ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』:大変な映画を観てきちゃったなあ
この休み、ツマとYCAMに行って、ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』を観てきたわけだが、まあ難しい映画だったなぁ。
内容をあっさりとまとめると、リスボンに住むアフリカ移民の男が人生の終わりに見る走馬灯のごとき思い出の数々…という感じか。
とはいってもこの映画、ドキュメンタリー風の映像で構成されたものではなく、恐らくは主人公ヴェントゥーラの妄想と思われる、非常に美しい幻想的なシーンで構成されたものとなっている。
今、幻想的という言葉を使ったが、人物への照明の当て方をはじめ、画面が絵的に美しいという意味だけで幻想的と言いたいのではない。登場人物が生者死者入り混じり、時代も現在過去ごっちゃで、とても現実のこととは思えない、という意味でも幻想的と言いたいのである。
この映画、わからないままモヤモヤするのは如何なものかと思い、帰りにパンフレットを購入して解読のためのヒントを掴むこととした。パンフレットの中には数々の評論家の批評が掲載されていたが、蓮實重彦のがコンパクトで理解しやすかった。曰く
「彼〈ヴェントゥーラ〉にとっては、すべてが『現在』であり、過去は想起されるものではなく、もっぱらいまとして生きられるものとしてある」(公式パンフレット4頁)
「例えば、1975年3月15日に、ヴェントゥーラが暗い夜道で軍車に脅かされ、兵士たちに取りおさえられる場面があるが、そのときはまだ若かったはずの彼は、赤いパンツ姿の年老いた男として画面に収まっている。ここでのヴェントゥーラは、3月15日以後のあらゆる時間の『彼自身』を、撮られつつある現在の『彼自身』として生き直しているのであり…」(公式パンフレット5頁)
ハスミは上手いこと書いている。ヴェントゥーラが現在のみならず記憶の中のことをも現在のこととして生きようとしているのであれば、全てのシーンが幻想的になるのは当然の帰結であるかもしれない。
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