクターと呼ばれる,社会貢献を目的とした営利・非営利の企業・団体等のまとまりである。そして,NPO(特定非営利活動法人)はこのソーシャルセクターにおけるキープレーヤーの一つである。

NPOというと,行政機関や財団法人などからの補助金や寄付を受けて,無償の活動を行っているボランティア団体のようなイメージがあるが,そういう団体ばかりではない。

実は小生は某NPOの監事をやっているのだが,このNPOは補助金頼みにならない「稼ぐNPO」を目指しており,実際,一定の収益を上げながら活動を行っている。

最近では小生のNPOと同様に,独自の資金調達の仕組みを持ち,収益を活動費・人件費に充当しながら活動しているNPOが登場している。利益の最大化を目指さないという点を除けば,民間企業とほぼ変わらない。本書に登場するのはそういったNPO法人たちである。「クロスフィールズ」しかり,「ティーチ・フォー・ジャパン」しかり,「ビッグイシュー日本」しかり,「ノーベル」しかり。

収益を上げながら活動する,ということは,NPOに勤める人々にも民間企業に勤めるのと同様の知識やスキルが要求される。例えば,ビジネスマナー,企画力,プロジェクト管理能力,コミュニケーション能力,交渉力,……。社会的正義や弱者への共感だけでは駄目。高度なビジネスの知識・スキル・能力を持っていなければN女は務まらないわけである。


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では,N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか? 実はN女には企業経験者が多い。大企業や外資系企業を選ばなかったわけではない。様々なライフイベントを経験するうちに身近な社会問題に触れ,その社会問題の解決手段としてたまたまNPO業界に入ったというだけである。

社会問題としてはどんなものがあるのか?

例えば,難民,貧困,地域格差,保育,若者無業者,……。かつては,血縁・地縁・社縁といった人と人との「縁」がセーフティネットとして機能し,こういった問題が深刻化するのを防いでいた。そうした「縁」が解体されて,人々の孤立化が進行し,これらの問題が深刻化しているのが現代の日本である。かつての「縁」に代わって社会問題を解決しようとするのが,ソーシャルセクターであり,NPO法人であり,N女たちである。


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「N女が大企業や外資系企業ではなく,ソーシャルセクターに居るのはなぜか?」という疑問に対する答えはもう一つある。

N女たちは,企業内の出世競争や硬直化した組織構造から離れ,比較的フラットな組織の中で,自分の裁量・自分のペースで問題解決に取り組みたい人々なのである。とくに出産というライフイベントが職業選択や社会問題に対する意識に与える影響は大きい。あとは育児や家事。男女共同参画がちゃんと実現していれば,女性にばかり育児や家事が押し付けられることもないのだが,現実はまだまだ男女共同参画と言えるまでには至っていない。

そういう現状の中で,ビジネス能力のある女性たちが選ぶ職域として,ソーシャルセクターが浮かび上がってくるわけである。「N男」ではなく「N女」に注目することで,こうした社会的性差(ジェンダー)の問題も明確になって来る。


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繰り返しになるが,本書は単にN女を描写するだけでなく,N女への取材を通して現代社会が抱える問題を明らかにした。それのみならず,問題解決の糸口,あるいは希望の芽を見出した,というところに本書の意義がある。

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2017.05.22

ジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた

YCAMでジャンフランコ・ロージ監督『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を見てきた。

イタリア最南端の小さな島,ランペドゥーサ。 ヨーロッパというよりももうほとんどアフリカと言ってもよいところに位置している。

この島に住む人々の生活はとても穏やかに見える。パチンコ作りに夢中になっているサムエレ少年。漁師たち。家事にいそしむ老女。ラジオから流れる懐メロ。

BS日テレの人気番組「小さな村の物語 イタリア」を彷彿とさせる光景の陰で,この島は別の一面を見せる。

この島はアフリカや中東からの難民が海を越えて押し寄せる玄関口なのである。その数,20年間で40万人。そして1万5千人が命を落とした。

この映画では,何かのメッセージが声高に叫ばれることはない。サムエレ少年と島民たちの日常を描いたパートと,イタリア沿岸警備隊による難民救出作業を描いたパートとが交互に淡々と映し出されているのみである。

島民の中で唯一難民と関わりを持つのは島でただ一人の医師である。医師はサムエレ少年の診察をする一方で,難民たちの死に向き合ってきた。

この医師の語りと,あとはラジオのニュースだけが島民たちの生活と難民たちの苦難とが交錯するわずかなポイントである。

それ以外には島民たちの生活と難民たちの苦難とが直接かかわることはない。サムエレ少年と難民とが顔を合わせることはない。

だが,そのことがかえって事態の深刻さを浮き彫りにする。


Newsweek日本版で大場正明が上手いことまとめているので引用する:

この映画のなかで,少年と難民が接触することはないが,少年の成長と難民の現実は無関係ではない。以前より周りが見えるようになった彼は,やがてわけもなく緊張を覚えるようになり,医師から不安症気味だと診断される。この少年を悩ます不安は,移民・難民問題を契機に世界が分断されつつある時代を生きる私たちが抱えている不安でもある。
「イタリア最南端の島で起きていること 映画『海は燃えている』 大場正明 映画の境界線


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本作の原題は"FUOCCO A MARE"で,「海の炎」の意。

第2次世界大戦時にイタリアの船が連合軍に爆撃され,深夜の海に真っ赤な炎が上がり,人々を不安に陥れたという逸話から生まれた地元の伝統曲のタイトルだそうだ。

21世紀になり,今また海が燃えつつあるということだ。


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ジャンフランコ・ロージ監督は1964年,エリトリア国生まれ。13歳の時,エリトリア独立戦争中にイタリアへ避難ということで,監督自身難民であるといえる。


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ランペドゥーサ島に押し寄せる難民については,このハフィントンポストの記事を参照されたし:

イタリア・ランペドゥーサ島沖の移民船転覆 なぜ彼らは危険な航海に出るのか」(ハフィントンポスト,2015年4月22日)

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エベレストのヒラリーステップは崩壊したとのこと

先々月、ネパールに行って以来、ヒマラヤのニュースがあると気になるようになってきた。

英ガーディアン紙によれば、エベレストの山頂付近の難所、ヒラリーステップは2015年の大地震によって崩壊し、すでになくなっているとのことである:

Part of Mount Everest has collapsed, mountaineers confirm Destruction of Hillary Step, possibly during 2015 earthquake in Nepal, may make climbing mountain more dangerous

ヒラリーステップでは登山隊の渋滞が発生するなど、問題があったのだが、地震のおかげでこれは解消されてしまったようである。その一方で、不安定な岩がゴロゴロするようになり、安全性が低くなったともいう。

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2017.05.11

おや,浅田彰先生が・・・フランス大統領選挙その他についてご発言

9年ぶりに浅田彰先生のご発言について触れる(前記事は,2008年4月5月。小生も年を取ったもんだ)。

"REAL KYOTO"というサイトに浅田彰先生が結構な長文を寄せている:

フランス大統領選挙の後で」(2017年5月8日)

単にフランスやEUの話に留まらず,一貫した視点で日本国内の政治情勢にまで話を展開する当たり,さすが。

ーー仕事をしながら欧州議会のTV中継を聞いていました,ある議員がなかなかいい演説しているので顔を挙げたらマリーヌ・ルペンでしたーー語学力があることを匂わせつつマリーヌ・ルペンについて語るあたり,浅田彰先生らしいと思った。

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2017.05.08

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』も観てきた

YCAMで観てきた映画の二本目。

オタール・イオセリアーニ監督の『皆さま,ごきげんよう』(2015年,仏&ジョージア)である。

ポスターとかチラシを見て,ほのぼのとした物語を想像して鑑賞するとえらい目に合う。

とくに,『人生フルーツ』を見て深く感動した後だと,混乱する。

そもそもフランス映画だという時点で気を付けないといけなかった。

最初に短く,フランス革命の一場面,そして少しだけ近代の戦場が描かれ,ようやく本編ともいうべき,現代のパリの人々のドラマが描かれる。この3つの時代の繋がりに拘泥していると,話の展開についていけなくなるので深く考えないこと。

現代パリ編に絞って話を進めよう。

武器の密売人でもあるアパートの管理人と骸骨のコレクションをしている人類学者。この二人の友情が主軸なのだが,

  • ローラースケートを履いてひったくりを繰り返す姉妹,
  • この姉妹の仲間でバイオリニストに恋するイケてない男,
  • この男に付きまとわれるバイオリニストの父である警察署長,
  • 警察署長に買われたことがある女性,
  • その女性の父で,古城に住んでいるが税金を払えず困窮している男爵,
  • 男爵の孫だろうと思うが,アパート管理人のところで宿題を見てもらっている姉妹,
  • その他,街や古城のがれきを集めて家を建てている男性,
  • アパート管理人と人類学者のガールフレンドだった資産家の老女,
  • 人類学者の隣に住む金属加工業者,
  • その金属加工業者の恋人で通称「ガミガミ女」と呼ばれる若い女性,

等々,一筋縄ではいかぬ面々が小さな事件を引き起こしながらストーリーが進んでいく。

ディテールが大事で,あちこちに仕掛けが施されていて,気が抜けない。

たとえばこんなことがある。アパート管理人が壁の前を歩いていると,いつの間にか壁に隠し扉が出現する。この扉をくぐると,アパート管理人の前に鳥たちが憩う謎の庭園と謎の女性が現れる。その後も2度ほど隠し扉が出現するのだが,最後にアパート管理人が中に入った時には,謎の庭園は荒れ果て,女性も消え去っていた。いったい何だったのか。

他にも例えば,こんなことがある。冒頭のフランス革命時,とある貴族がギロチンに懸けられるのだが,この貴族はアパート管理人と瓜二つ。切られた首はとある女性(あとで気づくのだが「ガミガミ女」と瓜二つ)に拾われる。そしてその首は頭蓋骨となって,女性の子孫である「ガミガミ女」に伝えられることとなる。その後,「ガミガミ女」の彼氏・金属加工業者が人類学者に頭蓋骨を進呈。人類学者が頭蓋骨に肉付けして復顔すると,アパート管理人の頭部となる。このイメージの連鎖はいったい?

この映画はこの映画に応じた受容体(レセプター)を持っている人でないと鑑賞できない。観客を選ぶ映画。万人受けではない。

映画を見た後でこの映画に関する過去の記事を読んだら,イオセリアーニ監督はこんなことを言っていた:

「(自身の作品は)大人として理性を持つ人に向けて作っている」

「ハリウッド映画などの対象は10代から20代半ばです。皆いつも同じような、口当たりの良い作品ばかりを見て育ち、紋切り型に慣れてしまっている」

(映画.com,2016年11月7日記事「名匠O・イオセリアーニが来日 『大人として理性を持つ人に向けて映画を作っている』」より)

この記事の中で,イオセリアーニ監督は松尾芭蕉についても触れていた。松尾芭蕉は俳句で知られているが,発句(単体の俳句)より俳諧(連句)を好んだ。連句というのはイメージの連鎖を楽しむものである。そういえば,この映画,イメージの連鎖だらけである。そうか,この映画は連句なのか。そう思えば納得。


◆   ◆   ◆


原題"Chant D'hiver"は"Winter song"という意味。「皆さま,ごきげんよう」というのは相当な意訳。

現代パリ編の冒頭とエンディングで犬たちが横断歩道を渡る場面が繰り返されるが,これはジャック・タチ『ぼくの伯父さん』(1958年)へのオマージュか?

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『人生フルーツ』を観てきた

YCAMで二本、映画を観てきた。そのうちの一つが『人生フルーツ』(伏原健之監督、2016年、東海テレビ放送)。建築家の津端修一さん(90歳)・英子さん(87歳)の日常を記録した映画である。

会場はほぼ満員。昨年、ここYCAMで『ふたりの桃源郷』(佐々木聰監督、2016年、KRY山口放送)を上映したときの盛況ぶりを思い出させる。そういえば老夫婦を取り上げたことや、もともと地方テレビ局のドキュメンタリー番組だったことなど共通点は多い。

さて、津端さん夫婦が住む家の敷地面積は300坪。修一さんが尊敬する建築家、アントニン・レーモンドの自宅を再現した木造住宅が立っている。住宅の周りには雑木や果樹を植え、さらにキッチンガーデンを営んでいる。70種の野菜と50種の果実がこの家で育てられている。これらの収穫物は英子さんの手で料理や保存食品へと姿を変え、津端さん夫婦や親族・知人の胃袋へと収まる。いわゆるスローライフ。だが二人はテキパキと働く。毎日のように畑を耕し、水を撒き、草むしりや剪定をし、樹木や畑に看板や札を付け、コンポストを作り、果実や野菜を収穫する。行動はスローじゃない。修一さんは自転車に乗るわ、餅つきはするわ、90とは思えない身のこなし。かつての海軍や東大ヨット部で頑強な体が作られたのだろう。


◆   ◆   ◆


津端家のある高蔵寺ニュータウンは伊勢湾台風を契機として開発された団地である。日本住宅公団に勤めていた修一さんは、そのマスタープランを担当した。自然の地形を生かし、森と共生することを目指した修一さんの都市計画案は、経済効率優先の風潮の中で大きく変更され、画一的で無機質な団地が生まれてしまった。

団地を設計する建築家の多くは自ら設計した団地に住むことはあまりないという。だが、修一さんは高蔵寺ニュータウンに土地を購入した。そして敷地に雑木林を作り、上述したようなスローライフを始めた。

津端家の裏には団地を造成した際に禿山となった小さな山があった。修一さんは家族を巻き込み、住民の協力を得て、植樹を行い、この山をどんぐりの山に変えた。

修一さんは、一度は葬られた自分の理想の団地案を、年月をかけて自宅と裏山とで実現してしまったのである。愚公山を移す、ではないけどすごい。


◆   ◆   ◆


ここまで修一さん中心で文章を書いてきたが、修一さんが道を貫けたのは英子さんのサポートがあってのこと。それぞれ勝手なことをしているようで細やかな気遣いが垣間見られる二人の距離感が絶妙である。

二人が素敵なスローライフを実現できたのは、今触れたような絶妙な距離感も一因だが、忘れてはならないのが、二人とも元気だということ。高齢にもかかわらず強健な体があってのこの暮らしぶりである。さらに言えば、この健康を支えている食に対する貪欲さも重要。家で採れる食材の豊富さにも驚くが、月に一度、英子さんが名古屋市内で調達してくる野菜や魚などの量と質にも驚く。

この映画のナレーターは樹木希林。ナレーションの中で出てくる「コツコツ、ゆっくり時をためる」という言葉が非常に良い。時がたまった成果がフルーツなのである。fruitというのは本来、成果物という意味ですからね。

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2017.05.06

【フォトグラファー無宿?】『ホームレス ニューヨークと寝た男』を見てきた

YCAMで『ホームレス ニューヨークと寝た男』(トーマス・ヴィルテンゾーン監督 2014年)を観てきた。


Homme Less Trailer from Filmfestival Kitzbühel on Vimeo.

ニューヨークで活躍するファッション・フォトグラファーであり、家や家族を持たないというミニマリズムを貫くスタイリッシュな男、マーク・レイを追ったドキュメンタリー。

と思ったら違った。

今述べたような部分はある。ファッション・ウィーク中、連日のように、マークは精力的にモデルたちに声をかけ、フォトシューティングを繰り返す。睡眠時間を削りながら選び抜いた一枚をプリントし、マーク・ジェイコブズの事務所に届ける。バリバリ働いている。カッコいい。フォトグラファー無宿という別タイトルを進呈したいと思ったぐらい。

それが中盤以降はジョージ・クルーニーばりのロマンスグレーの男が強がりと弱音を繰り返す面白ドキュメンタリーへと変わる。マークの発言に揺れが生じるようになってきたあたり、それだけ監督のトーマスとマークとの距離が縮んできたということだろう。

貧困がテーマではあるまい。もしそうだったらマークの経済事情にもっと踏み込んだはずだ。

マーク・レイという、ニューヨークに魅せられて離れられなくなったまま歳を重ねた男の姿を、50代という、まだ事態が悲劇にならないうちに写しとったのは、実は重要なことなのではないかと思う。

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2017.05.05

右田ヶ岳に登ってきた

新幹線で防府を通過するたびに車窓から見える,あの切り立った山が気になっていた。

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右田ヶ岳という。

このGW後半,登ってみることにした。

右田ヶ岳に登るためにはいくつかの登山口があるのだが,代表的なのは勝坂登山口、天徳寺登山口、塚原登山口の3つ。

この山に関しては今回が初登山なので,比較的楽だと紹介されている塚原登山口から登ることにした。


標高426メートルということで,少しなめていた。

実際に上ってみると結構ハードだった。

まずは雑木林で安心させて,

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林を抜けると頂上まではまだまだ遠いことがわかり,少しがっくりさせる。

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そして,途中からは岩だらけの道。

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さらに巨石群が屹立して,登山客を阻む。

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そんなバラエティに富んだ艱難辛苦を乗り越えて,ようやく頂上に。

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はためく日の丸のもと,巨岩の向こうには防府の街並みや瀬戸内海が広がる。

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眺望絶佳とはこのこと。苦労して山頂にたどり着いたという達成感がある。

それにしても他の登山客の健脚ぶりには驚いた。うちの親ぐらいの人々がいとも簡単に上り下りしている。こちとらまだまだ修行が足らん。


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右田ヶ岳は萩往還と佐波川という2大交通路を睥睨する交通の要衝。かつて大内氏の家臣の右田氏がこの地を抑えていたという。

標高の割には急峻な地形で,眺望の良さもあって県外の登山客も多く訪れるとのこと。上級登山者のトレーニング拠点としても人気が高いという。

そんなところに,いきなり挑んだわけであり,苦労するのも当然。今回は塚原登山口から登ったわけだが,より険しいという他の登山口からも登ってみたいものである。

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2017.05.02

『ゴースト・イン・ザ・シェル』追記

ルパート・サンダース監督の実写版『ゴースト・イン・ザ・シェル』の話の追記。


「本歌取り」について

ブレード・ランナー』がそうであるように,押井守監督のアニメ版『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』はクリエイターたちにとっての古典になっていることを再認識した。

名場面が引用されるようになってはじめて古典である。

実写版のあらすじはアニメ版とは異なる。だが,アニメ版の様々な名場面は実写版では異なる文脈で適切な形で引用=再利用されている。

引用は,古典に対するリスペクトであるとともに,現作品と古典とを接続し,限られた時間の中で作品の世界を拡大することができるという効果を持つ。つまり和歌における「本歌取り」である。


◆   ◆   ◆


脚本について

形而上的で多様な解釈を可能とするアニメ版を好む人々にとって,実写版は問題が整理されて綺麗な謎解きになっているため,物足りなさを感じるかもしれない。だが,そうすることによって実写版は多くの人々が「攻殻」の作品世界を受容するための良い入門編となっていると思う。

小生が実写版で気に入っているのは,主人公(ヒロイン,少佐)と敵役(アンチヒーロー,アニメ版では「人形使い」,実写版ではクゼ)が魅かれ合う理由である。限られた上映時間の中で,初めて「攻殻」を見る観客に,少佐とクゼが魅かれ合う理由を理解させるためには,実写版の設定が最も適切だろう。


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技術について

実写版ではSFXやVFXがふんだんに使用されているが,芸者ロボットなど,非常に手が込んでいて感心する。『怪しい伝説』でおなじみのSFXエンジニア,アダム・サヴェッジ(Adam Savage)が,Weta Workshopを訪問して,芸者ロボットについて説明を受けているのだが,その興奮っぷりといったら・・・。

あと少佐のスーツについてもワーワー言うてます:

とにかく,スタッフの実写版に懸ける熱意が伝わってくる。

前(参照)にも言ったが,「漫画研究団体アトラス」からハリウッドに至るグレートジャーニーを思う。


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おまけ

  • スカーレット・ヨハンソンの肩甲骨周りの肉が多め
  • 荒巻(ビートたけし)の日本語のセリフが聞き辛く,英語の字幕を見てわかるという逆輸入現象
  • 「キネ旬」4月下旬号で押井守が言っていたように,バセットハウンドに野良犬役は無理
  • 桃井かおりの投入の仕方は良い。中国人英語のようでさらに良い。

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