小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』を読む
来年のNHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」(主演:柴咲コウ)だという。井伊直虎(なおとら)については予備知識ゼロなので,予習しておこうと思って買ったのがこの本:
小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』
井伊直虎 (歴史新書y) 小和田 哲男 洋泉社 2016-09-03 売り上げランキング : 8497 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
小生の御用達,洋泉社から今年の9月に出た新書である。小和田先生といえば,静岡大学の誇る,戦国史の一大権威。
で,期待しながら本書を紐解いてみたわけだが,直虎こと次郎法師(じろうほうし)に直接関係する記述はそれほど多くなく拍子抜け。次郎法師直虎に至るまでの,中世の国人領主井伊一族の激動の歴史に関する記述がほとんどである。直虎の役割が,消えてしまいそうな井伊一族の灯を井伊直政へと伝えるための中継ぎだったことを考えると,こういう内容にならざるを得ないだろう。
「おんな城主」と記すと,カテリーナ・スフォルツァや甲斐姫の如き女傑を思い浮かべるのだが,次郎法師直虎は,そんな類ではない。もっと控えめなものだった。
Wikipediaや浜松市特設ページの記述の繰り返しとなることを厭わず,本書に基づいて次郎法師直虎の略歴を記すと次のようになる:
- 天文5(1536)年ごろ,遠州・井伊谷(いいのや)の国人領主・井伊直盛の一人娘として生まれる(当時の井伊一族は今川義元に臣従していた。娘の幼名は不明なので,ここでは次郎法師としておく)
- 直盛は,叔父・直満の子,亀之丞(のちの直親)を婿養子として迎えることとし,次郎法師は亀之丞の許嫁となる
- 天文13(1544)年12月,今川義元によって直満が誅殺され,亀之丞は信濃の松源寺に匿われる
- 婚約者・亀之丞が出奔したことにより,次郎法師は出家(次郎法師という名はこのときに師となった南渓和尚によって付けられた)
- 弘治元(1555)年2月,亀之丞が井伊谷に戻る
- 同年,亀之丞は直盛の養子となり,直親と名乗る。
- 直親,奥山因幡守朝利の娘と結婚する(次郎法師とは結婚しなかった。大いなる謎)
- 永禄3(1560)年5月,桶狭間の戦いにて今川義元とともに直盛が戦死
- 永禄4(1561)年,直親の子,虎松(のちの直政)が生まれる
- 永禄5(1562)年12月,今川氏真によって直親が誅殺される
- 井伊一族の男子が次々に命を落とす中,南渓和尚の提案により,直親の遺児・虎松が成人するまでの間,次郎法師が家督を継ぐ(「直虎」の誕生)
- 永禄8(1565)年9月,次郎法師の名で覚書を発行(次郎法師直虎が領主としてふるまっていたことを示す,最も古い資料)
- 永禄11(1568)年11月,直虎,今川氏に屈服。井伊谷の施政権を奪われる
- 同年12月,徳川家康による遠州侵攻。井伊一族,家康に与し,井伊谷を奪還
- 天正3(1575)年2月,直親の遺児・虎松が家康の下に出仕。以後,万千代と名乗り,大活躍。立身出世
- 天正10(1582)年6月,本能寺の変。家康の伊賀越えに万千代も同行
- 同年8月,次郎法師直虎死去。法名:妙雲院殿月泉祐円大姉
- 同年11月,万千代,元服し,直政と名乗る。後に彦根藩の初代藩主となる
天文5(1536)年の生まれだとすると,47年の生涯ということになる。
「おんな城主」としての責を果たしたのは永禄8年から永禄11年までの3年間に過ぎない。
しかし,「次郎法師ハ女にこそあれ井伊家惣領に生レ候」と言われた宿命を背負い,滅びかけた井伊一族を再興し,大名にまで押し上げる道筋をつけたことは確かである。本書に記された状況証拠を踏まえれば,井伊家の歴史上,最も重要な働きをしていたと考えられる。
……とはいえやはり派手さが無く,事跡を記した資料も少ない。本書で紹介されている事跡が最大限だろう。この状況で来年の大河ドラマの脚本を書くのは大変だろうと思った次第である。
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