今頃,『シグナル&ノイズ』を読む
ネイト・シルバーは2008年および2012年の大統領選の結果をほぼ正確に予測したことで知られている。その彼が主宰するFiveThirtyEight.comが英下院選に続き,今回の大統領選の結果の予測を大きく外してしまったことは大きな話題になっている。
ネイト・シルバーが予測について語った『シグナル&ノイズ』は2012年(日本語版は2013年)に刊行された本であるが,今読み直してみると感慨深いものがある。とくに政治の予測について述べた第2章「キツネとハリネズミ」はそうだ。
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キツネとは,これといった原則を持たず,たくさんの小さな考えを信じており,問題に向けて様々なアプローチを試みる者のことである。その思考や行動は,総合,柔軟,自己批判,用心深さ,経験重視,といったキーワードでとらえることができる。
これに対して,ハリネズミとは,社会現象の根底には,自然法則のような基本原則があると信じている者のことである。その思考や行動は,専門,硬直,秩序追及,自信,イデオロギー重視といったキーワードでとらえることができる。
ネイト・シルバーは政治の世界のような予測困難なところでは,キツネのような態度で臨まなくてはならないと述べている。政治の世界に原理原則があるのであれば,選挙の予測などは天体の軌道のように正確に予測されるだろう。しかし,実際は違う。
FiveThirtyEight.comは英下院選の予測を大きく外した時,キツネのように自己批判を行った:
"What We Got Wrong In Our 2015 U.K. General Election Model" (By Ben Lauderdale, May 8, 2015)
今回の大統領選においても一応,選挙直後に自己批判的な記事を掲載している:
"The Polls Missed Trump. We Asked Pollsters Why." (By Carl Bialik and Harry Enten, Nov. 9, 2016)
FiveThirtyEight.comは今回の「敗戦」を踏まえて,さらに改良された予測モデルを構築していくのだろう。それがキツネのアプローチだからだ。
だが,人々はそう捉えていないかもしれない。人々はただネイト・シルバーが外した,としか記憶しないだろう。今回の「敗戦」はFiveThirtyEight.comにとっては大きな痛手となるかもしれない。
『シグナル&ノイズ』は選挙以外の様々な予測についても論じている。小生は経済予測について論じた第6章が気に入っている。そこではビッグデータの落とし穴についてこう述べている:
……ECRIは自分たちのアプローチに大層自信がありそうだ。2004年にはクライアントにこうアドバイスしている。「車を安全に運転するのにエンジンの仕組みを知らなくても大丈夫なのと同じです。経済を測定するのに,複雑な経済の構造をすべて理解する必要はありません」
ビッグデータの時代にあっては,このような考え方が次第に一般的になってきている。たくさんの情報に囲まれているときに,だれが理屈など必要とするだろうか。しかし,予測をするときの姿勢として,これは絶対に間違っている。特にノイズの多いデータを扱う経済の分野では致命的だ。統計的な推論は,理論に裏付けされたときに強固なものとなる。(ネイト・シルバー『シグナル&ノイズ』216頁)
人工知能による言語処理について,ノーム・チョムスキーが述べていたことを思い出させる:
高度な統計分析をしようと試みる数多くの研究がある。…それらは言語の構造を一切考慮せずに,わたしに言わせれば,奇妙としかいいようのないやり方で成果をもたらす。…そこでは,未分析のデータの近似値を求めることが成果と解釈される。…これは,かつてない新しいかたちの「成果」の概念であり,科学の歴史において,このようなものをわたしは知らない。(WIRED Vol.19, 2015年12月1日,50頁)
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