アレックス・カー『犬と鬼』読書ノート(1)
アレックス・カーの『犬と鬼 知られざる日本の肖像』を読んでいる。バブル後の1990年代の日本を論じた一冊。
もともとは2002年に講談社から刊行された単行本で,今年の1月に講談社学術文庫に入った。
日本礼賛本が多い中,日本で生まれ育った著者はむしろ日本に対して厳しい目を向けている。
プロローグの一文にそれが凝縮されている:
「廃棄物の検査や処理のノウハウを持たない『ハイテクの国』日本,貪欲な建設業界を潤すため,川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化。国債残高が世界で一番多い中,一般市民の財産の管理をやりそこない,健康保険や年金制度を崩壊させてしまった『エリート官僚』」(アレックス・カー『犬と鬼』8頁)
最初に述べたように,本書で論じられているのは1990年代の日本である。だが,著者は最初の刊行(2002年)から15年経っても,本書に描かれている状況はほとんど変わっていないと述べている。
この著者の感興に対し,果してそうだろうか?という疑問を持ちながら検討していこうというのが,本記事「読書ノート」の目的である。
「『犬と鬼』読書ノート」の第1回は「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」について。
「川や海岸をコンクリートで埋め立てる『自然を愛する』文化」については1~3章で集中的に論じられている。
日本人は自然を愛すると言いながら山や谷を人工物で埋め尽くすことをやめない,と著者は批判している。かつての建設省には「ユートピア・ソング」という歌があり,「山も谷間もアスファルト」と唄われていたという(60頁)。またかつての富山県知事・中沖豊はこう言った:「インフラが整えば住民は豊かさを実感できる」(40頁)。つまり,国土を人工地表面に変えることこそが,近代化であり豊かさであると政府も国民も考えているというわけだ。
そして,それを如実に表すインディケーターが,国内のセメント生産量である。
「年間に敷設されるコンクリートの量は,アメリカ全土に敷設される量より多い。1994年の日本のコンクリート生産量は合計9160万トンで,アメリカは7790万トンだった。面積あたりで比較すると,日本のコンクリート使用量はアメリカの約30倍になる。」(『犬と鬼』60頁)
文中のコンクリート生産量は,正しくはセメント生産量というべきだろう。あと,消費量=生産量ではないのだから,正確には輸出入分も考える必要がある。だが,基本的に国内で生産されるセメントは国内で消費されると見ておくことにしよう。
それで,1994年の日米のセメント生産量はそれぞれ,9160万トン,7790万トンだったのだろうか,そして現在はどうなっているのか? ちょっと確かめてみよう。
米国地質調査所(USGS)のデータ("Cement Statistics and Information", "Mineral Commodity Summaries")をもとに,1994年~2015年の日米のセメント生産量をグラフ化してみた:
1994年に関しては,ほぼ著者の主張通りである(日本の生産量が10万トン異なっているが)。
日本のセメント生産量は1996年に9450万トンに達した後,下落が続き,2012年には5130万トンにまで落ち込んでいる。それが,復興・都心再開発・東京オリンピック等の需要によって少しばかり回復しているというのが現状だ。ピークの約半分。日本の国土をコンクリートで埋め立てる勢いは衰えたということができるだろう。
だが,米国の25分の1の国土面積,4分の1のGDPしか持たない日本が,コンクリートに関しては米国の3分の2もの生産量を維持しているということを踏まえれば,日本が国土改造にかける情熱は今でも衰えていない,と言えるかもしれない。
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