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2016.08.09

ラオス史メモ:三王国時代

スリニャウォンサー王の崩御後に発生した王位を巡る争いは,アユタヤ朝とヴェトナム黎朝の介入を招き,ランサーン王国はルアンパバーン,ヴィエンチャン,チャンパーサックという3つの小王国に分裂した。

いずれの王国もアユタヤ朝またはヴェトナム黎朝または両方の朝貢国となっていた。


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旧ランサーン王国の北部に位置し,北は清朝,西はランナー王国,東はヴェトナム,南はヴィエンチャン王国と接しているのがルアンパバーン王国。ランサーン王国の旧都ルアンパバーンを拠点としていた。初代の王はスリニャウォンサーの孫,キン・キッサラート(Kitsarat)。

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ルアンパバーン王国の国旗(ただし,フランス保護下のもの。Wikipedia "Kingdom of Luang Phrabang"より)


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旧ランサーン王国の中部に位置し,北はルアンパバーン王国,西はアユタヤ朝,東はヴェトナム,南はチャンパ―サック王国と接しているのがヴィエンチャン王国。ランサーン王国の王都ヴィエンチャンを拠点としていた。初代の国王はスリニャウォンサーの孫,セータティラート二世。ランサーン王国最後の王でもある。

Flag_of_the_kingdom_of_vientiane
ヴィエンチャン王国の国旗(Wikipedia "Kingdom of Vientiane"より)


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そして,旧ランサーン王国の南部に位置し,北はヴィエンチャン王国,西はアユタヤ朝,東はヴェトナム,南はカンボジアと接しているのがチャンパ―サック王国だった。初代の王は,スリニャウォンサーの孫娘,ノーカサット(Nokasad)女王だった。

Flag_of_champasak_kingdom
チャンパ―サック王国の国旗(Wikipedia "Kingdom of Champasak"より)


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1760年代,脅威が再びビルマからタイ系世界に迫った。

1750年に成立したビルマの新王朝,コンバウン朝による侵略である。

コンバウン朝のナウンドージー王 (Naungdawgyi)あるいはその息子,シンビューシン王 (Hsinbyushin)に率いられたビルマ軍は,1763年にランナー王国の王都チェンマイを,1765年にはルアンパパーン王国を,1767年にはアユタヤを陥落させた。

タイ系世界に秩序を回復したのは,アユタヤ朝に仕えていた潮州系タイ人,タークシン(鄭信)であった。

タークシンは文武両道の指導者であって,アユタヤ朝滅亡後,トンブリーの地に新たな王朝を建て,アユタヤ朝の旧領を回復した。さらに,ランナー王国やラオ系の三王国,さらにカンボジアを朝貢国として取り戻した。

タークシンは晩年,乱心をきたし,部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スックに殺された。民衆の支持を得たチャオプラヤー・マハーカサット・スックはラーマ1世として即位し,これが現在まで続くチャクリー朝(ラッタナーコーシン朝)の始まりとなる。

シャムにおいて王朝の交代はあったものの,ラオ系の三王国に対するシャムの支配は続いた。

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