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2016.12.26

濱田耕作『通論考古学』を読む

日本考古学の父,濱田耕作が1922年に出版した考古学の概論書,『通論考古学』。

それが,今月,岩波文庫に入った。

通論考古学 (岩波文庫)通論考古学 (岩波文庫)
濱田 耕作

岩波書店 2016-12-17
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濱田耕作は本書において考古学を次のように定義している。

「考古学は過去人類の物質的遺物により人類の過去を研究するの学なり」(25頁)

この定義は今でもよく引用されている,極めて明確な定義である。

このように定義をした後,考古学のドメイン(学問の範囲)や研究対象に始まり,発掘調査の方法,資料の研究方法,報告書の作成と刊行,遺物・遺跡の修理,遺物の複製,展示方法に至るまで,幅広く解説している。

今からおよそ100年前の概論書で,文体は文語調だが,内容は全く古くない。当時の考古学ではすでに,地質学や化学の知識が活用されており,現在のものとほぼ同じような科学的研究方法を確立していた。現在と違うのは,放射性炭素年代測定法や地中レーダー探査といった物理的手法が無かったことぐらいだと思う。


◆   ◆   ◆


この本で最も熱がこもっているのは,調査・研究・出版に係る項目である。

例えば,「44 発掘者」の項:

「考古学的発掘において最も肝要なる要素は,発掘者(excavator)自身の人物なり。その学術的良心に富み,単に珍奇なる物品を獲る念に駆らるることなく,考古学に関する各種の知識,経験を有すべきは言をまたず。また,事業の組織,経営の才にも長ずることを要する。」(127頁)
「発掘は一種の土木的工事なれば,発掘の指揮者は一面学者たると同時に,他面技師たるの資格を期待せらる。かくのごとく発掘者は学者技師たると共に,事業家たるの性質を具備せざるべからず。」(127頁)

考古学では学者然としていてはダメだということが述べられている。考古学者は技術者であり,事業家なのであると。このあたり,以前「当然のことながら研究室運営は研究以外の能力が必要」という記事で紹介した研究室運営の手引き『アット・ザ・ヘルム』を思い出させる。

考古学の醍醐味は発掘調査にあると思われるのだが,発掘しっぱなしではイカン,という戒めが「83 出版の義務」の項で述べられている:

「発掘ありて記録なく,記録ありてこれが刊行を怠るは,畢竟公的資料を破壊し,これを私蔵するものというべく,過去の人類に対して,その空間的存在として残された生命を絶つの罪悪を行うものというべし」(217頁)
「もし発掘の報告を出版せざるくらいならば,これをなし得べき時期まで,遺物の最好保存者たる土砂中に放置して発掘せざるにしかず」(217頁)
「ゆえに発掘の報告出版は,発掘事業の一部分にして,決して分離すべきにあらず」(217頁)

報告書の出版があって初めて発掘調査は完結するのである。

出版に際しても,何となく執筆して出版すればよいわけでなく,ベストを尽くすよう,図版,本文,体裁について事細かに指導をしているのがまた本書の良いところである。

こういう執筆・出版についてのノウハウは,研究室内のOJTで学ぶのが普通だが,本書では惜しみなく,やり方・考え方を披露している。理系分野では最近になって,研究方法・論文執筆方法のノウハウ本が充実してきたが,考古学の世界ではすでに100年前に,一流の研究者によってこういう本が書かれていたのである。


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濱田耕作は号を青陵という。Wikipediaの記事には記述がみられないが,岩波文庫版の春成秀爾先生の解説記事によれば,「青陵」は陵墓巡りに熱心だった少年時代からの雅号だそうだ。

考古学少年はやがて,京都帝国大学の講師となった。そして同大学のボスたちの指示により,先端の考古学を学ぶべくヨーロッパに派遣された。エジプト考古学の大家,ロンドン大学のピートリー教授らに師事し,当時の世界水準の研究手法を体得した後,帰国。その後,京都帝国大学文学部考古学講座の教授として精力的に発掘調査を行い,日本の考古学会を牽引した。

濱田耕作41歳,考古学者としての脂が乗っている時期に書かれたのが本書である。本書は考古学の教科書として広く受け入れられ,また,日本の考古学の水準を高めることに貢献した。濱田は考古学上の研究業績を積み重ねるとともに,優秀な考古学者を次々と育て上げ,1937年6月には京都帝大総長に就任した。


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本書は出版当時,京都帝大医学部教授で考古学の研究者でもあった清野謙次に激賞された。清野は濱田の親友とでもいうべき人物だった。しかし,清野が1938年に引き起こした事件によって濱田は総長の座を辞することとなった。濱田は当時,重い病気にかかっており,辞職直前に死去した。本書の理解者が,後に本書の著者を苦しめることとなったのは皮肉というべきか悲劇というべきか。

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