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2016.10.31

秋の秋吉台をトレッキング

秋のトレッキングである。ツマと秋吉台に行って来た。

前回,秋吉台に行ったのは5月5日だった(参考)。そのときは,冠山,地獄台,長者ヶ森を巡ってきたのだが,今回は長者ヶ森からスタートして,妙見原方面に向かい,剣山や若竹山を巡って長者ヶ森に戻るコースを採った。

秋らしく,秋吉台にはススキの穂が広がっていた。

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剣山に上る途中の光景:

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道端にはムラサキセンブリ

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そして,サイヨウシャジンが咲いていた:

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剣山の山頂の到着。標高はよくわからないが,290~300mぐらいだろうか?

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剣山山頂で昼飯を食べたのち,若竹山に向かう。途中,秋吉台らしい風景(石灰岩柱)を撮影しながら移動する:

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若竹山に到着:

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若竹山という名前は,今上天皇が皇太子時代にここに来られた際に付けられたとか。

若竹山を下りたのち,長者ヶ森まで戻り,さらに北山に上ってから帰路に就いた。

トレッキング時間はだいたい3時間ぐらいだったろうか?

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2016.10.26

『ヴィヨン全詩集』を読む

『キーツ詩集』を読んだ余勢を駆って,うちの本棚で休眠していた『ヴィヨン全詩集』(岩波文庫)を読むことにした。

フランソワ・ヴィヨン (Francois Villon) こと本名フランソワ・ド・モンコルビエ (Francois de Montcorbier)は1431年4月生まれの詩人である。

1452年にパリ大学で学位を取得したのち,殺人,窃盗,放浪という荒れた生活を送った。牢獄につながれたこともあるし,宮廷の詩宴に列席したこともある。

1463年に死刑判決を受けたが,恩赦によりパリからの追放に減刑された。この時にパリ追放に対する猶予を願う詩を作ったのが最後で,その後の消息は杳として知れない。

ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)
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太宰治の小説に『ヴィヨンの妻』というのがあるが,これはその小説に出てくる登場人物・大谷が書いた論文がヴィヨンに関するものだったことに由来する。

ヴィヨンの詩は皮肉たっぷりで典雅とは言えない。

例えば,「フランソア・ヴィヨン形見の歌」の11連に,恩人2人のどちらかに懐剣を形見として残したいという話が出てくるのだが,こんなことを言っている:

この剣は 銭八貫の居酒屋の勘定のため
抵当(かた)にとられた代物ゆえ,
契約通りに,買い戻した
二人の誰かに 渡してくれ
 (鈴木信太郎訳『ヴィヨン全詩集』25頁)

借金のかたにとられた剣を形見として残すというふざけた遺言である。

しかしまあ,莫大な注釈を参照しつつ詩を読み進めると,15世紀のパリの様子(優雅さからは程遠い)が浮かび上がっていて面白い。


◆   ◆   ◆


ヴィヨンは没年不詳だが,『ヴィヨン全詩集』の訳者鈴木信太郎の師匠,リュシアン・フウレーの見解では1463年1月に消息を絶ってから,ほどなく没したのだろうとされている。というのも

「若し幾年も長く生きたとするなら,彼ほどの詩人に詩が残つてをらぬとは想像し得ないからである」(『ヴィヨン全詩集』13頁)

この見解に対して別の角度からの推測を呈しているのが仏文学者の月村辰雄である。

月村は「ユリイカ 特集=本の博物誌」(第23巻第8号,1991年8月)に寄せた文章「悪魔のしわざ……? パリに印刷台が据えつけられた頃」の中で次のような推測をしている。

……ヴィヨンのいた時代というのは写本の時代の終わりごろ,活字印刷本の普及が始まるころであった。

1461年に亡くなったシャルル7世がパリに印刷技術を招来しようとしていたという話がある。タイミング的にはヴィヨンの最後の詩が作られた頃である。

ヴィヨンの詩は写本つまり手書き本によって普及していた。しかし,活版印刷術の登場によって,印刷本は公的,写本は私的な色合いを帯びるようになる。これによって,印刷本であるかどうかということが書物の流通を左右するようになる。そして,活版印刷技術普及後は,手書きのヴィヨンの詩は伝承されなくなったのではないかと。

「いかなる能書家の手になる書物といえども,印刷本の権威の前には屈服せざるをえない時代が始まることであろう。ヴィヨン晩年に傑作詩集が存在し,しかしそれが盗賊の手書き本にすぎなかったために,新しい活字という権威にわざわいされて伝承の経路を失ったのだ,とも考えることができるのではないか」(月村辰雄「悪魔のしわざ……? パリに印刷台が据えつけられた頃」,「ユリイカ」1991年8月号,67頁)

月村の意見の趣旨は,パリ追放以降のヴィヨンの詩が伝わらないのは,活版印刷術のせいではなかろうかということである。

ヴィヨンがパリ追放後も生存し,詩作を続けていた可能性はある。だが,活版印刷の対象とならなかったことにより,パリ追放後の詩は消えていったのかもしれない,というわけである。

現在でも印刷本は権威を持つが,手書きのノートは保存されることなく消え去るばかりである。

印刷技術の専制とでも言おうか?

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2016.10.20

脱線:モノメーターという韻律

『キーツ詩集』をだらだら読み続けており,今は「ハイピリオン」という長編の詩を読んでいるところである。

その合間に脱線して英語の詩の韻律について勉強したりもしている。

英語では強弱2音節からなる基本配列パターンを詩脚(foot)と呼んでいる。詩の一行に含まれる詩脚の数はいわば歩数である。例えば,一行に1つの詩脚が入っている場合,「一歩格(モノメーター,monometer)」という形式に分類される。

英文で最も有名なモノメーターはWikipediaでも取り上げられているが,ロバート・ヘリックの"Upon His Departure Hence"である:

Thus I
Pass by,
And die:
As one
Unknown
And gone:
I'm made
A shade,
And laid
I' th' grave:
There have
My cave,
Where tell
I dwell.
Farewell.

このぐらいだと日本人にもわかりやすい。

キーツの『1817年詩集』にはいくつかのソネットが収められているが,ソネットというのは14行詩のことである。

キーツのソネットの韻律はどうかというと,例えば,「多くの詩人が…」という出だしのソネットはこんな風に綴られている:

How many bards gild the lapses of time!
A few of them have ever been the food
Of my delighted fancy,—I could brood
Over their beauties, earthly, or sublime:
And often, when I sit me down to rhyme,
These will in throngs before my mind intrude:
But no confusion, no disturbance rude
......

一行目はなんか違うけど,2行目以降は

A few | of them | have ev- | er been | the food

「弱強五歩格 (iambic pentameter)」となっている。わかりにくいけど。

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2016.10.19

本当は怖い『キーツ詩集』

相変わらず,だらだらと中村健二訳『キーツ詩集』を読んでいる。

税別1140円で何日も楽しめるんだから,コストパフォーマンスは極めて高い。

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さて,表題の「本当は怖い」とはどういうことか?

『キーツ詩集』は詩集3つ分,すなわち『1817年詩集』『レイミア,イザベラ,聖アグネス祭の前夜,その他の詩』『拾遺詩集』とで構成されている。

このうち,『レイミア,イザベラ,聖アグネス祭の前夜,その他の詩』には長編の詩4つと短い詩(オード)9つが収められている。

その長編の詩の一つ,「イザベラ,またはバジルの鉢」が狂気を孕んだ悲恋を描いていてとても怖い。ホラー小説である。

ボッカチオ『デカメロン』の第4日目第5話をもとにした物語詩である。あらすじはこんな感じ:

フィレンツェの富豪の娘・イザベラと奉公人ロレンゾは相思相愛だった。これを快く思わないイザベラの二人の兄は,ロレンゾを連れ出し,森で殺害した。

ある夜,ロレンゾの亡霊がイザベラの枕元に立った。亡霊の導きによって,イザベラは森の中にうずもれたロレンゾの遺体を探り当てた。そして,イザベラはロレンゾの首を切り取って……。

やはりここから先は『キーツ詩集』を読んでいただきたい。

料理に使われているバジルを見るたびに,この話を思い出すこと間違いなし。

「なんてひどい,あたしからバジルの鉢を盗んでいくなんて」 ("O cruelty, To steal my Basil-pot away from me!")

というイザベラの叫びがいつまでも頭にこだまする。


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2016.10.18

目からウロコ:『比較政治学の考え方』

この本を読むまで,比較政治学というのは,ある国と別の国の政治制度を比較してあれこれ論評するだけの学問だと思っていた。

だが,全然違っていた。

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比較政治学の手法は自然科学の手法と似ている,というのが小生の感想。

自然科学というのは,莫大な数の実験を繰り返すことによって,法則性を見出したり,または既にある理論を検証したりする手法をとっている。

人文科学系の分野では同じ現象が繰り返されることが少ないので,自然科学と同様の実験的手法をとることはできない。しかし,繰り返しの実験を行うことができなくても,似た現象を比較することによって,自然科学ほどの厳密さはないにしても法則性を見出すことはできる。

比較政治学の場合,複数の地域・国の政治現象を比較することによって法則性を見出そうとするわけである。

本書では比較政治学の定義をこのように定めている:

「世界中で生じる国内の政治現象を研究し,そこから普遍的な理論を導き出すことを目指す学問」(本書2ページ)

本書では比較政治学と混同されやすい国際関係論との違いも冒頭で明確に示している:

「国際関係論は,基本的には国家と国家の間で起こっている事柄(外交交渉,国家間戦争など),また国家を超えて起こっている世界レベルの現象(冷戦構造,国際的な制度など)を考察対象にしている。国際関係論においては,多くの場合,国家はアクター(行為主体)として扱われる」(本書2ページ)

これに対して,

「比較政治学では,政治体制の類型やその変動,政治制度,政治家・政党・利益団体の行動など,その国で起こっている政治現象に関心を寄せる。比較政治学において,多くの場合,国家はアクターではなく,分析対象の政治現象が起こる舞台なのである」(本書2ページ)

このように,比較政治学というものをしっかりと定義したうえで,基本的な着眼点や比較分析の手法(統計,数理モデル,事例研究)などを説明しているのが本書の第1章。そのあとの第2章から第13章までは具体例が続いている。例えば,国家の成立,民主化,クーデターなど,比較政治学で取り上げられる具体的なテーマごとに,分析や理論化の実例を示している。これが,本書の構成である。


◆   ◆   ◆


正確な比較分析の実例は本書に譲るとして,小生が適当に作ってみた例で,比較政治学の考察の仕方を示してみよう。

例えば,議会制民主主義を採る国はいくつもあるが,その中で,政権交代がよく起こる国と,特定の政党が長期にわたり安定的に政権を保持する国とがある。両者の違いを生み出す要因は何か? もし,要因がわかれば,政権交代が起こるメカニズムというか法則性を明らかにすることができる。

こうした要因を追及する際,比較政治学では3タイプの要因があるものとして研究を進める。それは,構造的要因,制度的要因,アクター的要因である。

いま取り上げた政権交代の例で考えてみる。

複数の国の政権交代事例を検討したところ,政権交代の前に不景気など経済状況の悪化がみられたとする。そうすると,経済,すなわち構造的要因が政権交代に影響しているものとみなされる。

また,小選挙区制を採っている国々で政権交代が起こりやすく,その他の選挙制度を採っている国々で政権交代がまれであるような場合,選挙制度,すなわち制度的要因が政権交代に影響しているものと判断される。

さらにまた,カリスマ政治家の登場が政権交代を引き起こして事例が多く見いだされるのならば,アクター的要因が政権交代に影響していると考えてよいだろう。

どれか一つの要因だけが効いているわけではなく,複数の要因が強弱いろいろな影響を与えて,一つの政治現象を生み出している。

式で表せば,こうなるだろう:

p = f(x, y, z, ...)

x, y, z, ...という要因の結果,pという政治現象が現れるということである。


◆   ◆   ◆


こういうように,複数の現象を比較しながら原因と結果の因果関係を明らかにしていくという手法,これはミルの方法に他ならない。比較政治学というのは,自然科学に範をとった,きわめてオーソドックスな学問であると言って良いだろう。

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2016.10.16

(続)『キーツ詩集』を読む

ロマン派と言っても,星菫派(参考)ではないんだなぁ,というのが『キーツ詩集』に収められたいくつかの詩を読んだ感想。

中村健二訳による「希望によせて」の一節(『キーツ詩集』63頁):

決して見たくない――愛国者の高価な遺産,
高貴な<自由>(平服を着ても何と高貴なことか!)が
卑しい紫衣の廷臣どもに虐げられ,
平身低頭,ついには気息奄々となるさまを。
大空を銀色の燦きで埋めつくす
翼にのって,きみが天から舞い降りる姿を見たい

原文では:

Let me not see the patriot's high bequest,
Great Liberty! how great in plain attire!
With the base purple of a court oppress'd,
Bowing her head, and ready to expire:
But let me see thee stoop from heaven on wings
That fill the skies with silver glitterings!

また,ソネットの一つ,「リー・ハント氏が出獄した日に」もわりと骨太の内容である:

親切にも,自惚れた貴人に真実を教えたために,ハントは
監獄に押し込められた。だからどうだというのだ。
不滅の精神の持ち主らしく,彼は獄にいても天空を
目指す雲雀のように自由で,上機嫌だった。
権力の手先よ,彼が漫然とその日を待っていたと思うか。
彼がただ監獄の塀だけを見ていたと思うか。
おまえがしぶしぶ獄門の鍵を開けるまで?

原文では:

What though, for showing truth to flatter'd state
Kind Hunt was shut in prison, yet has he,
In his immortal spirit, been as free
As the sky-searching lark, and as elate.
Minion of grandeur! think you he did wait?
Think you he nought but prison walls did see,
Till, so unwilling, thou unturn'dst the key?

「自由」がよく出てくるが,訳者・中村健二による解説記事を読めば,これらの詩が収められた『1817年詩集』の表向きの主題が「自由」だったとのことである。納得。

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2016.10.14

『キーツ詩集』を読む

この夏に岩波文庫に入った『キーツ詩集』を買ってきた。

ダン・シモンズの一連のSF作品,『ハイペリオン』だの『ハイペリオンの没落』だの『エンディミオン』だの,これらは全てジョン・キーツの詩がモチーフになっており,いずれはキーツの作品を読んでみないといけないと思っていたからだ。

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小生のような素人には,詩文の奥底に隠されているだろう深い意味を知ることはできないのだが,それでも美しい情景の描写を楽しむことはできる。

「小高い丘で爪立ちをした (I stood tip-toe upon a little hill)」の一節などは実にわかりやすい。

雲は,毛を刈られ,きれいな小川から
出てきたばかりの羊のように真っ白,
空の青い野原で気持ちよさそうに眠っていた。

原文では

The clouds were pure and white as flocks new shorn,
And fresh from the clear brook; sweetly they slept
On the blue fields of heaven,

同じ詩の72~79行目も良い:

川底で姫鮠<ひめはや>の群れが小さな顔を覗かせ,
流されまいと体をくねらせているが,
それは水に冷まされた日光の贅沢な
温かさを味わうため。彼らがたえず
甘い歓びをねじ伏せ,小石の川底に
銀色の腹を憩わせるさまを見たまえ。
ちょっとでも手を入れようものなら,
その瞬間,ただの一匹も残っていないだろう。

原文では

Where swarms of minnows show their little heads,
Staying their wavy bodies 'gainst the streams,
To taste the luxury of sunny beams
Temper'd with coolness. How they ever wrestle
With their own sweet delight, and ever nestle
Their silver bellies on the pebbly sand.
If you but scantily hold out the hand,
That very instant not one will remain;

日本語訳ではわからないが,原文だと韻を踏んでいることがよくわかる。

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2016.10.13

神無月13日のキュレーション:プミポン国王崩御,ボブ・ディラン→ノーベル文学賞

例によって気になる話題を集めてみた:

プミポン国王崩御

タイ国王死去:英明で慈悲深く 国民統合の柱」(毎日新聞,2016年10月13日)

とうとうこの日がきたか。タイの知り合いが多いのだが,こういう時はお悔やみを申し上げるべきだろうか?

新国王と目される,ワチラロンコン皇太子が不人気なのが気にかかる。


ボブ・ディラン,ノーベル文学賞

またもや春樹が逃したか,ということよりも,ボブ・ディラン受賞という意外性。でも,広い意味の文学という枠組みで考えると,こういうのも有りだろう。影響力の大きさで言えば半端ない。そもそも村上春樹作品とボブ・ディランの曲には親和性がある。ハルキストもこう言っている:

『村上さん一番喜んでいる』=ディラン氏受賞,ハルキスト祝杯―東京 」(時事通信,2016年10月13日)

明日あたり,ボブ・ディランの濃いファンである,みうらじゅんあたりからコメントが出るのでは? ボブ・ディランのファンといえば,「漫勉」浦沢直樹もそうなのだが,例のスキャンダルで,ボブ・ディランどころではなくなると考えられる。

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2016.10.11

小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史』を読む

来年のNHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」(主演:柴咲コウ)だという。井伊直虎(なおとら)については予備知識ゼロなので,予習しておこうと思って買ったのがこの本:

小和田哲男『井伊直虎 戦国井伊一族と東国動乱史

井伊直虎 (歴史新書y)井伊直虎 (歴史新書y)
小和田 哲男

洋泉社 2016-09-03
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小生の御用達,洋泉社から今年の9月に出た新書である。小和田先生といえば,静岡大学の誇る,戦国史の一大権威。

で,期待しながら本書を紐解いてみたわけだが,直虎こと次郎法師(じろうほうし)に直接関係する記述はそれほど多くなく拍子抜け。次郎法師直虎に至るまでの,中世の国人領主井伊一族の激動の歴史に関する記述がほとんどである。直虎の役割が,消えてしまいそうな井伊一族の灯を井伊直政へと伝えるための中継ぎだったことを考えると,こういう内容にならざるを得ないだろう。

「おんな城主」と記すと,カテリーナ・スフォルツァ甲斐姫の如き女傑を思い浮かべるのだが,次郎法師直虎は,そんな類ではない。もっと控えめなものだった。

Wikipedia浜松市特設ページの記述の繰り返しとなることを厭わず,本書に基づいて次郎法師直虎の略歴を記すと次のようになる:

  • 天文5(1536)年ごろ,遠州・井伊谷(いいのや)の国人領主・井伊直盛の一人娘として生まれる(当時の井伊一族は今川義元に臣従していた。娘の幼名は不明なので,ここでは次郎法師としておく)
  • 直盛は,叔父・直満の子,亀之丞(のちの直親)を婿養子として迎えることとし,次郎法師は亀之丞の許嫁となる
  • 天文13(1544)年12月,今川義元によって直満が誅殺され,亀之丞は信濃の松源寺に匿われる
  • 婚約者・亀之丞が出奔したことにより,次郎法師は出家(次郎法師という名はこのときに師となった南渓和尚によって付けられた)
  • 弘治元(1555)年2月,亀之丞が井伊谷に戻る
  • 同年,亀之丞は直盛の養子となり,直親と名乗る。
  • 直親,奥山因幡守朝利の娘と結婚する(次郎法師とは結婚しなかった。大いなる謎)
  • 永禄3(1560)年5月,桶狭間の戦いにて今川義元とともに直盛が戦死
  • 永禄4(1561)年,直親の子,虎松(のちの直政)が生まれる
  • 永禄5(1562)年12月,今川氏真によって直親が誅殺される
  • 井伊一族の男子が次々に命を落とす中,南渓和尚の提案により,直親の遺児・虎松が成人するまでの間,次郎法師が家督を継ぐ(「直虎」の誕生)
  • 永禄8(1565)年9月,次郎法師の名で覚書を発行(次郎法師直虎が領主としてふるまっていたことを示す,最も古い資料)
  • 永禄11(1568)年11月,直虎,今川氏に屈服。井伊谷の施政権を奪われる
  • 同年12月,徳川家康による遠州侵攻。井伊一族,家康に与し,井伊谷を奪還
  • 天正3(1575)年2月,直親の遺児・虎松が家康の下に出仕。以後,万千代と名乗り,大活躍。立身出世
  • 天正10(1582)年6月,本能寺の変。家康の伊賀越えに万千代も同行
  • 同年8月,次郎法師直虎死去。法名:妙雲院殿月泉祐円大姉
  • 同年11月,万千代,元服し,直政と名乗る。後に彦根藩の初代藩主となる

天文5(1536)年の生まれだとすると,47年の生涯ということになる。

「おんな城主」としての責を果たしたのは永禄8年から永禄11年までの3年間に過ぎない。

しかし,「次郎法師ハ女にこそあれ井伊家惣領に生レ候」と言われた宿命を背負い,滅びかけた井伊一族を再興し,大名にまで押し上げる道筋をつけたことは確かである。本書に記された状況証拠を踏まえれば,井伊家の歴史上,最も重要な働きをしていたと考えられる。

……とはいえやはり派手さが無く,事跡を記した資料も少ない。本書で紹介されている事跡が最大限だろう。この状況で来年の大河ドラマの脚本を書くのは大変だろうと思った次第である。

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2016.10.10

ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』:大変な映画を観てきちゃったなあ

この休み、ツマとYCAMに行って、ペドロ・コスタ監督『ホース・マネー』を観てきたわけだが、まあ難しい映画だったなぁ。

内容をあっさりとまとめると、リスボンに住むアフリカ移民の男が人生の終わりに見る走馬灯のごとき思い出の数々…という感じか。

とはいってもこの映画、ドキュメンタリー風の映像で構成されたものではなく、恐らくは主人公ヴェントゥーラの妄想と思われる、非常に美しい幻想的なシーンで構成されたものとなっている。

今、幻想的という言葉を使ったが、人物への照明の当て方をはじめ、画面が絵的に美しいという意味だけで幻想的と言いたいのではない。登場人物が生者死者入り混じり、時代も現在過去ごっちゃで、とても現実のこととは思えない、という意味でも幻想的と言いたいのである。

この映画、わからないままモヤモヤするのは如何なものかと思い、帰りにパンフレットを購入して解読のためのヒントを掴むこととした。パンフレットの中には数々の評論家の批評が掲載されていたが、蓮實重彦のがコンパクトで理解しやすかった。曰く

「彼〈ヴェントゥーラ〉にとっては、すべてが『現在』であり、過去は想起されるものではなく、もっぱらいまとして生きられるものとしてある」(公式パンフレット4頁)
「例えば、1975年3月15日に、ヴェントゥーラが暗い夜道で軍車に脅かされ、兵士たちに取りおさえられる場面があるが、そのときはまだ若かったはずの彼は、赤いパンツ姿の年老いた男として画面に収まっている。ここでのヴェントゥーラは、3月15日以後のあらゆる時間の『彼自身』を、撮られつつある現在の『彼自身』として生き直しているのであり…」(公式パンフレット5頁)

ハスミは上手いこと書いている。ヴェントゥーラが現在のみならず記憶の中のことをも現在のこととして生きようとしているのであれば、全てのシーンが幻想的になるのは当然の帰結であるかもしれない。

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2016.10.08

その日本語学校は女坂を下ったところにあった

最近,仕事で各地の日本語学校を回っている。

この木曜日も,御茶ノ水駅の近くにある日本語学校を訪問したのだが,その学校は「女坂」を下ったところにあった。

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「男坂」は一直線に下る坂で,「女坂」は途中に一休みできる踊り場がついている坂なのだそうだ。

東京はこういういわくありげな地名が多い。

黒井千次の『たまらん坂』を思わず思い出した。

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2016.10.01

広島はまだ燃えている

今月11日,カープ優勝の翌日の記事として「広島は燃えていた」というのを書いていたわけである。

それからしばらくして,ちょっとはカープ優勝の熱が冷めたかと思いきや,まだ広島は燃え続けているのである。

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「広島銀行は広島東洋カープを応援しています」

JR広島駅の通路にはカープV7記念の寄せ書きが掲示してあるのだが,ファンの熱意が凄い。

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これを拡大すると,

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「カープのおかげで毎日が楽しい」

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