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2016.08.31

「ママゴト」初回を見た件

松田洋子原作,安藤サクラ主演の「ママゴト」の初回を見る。

かぞくのくに』といい,『百円の恋』といい,何だろう,このリアリティ。安藤サクラは実力派女優の頂点におり,その位置は全く揺るがない。

漫画がドラマになる時,いろいろと心配があるのだが,今回は安藤サクラが主役と聞いて安心。

あと大滋くん(小山春朋<はるとも>/ホリプロ・インプルーブメント・アカデミー・ジュニアクラス)が原作の絵をそのまま立体化したようで,よー似とる。

原作者もご安心召されている様子:

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2016.08.30

(続々々々々)最近のおこま嬢

久々にうちのおこま嬢の写真をアップする。

ソファーでくつろいでいらっしゃる:

Sdsc_0377

本当に眠そうでうつらうつらしている:

Sdsc_0378

前にも言ったが,動物はかわいくない顔がむしろかわいいというパラドックスを抱えている。

ついでに。

最近知ったこの話,実に切ない:

死を悟ったネコの切ない行動 飼い主の手を掴んでお別れの握手」(2016年8月27日)

ペットをどう看取るか,人間とともにペットも長寿命化した現在,実に重要な課題である。

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2016.08.29

今日もまた爆音映画祭:「インターステラー」と「プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ」

昨夜、「マッドマックス」の上映前にboidの樋口泰人氏が挨拶の中で、「インターステラー」は好きじゃなかったけど、爆音調整したら良い仕上がりになったという話をしていた。そんなことを聞いてしまったら見ないわけにはいかない。今日(日付変わったので実は昨日,日曜日)もまたツマとともにYCAM爆音映画祭2016に行ってしまった。

Bakuon2016

「インターステラー」の上映前にやはり樋口泰人氏が挨拶のために登場。昨日と同じ話もしたが、加えて今回の「インターステラー」は爆音映画祭の一つの到達点であるというような話もしていた。ますます期待が高まったわけである。

・・・で,169分にわたって見てみたところ、やはりこれも素晴らしいとしか言いようのない出来だった。

爆音で聞くと,映画へののめり込み方がけた違いになる。

「繊細に微調整された」爆音によって,我々は今いる場所を忘れ,トウモロコシ畑を襲う砂嵐の中へ,ワームホールの中へ,山かと見紛う大波の中へ,氷に覆われた惑星へ,狂ったように回転する宇宙船へ,ブラックホール”ガルガンチュア”の中心部へと自然に没入してしまうのである。

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「インターステラ―」の感動の余韻冷めやらぬまま,次に見たのが,「プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ」である。

上の「爆音上映&爆音映画祭」のツイートで「残り2本は20世紀の音楽の追悼」とあるうちの一つ,プリンスの全盛期のコンサート映像をまとめた映画である。

コンサート映像は爆音で聞くに限る。臨場感が違う。それにしてもプリンスの盛り上げ方の凄いこと。かつてこういうアーティストがいたのだなぁ。ドラムを担当していたシーラ・Eもかっこいい。

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2016.08.28

YCAM爆音映画祭2016で「マッドマックス・怒りのデスロード」を見た件

「マッドマックス・怒りのデスロード」は国際線のシートで見た。小さいモニターだったが,それでもこの映画の良さ・面白さは伝わってきた。

それからだいぶ経って,昨夜,「YCAM爆音映画祭2016」で再びこの映画を見てきたわけである。

ツマとともに夜中の山口宇部道路を抜け,YCAMにたどり着いてみると,駐車場には車がぎっしり。夜10時からの上映だというのに,YCAMの一階には観客の長蛇の列ができていた。チケットを持っている観客の列だけでなく,キャンセル待ちの客の列も。おいおい,こんな夜中にこの田舎でこんなに人が集まるかね?というぐらいの異常な熱気。

この映画祭,「YCAMが誇る充実の音響設備」をフル稼働させての映画上映が行われるわけだが,ホント,大音響で見る「マッドマックス・怒りのデスロード」は通常の映画館では体験できないほど素晴らしいものだった。上映後は観客席から拍手喝さい。

映画は本当に音が大事。テレビやパソコンでは不十分。音響設備の充実した映画館で見ないといけないと思った次第である。

当然のことながら,見終わる頃には日付が替わっていた。

【追記】

爆音映画祭の監修を務めるboid側からはこんなツイートが:

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2016.08.27

「攻殻機動隊」ハリウッド版:少佐役はスカーレット・ヨハンソンということで

「攻殻機動隊」のハリウッド版が作られているとのお話。

IMDbの情報によると,主な出演者はこんな感じ:

  • Scarlett Johansson: The Major
  • Michael Pitt: Kuze
  • Pilou Asbæk: Batou
  • Juliette Binoche: Dr. Ouelet
  • Michael Wincott: ?
  • Rila Fukushima: ?
  • Chin Han: Togusa?
  • Takeshi Kitano: Daisuke Aramaki
  • Chris Obi: Ambassador Kiyoshi
  • Peter Ferdinando: Cutter
  • Joseph Naufahu: Police Commander Johns

クゼが出ているということは,「個別の11人」事件が映画の中心となるということだろう。

知らない登場人物名が散見されるが,この映画の独自キャラだろうか?

少佐は単に"The Major"となっていて,「草薙素子」とは言わないらしい。まあそりゃそうだ。

ビートたけしが荒巻になるということだが,どうも南部虎弾のごときヘアスタイルで登場するらしい。ビートたけしはかつて「JM」に出演したことがあり,わりとサイバーパンク映画にはなじむタイプかもしれない。

福島リラが出ているんだけど何をするんだろう?

あと,桃井かおりも出るらしい。ひょっとして茅葺よう子総理?

とまあ,いろいろとわからないことだらけ。

原作やその後作られ続けてきたアニメの世界観を継承できるか,まったく別の世界になるのか非常に興味深い。

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トヨタ・超小型EV「コムス」に試乗した件

某シンポジウムの会場で電気自動車が展示されていた。

その中にトヨタ車体製の超小型EV「コムス」があったわけである:

Sdsc_0367

内装はこんな感じ:

Sdsc_0368

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実際に試乗させてもらったが,結構乗りやすかった。

最高60キロまで出るそうだが,今回の試乗では時速20キロまでの制限だった。もうちょっと出したかったが,安全性を考えてのことだろうと思う。

一回の充電で電気代は151円。市街地の走行であれば,一回の充電で50キロメートルは走れるという。

家から勤め先までの距離は5キロぐらいだから,このぐらいの車が一番良いかもしれないと思った。

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2016.08.26

8月25日,ANA3812便(SFJ12便)欠航の件

東京に出張するので,山口宇部空港に行ったところ,9:40発のANA3812便(SFJ12便)が欠航していた。乗客が振替便の手配で大騒ぎしていた。

まあ,小生は今回は10時25分発のJAL292便にしていたのでセーフ。いつものようにANAを利用していたら,大変なことになるところだった。虫の知らせか?

ただし,羽田~山口宇部間のJALの機材は必ずボーイング737-800で,3列+3列の座席配置。空いているときはいいのだが,混んでいるときは窓際に席を取ると押し込められたままなかなか出られないという難点がある。

おなじ羽田~山口宇部間でも,ANAだとボーイング787-8やボーイング767-300のように,2列+3列+2列の座席配置で,アイルシートの居心地が良い機材が選べるという利点がある。

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2016.08.25

「第4次産業革命」でいいのか?

今は第4次産業革命の真っ最中なのだそうだ。

なぜ第4次なのかというと:

  • 第1次は18世紀後半の工業化
  • 第2次は19世紀後半の大量生産開始
  • 第3次は20世紀後半の電子化

と産業革命が続いており,現在はICT技術によって産業が飛躍的に発達している。これを以て第4次と名付けているわけである。

だが,ジョゼフ・ギースとフランシス・ギースによって書かれた『大聖堂・静鉄・水車』 というヨーロッパ中世のテクノロジーについて書かれた本を読むと,「ちょっと待ちんさい!」と思ってしまう。

大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)大聖堂・製鉄・水車―中世ヨーロッパのテクノロジー (講談社学術文庫)
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この本の第1章では,上に挙げた以外にも数々の産業革命(テクノロジー革命と呼んでいる)が起こっていることが指摘されている。

例えば,人類が道具を発明したこと自体が,第1の産業革命なのである。そして,新石器時代に起こった狩猟・採集から作物栽培への転換は第2の産業革命,メソポタミア・ナイル・インダス・黄河等で起こった灌漑農業は第3の産業革命。そして,本書で取り上げられている,ヨーロッパ中世のゆっくりとした長期にわたる技術開発は第4の産業革命というわけである。

つまり,これらの産業革命を加えれば,我々は最低でも8度目の産業革命を目の当たりにしているということになる。

産業革命については別の見方もある。制御系に着目した見方だ。手動・人動であった道具が電化されたのが第1次産業革命で,電化製品が人工知能など高度な情報処理を行うようになった,つまり知能化されたのが第2次産業革命だ,というとらえ方である。

まあ,現時点では常識としては「第4次産業革命」というバズワードを知っておくべきだろうが,他の数え方もあるということは頭の片隅に置いておいた方が良いだろう。

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2016.08.24

リオ五輪・男子マラソン,猫ひろしの軌跡

リオ五輪の男子マラソンにカンボジア代表としてタキザキ・クニアキ(猫ひろし)が出場し,完走した。

155人中139位だが,15人脱落して,最後が140位・ヨルダンのAbu Drais, Methkalなので,完走者の中では最後から2番目という結果である。

ちなみに猫の1人前,138位だった韓国代表には韓国民から批判が集まっているとか。

参考:『【萬物相】お笑い韓国マラソン』(朝鮮日報,2016年8月24日)

リオ五輪公式ページ(参照)からデータを抜き出して上位3名と猫の軌跡を追ってみる。

下に示したのが,距離と通過タイムをグラフにしたものである。

Riomensmarathon

このグラフだと1位のキプチョゲ,2位のリレサ,3位のラップがほぼ重なっていて差がわかりにくくなっている。だが,いずれにしても,グラフは直線的で,ペースがほぼ一定していることがわかる(後半若干早まっているが)。

これら上位陣と猫とを比較すると,次のようなことがわかる。

中間地点ではトップと猫の通過時間の差は約11分だった。それがゴール時点では差が約37分に拡大している。グラフを見ると,下に凸の曲線,つまり,猫のスピードが徐々に落ちていった様子がわかる。

もし,猫のスピードが一定を保っていたらどうだっただろうか?ゴール地点ではトップとの差が22分程度となり,123位から126位のあたりになっていただろうと予測される。

まあ,完走したこと自体,大変なことなので,ペース維持まで要求するのは望蜀の嘆というべきか。

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今年の日テレ24時間テレビの敵は,NHK「バリバラ」だけではなかった

知る人ぞ知るNHK・Eテレのバリアフリー・バラエティー番組「バリバラ」。

よりによって日テレ24時間テレビの裏,8月28日(日)夜7:00に生放送で『検証!「障害者×感動」の方程式』というテーマをぶつけてきた。

番組内容を引用すると・・・:

「感動するな!笑ってくれ!」というコンセプトで始まったバリバラ。しかし、いまだ障害者のイメージは「感動する・勇気をもらえる」というものがほとんど。「なぜ世の中には、感動・頑張る障害者像があふれるのか?」その謎を徹底検証!スタジオでは「障害者を描くのに感動は必須か?」「チャリティー以外の番組に障害者が出演する方法は?」などのテーマを大討論!Twitterで視聴者ともつながり、みんなで「障害者の描き方」を考える。

ということで誰が何と言おうと,愛は地球を救うコンセプトの番組をターゲットにしていることが明らか。

これは強敵出現だなぁと思っていた矢先に,24時間テレビで番組パーソナリティーを務める予定だった某俳優が逮捕された。

敵は内にあり,とはこのこと。


【追記,2016年8月31日】
8月28日の「バリバラ」は大反響だったようで。
9月1日24時(9月2日0時)に再放送されるとのこと。この快挙を見逃すべからず。

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2016.08.23

そのオクラの名前は「ダビデの星」

昨日は古民家フレンチレストラン「倉(そう)」でランチを食べたわけだが,そのあとで隣の「楠こもれびの郷」の農産物直売所「楠四季菜市」に立ち寄ったわけである。

そこで購入したオクラを使っての,マグロ山掛け丼が昨日の夕飯。

Okura2dsc_0365

自然薯のとろろの上に散らばっているオクラの断面を見ていただきたい。よく知っているオクラとはちょっと違うのがわかると思う。

「ダビデの星」という品種だそうだ。

調べたらアマゾンでも売っていた。

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もうちょっと調べたら,イスラエルに伝統野菜だそうだ。だから,「ダビデの星」か。

"Okra, Star of David" (Seed Savers Exchange)

なおこの記事によると,オクラの原産地は不明だが,1216年にはエジプト人が食していたという記録があるとのこと。

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2016.08.22

宇部市万倉の古民家レストラン「倉」

かつての楠町,宇部市と合併した現在は宇部市大字西万倉に古民家を改造したレストランがある。

倉(そう)」という。

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「楠こもれびの郷」に隣接して建っている。

今日はツマとそこでランチを食べた。

2013年から営業しているというが,訪ねたのは今回が初めて。

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田舎育ちの小生としては田園が見える室内はとても居心地が良い。

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↑前菜にはカツオのマリネやカボチャのムース。

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↑サラダには角切りにされた梨が使われており,イチジクのソースがかかっている。

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↑ソテーされたタイが来て,

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↑宇部牛がメインディッシュ。トリュフを混ぜた塩を添えてある。

Sdsc_0361

↑デザートはアイス,シャーベット,パウンドケーキ,イチジク,プリンと豪華絢爛。

というわけで地元で採れた旬の野菜や果物をふんだんに使ったとてもおいしい料理を堪能。

Sdsc_0362

ごちそうさまでした。

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リオ五輪閉会式における日本のソフトパワー

リオ五輪の閉会式における日本のプレゼンテーションは良かったと思う。

椎名林檎,中田ヤスタカ,MIKIKO,ライゾマ,あとはアヤバンビ(AyaBambi),キャプ翼,ハローキティ,ドラえもん,そして安倍ちゃん=マリオ等々日本のソフトパワー(Cool Japan?)が前面に出ていた。

海外の評判もえらく良い。

"Japan's Intro at the Rio Olympics Closing Ceremony Has Us 'Super' Excited for Tokyo 2020" (by Meredith B. Kile, August 21, 2016, ET online)
"The best part of the Rio Olympics closing ceremony was the 2020 Tokyo teaser" (Quartz)


東京五輪組織委員会の理事に秋元康が入っていて,2020年の東京五輪の開会式は同じソフトパワーと言っても某巨大アイドル集団に占拠されるのではないかという懸念があった。だが,どうやらその懸念は杞憂に終わりそうである。まだ数年先なのでわからんけど。


【追記】
2020年東京五輪開会式についてネット上に思いつく限りの嫌なパターンが掲載されていたので転載する:

137 :風吹けば名無し@\(^o^)/:2016/08/22(月) 10:07:08.39 ID:RI4h/ZXK0.net
オープニングアクトは、嵐やら関ジャニやら出演の「ジャニーズ夢のコラボ」
選手入場、アニメキャラ(ドラえもん)が各国の紹介
EXILEのメンバーを乗せたお神輿が登場、なんかやたら歌い騒ぐ
石原伸太郎名誉都知事(仮)による開会宣言。話の大半は1964年の東京五輪の話題
AKBメンバーが秋葉原から国立競技場まで聖火リレー 、最終走者は谷亮子
と思いきや長嶋茂雄がヨロヨロしながら登場、実況席の徳光和夫号泣
SMAPの世界に一つだけの花(生歌)をBGMに点火
東京音頭が鳴り響き、獅子舞やらが踊り狂う
和田アキ子によるWE ARE THE WORLDアカペラ
やたら花火が打ち上げられ

うーん。同じソフトパワーであっても,日本国内だけで楽しむものと,海外に向けて見せてよいものとは明確に違うからねぇ。やはり椎名林檎+Team Perfumeの方がいい。

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2016.08.21

オリンピックに対する興味のギャップ

先日,ラオスから日本に帰ってきたわけである。

帰国後に感じたのは両国民のオリンピックに対する興味の違い。

2020年に東京でのオリンピック開催を控えており,常に国別メダルランキングで上位に位置している国と,十分な練習施設がなく,5名の選手を送り出すのがやっとの国とでは,興味に差があるのは当然のことだろうと思う。

ちなみに,ラオス(人口約600万人)よりも小さなジャマイカ(約270万人)などは60人もの選手団を送り出しており,国民の間のオリンピックに対する熱は高い。単純に人口や国力の問題ではなく,スポーツそのものに対する熱意がまず存在すること,そしてその結果として世界レベルの選手(この場合,ウサイン・ボルト)を擁していること,これらがオリンピックに対する興味の違いを生み出すということだろう。

ラオス自体は放映権を購入できなかったのかもしれない。少しばかりリオ五輪に興味のあるラオス人は,タイのテレビを通じて開会式を見て,あとは新聞を通じて情報を得ている。

Sdsc_0274_3
↑オリンピックの開会式を中継したタイの番組。鶏肉や鶏卵でおなじみのCPチャロンポカパングループとタイ・トヨタの提供でお送りしております。

小生はラオス滞在中もネットを通じて,オリンピックにおける日本勢の活躍をうかがい知ることはできたものの,周囲のラオス人にオリンピック熱がないと,何となくオリンピックにたいする興味を保つことができなかった。

帰国後ようやく他の日本人の熱に追いつこうとしている。

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2016.08.20

グレアム・グリーン『情事の終わり』を読む

ラオスへの旅のお供に持っていった本のひとつがグレアム・グリーン『情事の終わり』(田中西二郎訳,新潮文庫)である。いつもそうだが、東南アジア出張では全然東南アジアと関係のない本を持っていくことが多い。

この作品の叙述の順序を無視して,時系列的にあらすじを書くとこんな感じになる。

・・・第二次世界大戦前夜,中年の作家モーリス・ベンドリクスと高級官僚の妻サラァが恋に落ちる。戦時下のロンドンで,二人は逢瀬を重ねた。しかし,ドイツ軍のV1による攻撃を受けたある日,突如二人の関係は終わる。その二年後,ベンドリクスはサラァと再会するが,あからさまな距離感を感じ,憎しみすら抱くようになる。ベンドリクスはサラァに新たな恋人が現れたのではないかと疑い,探偵に調査を依頼する。一方,サラァは深い洞察を重ね,信仰の道を歩み始める・・・。

実際はこうした時系列の順番で話が進むわけではない。主人公&語り手のモーリス・ベンドリクスの心理の流れに沿って,戦前・戦中・戦後,1939年から1946年の間を行ったり来たりと複雑に話が展開する。こういう技巧は,かえって読みにくい感じを与えるかもしれない。

だが,小説の中盤第三章に入り,ベンドリクスの視点だけでなく,サラァの視点が加わると,これまで行ったり来たり複雑に入り組んでいた物語の展望が一気に開け,数々の謎が氷解していく。読書ならではの快感を味わうことができる,価値のある小説だ。


◆   ◆   ◆


訳者の田中西二郎が「あとがき」で述べているように,この小説の前半はモーリス・ベンドリクスが,サラァの新恋人らしき謎の人物を追跡する推理劇/ミステリーとして展開している。それが後半からはサラァ,そして謎の人物(ネタバレすると,「神」)によってモーリスが追い込まれているような展開へと変わる。

『情事の終わり』は,世の中をはすに見ているような中年作家モーリスが,至高の存在によって敗北していく小説である。


◆   ◆   ◆


2010年代に生きる我々からすると,70年前,第二次世界大戦前後を舞台とした,時代小説のように思える。

しかし,よく考えると,この小説が書かれたのは1951年。その当時にあっては第二次世界大戦というのはすぐ直近の出来事であり,当時の「現代文学」としては大戦前後の状況に触れずに物語を展開することは無理なのである。

もしも,この小説を身近に感じようとすれば,何らかの置き換えが必要になるだろう。例えば,大戦を東日本大震災に置き換えるような・・・。


◆   ◆   ◆


改めて言うが,今回持って行った『情事の終わり』は田中西二郎訳である。今から十年ほど前に買って放置していたもの。小生の本棚にはそうやって死蔵されたままの本が多い。初版は1959年なので,訳文はやや古めかしい。

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今だと同じ新潮社から上岡伸雄訳のものが出ている。そちらは未読だが,きっと読みやすいことだろう。

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2016.08.19

そういえば,ヴィエンチャンでアセアンサミットがあるんだった。

そういえば,ヴィエンチャンでは9月6~8日にアセアンサミットがあるのだった。

Sdsc_0289

7月には閣僚級会議もあった。

閣僚級会議の際はナンプー公園の周辺は戒厳令のように静かだったという。

ナンプー公園の南側にあるIbisの支配人(日本人)の話。

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2016.08.18

ラオス語で数える

ラオス訪問8回目にもなるというのに,いまだにサバイディー(今日は)ぐらいしか話せない。

なので,一念発起して数ぐらいは数えられるようにしようと思った。

ラオス語の数詞は基本的にタイ語のそれと同じである:

1 neung ヌーン
2 sawng ソーン
3 saam サーム
4 sii スィー
5 haa ハー
6 hok ホック
7 ched チェット
8 bpaed ペーット
9 gao ガオ
10 sip スィップ
100 loi ローイ

3がサーム,4がスィー,10がスィップとなるあたり,中国語との関連を感じる。

100をloiと書いたが,タイ語では巻き舌でroyと発音する。本来のラオス語ではホーイと発音するそうだ。"r"を"kh"みたいな音で発音するのはフランス語の"r"の発音のようで面白い。

ラオス語で10万,100万は次のように発音する:

100,000 neung-saen ヌーン・セーン
1,000,000 neung-lan ヌーン・ラン

ランサーン王国のランサーンとは100万頭の象,サームセーンタイ王とは30万人のタイ系民族のの王ということだった。

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2016.08.17

ラオスの人名

ラオス人、というかラオ人の名前は「名+姓」の組み合わせである。

呼ぶ時はだいたい名の方で呼ぶ。例えば、スーリヤ・センダラヴォンという男性であれば、ミスター・スーリヤである。ミスター・センダラヴォンとは呼ばない。

アジアではこういうパターンが多い。タイでも通常,名の方を呼ぶ。

日本人がイチロー・スズキであれば,ミスター・イチローと呼ばれるわけである。

ラオスでは「〇〇ヴォン (VONG)」という姓が多いと思っていたら、それは「〇〇一族」という意味であるとのこと。岩波新書の『世界の名前』という本に書いてあった。ヴィエンチャンの資産家に多いという。

今年,会った人たちのうち,姓に「ヴォン」を含む人の名を並べてみるとこんな感じ:

CHINDAVONG, SOUVANNAVONG, CHANTHAVONG, ...

確かに自家用車に乗っていて,スマホも持っていて,ラオスの平均を上回る生活水準なのだろうという感じだった。

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2016.08.16

ラオスの大統領宮殿

ワット・ホー・プラケオの隣にラオスの大統領宮殿がある。

Sdsc_0290

立派な建物なのだが、厳重に警備されている様子がない。

そういえば、"Our Man in Laos"にもこんな一節がある。

"In a country with no guard on the President's Palace, ..."

ラオスは治安が良いというか、敵対する国がないというか。

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2016.08.15

Robert Cooper "Our Man in Laos"が面白い

ヴィエンチャンのMonument booksで同地永住者のRobert Cooperが書いた"Our Man in Laos" (Lao Insight Books, 2015)を買った。

Cooperはグレアム・グリーンから着想を得たということで,タイトルはグリーンのブラック・コメディ"Our Man in Havana"(和訳名『ハバナの男』)をもじっている。

ラオスに逃げ込んだ英国人の強盗を時効前に捕まえるべく、元グルカ兵の大佐が派遣されてくる話だが、非常にユーモラスな書きぶりで面白い。

とはいえ小生はそれほど英語力がないため、辞書が常に必要なので面倒なことこのうえない。

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2016.08.14

ラオスのランチは長い

知り合いのラオス人に昼食会に誘われたのだが,ほんっとに長くて驚いた。だいたい5時間。

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午後2時ごろに始まり,ラオビアを飲みながら,アヒルとか鶏(ガーオ)とか豚(ムー)とかの肉を食べてダラダラと過ごしていたのだが,結局終わったのは午後7時ごろ。昼食ではなく,もはや夕食。

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知り合いで集まって長々とおしゃべりしながら飲食して過ごすというのがラオス人の休日の娯楽らしい。

ある意味優雅である。

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2016.08.13

ラオスにだって犬もいるし猫もいる

ラオスにだって犬もいるし,

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猫もいる:

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炎天下でも,スコールの下でも元気よく(?)生きている。

ラオス人は仏教徒なので動物にやさしいのか,犬猫は自由に暮らしているし,エサももらっている。

野良という概念は無いのかもしれない。

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2016.08.12

(続々々々)最近のおこま嬢

日本から送られてくるおこま嬢の近況を連投する。

日本では暑い日が続いているようで,猫も涼を求めて床板でグターっとしている:

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2016.08.11

(続々々)最近のおこま嬢

昨日,チャオ・アヌのことを書いたところで,植民地時代前のラオス史はひと段落。

次はフランスとタイのせめぎあいの中で現在のラオスがどのように形成されてきたか,という話だがそれは帰国後に書くことにしようと思う。

ということで今日は気分を変えて,日本から送られてきた最近のおこま嬢のご様子をアップする。

(↓)先週のおこま嬢。マットの上でくつろいでおられる。

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(↓)そしてつい昨日のおこま嬢。同じようにマットの上でくつろいでおられるが,目つきが違う。

Sdsc_0768


そういえば,こんなのもあった(↓)

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2016.08.10

ラオス史メモ:チャオ・アヌの戦い

チャオ・アヌ (Chao Anou,アヌウォンとも言う)はヴィエンチャン王国の王であった。

若いころは宗主国であるシャムのチャクリー朝(ラッタナーコーシン朝)のラーマ1世およびラーマ2世に仕え,対ビルマ戦に参加した。

ラーマ2世の推挙により,1804年にヴィエンチャン王として即位した後,シャムとベトナムの双方に朝貢した。チャオ・アヌは仏教徒の王らしく振る舞い,ワット・シーサケットなどの寺院を建立した。

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↑現在のワット・シーサケット

チャンパ―サック王国で内乱が発生した際,チャオ・アヌはこれを鎮めた。チャクリー朝はチャオ・アヌの忠誠を信じていたので,チャオ・アヌの王子をチャンパ―サック王とすることに同意した。

ヴィエンチャン王国はチャオ・アヌの下で繁栄を謳歌していた。


◆   ◆   ◆


話はさかのぼるが,シャムのタークシン王の時代,ヴィエンチャン王国はビルマのコンバウン朝に朝貢していた。タークシン王はヴィエンチャン王国を支配下に置くべく,部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スック(のちのラーマ1世)をヴィエンチャンに派遣した。

この侵攻の際,多くのラオ人とワット・ホー・プラケオにあったエメラルド仏がシャムに持ち去られた。エメラルド仏は現在ではバンコク(クルンテープ)のワット・プラケーオに安置されている。


◆   ◆   ◆


さて,1824年,ラーマ2世が崩御し,翌年,葬儀が行われた。この葬儀に参列したチャオ・アヌは新王ラーマ3世に対して,かつて連れ去られたラオ人やラオ王族の返還を求めたが,拒絶された。

このときのラーマ3世に対する恨みと,ヴィエンチャン王国の国力の充実とが,チャオ・アヌにシャムの軛から脱し,ランサーン王国を再興することを決心させたのかもしれない。また,ちょうどシャムはイギリスからの圧力(イギリスは第1次英緬戦争においてビルマに勝利していた)に悩まされているところだった。

1826年,チャオ・アヌは現在のタイ東北部イーサーン地方(もともとはランサーン王国の一部だった)に侵攻した。翌年にはシャムからの独立を宣言し,多くのラオ人を連れ帰った。

チャオ・アヌは,旧ランナー王国(チェンマイ)やラオ系の他の王国であるルアンパバーン王国,さらにヴェトナムの支援を受けられると思っていたようである(マーチン・スチュアート=フォックス『ラオス史』31ページ)。

しかし,イーサーンのナコーンラーチャシーマー太守の妻ターオ・スラーナリーによる反撃に遭い,退却を余儀なくされた(タイの歴代王朝は危機に陥った際,女性によって救われることが多い)。

1831年,ラーマ3世は討伐軍をヴィエンチャンに送り込んだ。このときの戦いでヴィエンチャンは完全に破壊され,廃墟と化した。ラオ人は連れ去れた。チャオ・アヌもバンコクに連行され,残酷な仕打ちを受けて死去した。

マーチン・スチュアート=フォックスはこのように書いている:

シャムの覇権から脱しようとしたアヌウォンの試みは,タイ(シャム)の歴史とラオスの歴史では,描かれ方がまったく異なっている。タイからすれば不満を抱いた臣下によるいわれのない反乱であるが,ラオスにとってはまさに独立闘争と見なされるものであった。この異なった認識は単に学問上のことではなく,ラオ人が現在ラオスよりもタイに多く住んでいるという事実によってさらに強化され,いまだにタイ・ラオス関係につきまとっている。(『ラオス史』31ページ)

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↑メコン河畔のチャオ・アヌ像

チャオ・アヌについては以前にも記事を書いた(「タイの政治的混乱はチャオ・アヌの呪い」)。ご参考までに。

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2016.08.09

ラオス史メモ:三王国時代

スリニャウォンサー王の崩御後に発生した王位を巡る争いは,アユタヤ朝とヴェトナム黎朝の介入を招き,ランサーン王国はルアンパバーン,ヴィエンチャン,チャンパーサックという3つの小王国に分裂した。

いずれの王国もアユタヤ朝またはヴェトナム黎朝または両方の朝貢国となっていた。


◆   ◆   ◆


旧ランサーン王国の北部に位置し,北は清朝,西はランナー王国,東はヴェトナム,南はヴィエンチャン王国と接しているのがルアンパバーン王国。ランサーン王国の旧都ルアンパバーンを拠点としていた。初代の王はスリニャウォンサーの孫,キン・キッサラート(Kitsarat)。

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ルアンパバーン王国の国旗(ただし,フランス保護下のもの。Wikipedia "Kingdom of Luang Phrabang"より)


◆   ◆   ◆


旧ランサーン王国の中部に位置し,北はルアンパバーン王国,西はアユタヤ朝,東はヴェトナム,南はチャンパ―サック王国と接しているのがヴィエンチャン王国。ランサーン王国の王都ヴィエンチャンを拠点としていた。初代の国王はスリニャウォンサーの孫,セータティラート二世。ランサーン王国最後の王でもある。

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ヴィエンチャン王国の国旗(Wikipedia "Kingdom of Vientiane"より)


◆   ◆   ◆


そして,旧ランサーン王国の南部に位置し,北はヴィエンチャン王国,西はアユタヤ朝,東はヴェトナム,南はカンボジアと接しているのがチャンパ―サック王国だった。初代の王は,スリニャウォンサーの孫娘,ノーカサット(Nokasad)女王だった。

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チャンパ―サック王国の国旗(Wikipedia "Kingdom of Champasak"より)


◆   ◆   ◆


1760年代,脅威が再びビルマからタイ系世界に迫った。

1750年に成立したビルマの新王朝,コンバウン朝による侵略である。

コンバウン朝のナウンドージー王 (Naungdawgyi)あるいはその息子,シンビューシン王 (Hsinbyushin)に率いられたビルマ軍は,1763年にランナー王国の王都チェンマイを,1765年にはルアンパパーン王国を,1767年にはアユタヤを陥落させた。

タイ系世界に秩序を回復したのは,アユタヤ朝に仕えていた潮州系タイ人,タークシン(鄭信)であった。

タークシンは文武両道の指導者であって,アユタヤ朝滅亡後,トンブリーの地に新たな王朝を建て,アユタヤ朝の旧領を回復した。さらに,ランナー王国やラオ系の三王国,さらにカンボジアを朝貢国として取り戻した。

タークシンは晩年,乱心をきたし,部下のチャオプラヤー・マハーカサット・スックに殺された。民衆の支持を得たチャオプラヤー・マハーカサット・スックはラーマ1世として即位し,これが現在まで続くチャクリー朝(ラッタナーコーシン朝)の始まりとなる。

シャムにおいて王朝の交代はあったものの,ラオ系の三王国に対するシャムの支配は続いた。

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2016.08.08

ラオス史メモ:ランサーン,二度目にして最後の黄金期

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ビルマの脅威を払いのけたのち,セーターティラート王はクメール遠征を開始し,その途上で命を落とした。

強力な王を喪ったランサーン王国では王位継承を巡る争いが起こり,在位年数の短い10人以上の王が次々に即位した。その間,ランサーンの国威は著しく減退した。

60年を越える長い混迷の時代を経て,1637年に即位したのがスリニャウォンサーである。スリニャウォンサーの統治は1694年まで続いた。この57年間にも及ぶ長い治世の下,ランサーン王国は繁栄を取り戻した。

スリニャウォンサー王の時代,初めてヨーロッパ人がランサーン王国を訪問した。オランダ東インド会社(VOC)社員のヘリット・ファン・ウストフ(Gerritt van Wuysthoff)とイエズス会宣教師ジョバンニ・マリア・レリア(Giovanni Maria Leria)神父である。両者はともにランサーン王国の繁栄について記述している。

ランサーン王国は繁栄を極めていたが,インドシナ半島の奥に位置する内陸国であるという点がやがて不利益をもたらすことになる。

マーチン・スチュアート=フォックスは次のように書いている:

「ビエンチャンの壮麗さにはかげりが見えていなかったかもしれないが,勢力の均衡は,孤立した内陸のマンダラであるラーンサーンには不利に,先進的な軍事技術を売り物にしていたヨーロッパの勢力と海上交易を行なっていた近隣王国には有利にと,ゆっくり,しかし確実に変化していた。」(『ラオス史』28ページ)

スリニャウォンサー王の治世の終わりがランサーン王国の終わりであった。

スリニャウォンサー王が崩御すると,王位継承を巡る争いが再び起こった。その際,アユタヤ朝とベトナム(黎朝)という近隣の大国が介入したことにより,ランサーン王国はルアンパバーン,ヴィエンチャン,チャンパーサックという3つの小王国に分裂してしまった。それぞれがシャムあるいはベトナムあるいは両方に服属するようになった。

こうしてランサーン王国の二度目にして最後の黄金期が終わりを告げた。

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2016.08.07

ラオス史メモ:ビルマの脅威

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インドシナ半島において9世紀から13世紀前半はクメールの時代であった。そして,13世紀後半から14世紀にかけてはタイ系民族の興隆期であった。15世紀はタイ系王国が覇権を競った時代。そして,16世紀はというと,ビルマ人にとっては栄光の時代,そしてタイ系民族にとっては危機の時代であったといえよう。

タイ系民族にとって,タビンシュエーティーバインナウンは忘れられない名前である。

タビンシュエーティーはビルマのタウングー朝の王である。そしてバインナウンはタビンシュエーティーの乳兄弟である。そもそもバインナウンという名は「王の兄」という意味を持つ。

タビンシュエーティーは若くして即位した後,1539年にモン族のペグー朝,1541年にモン族の中心都市マルタバン,1545年にシャン族のアヴァ朝を滅ぼし,ビルマの中央部を掌握した。

1547年10月,タビンシュエーティー王はアユタヤ朝への侵攻を開始。これが1949年2月まで続く第1次ビルマ・シャム戦争の開始である。この戦いの中でバインナウンは王の右腕として活躍した。タビンシュエーティー王率いるビルマ軍は王都アユタヤに迫ったものの(第1次アユタヤ包囲),かの王妃スリヨータイの奮戦などもあり,アユタヤを陥落させるまでには至らなかった。

ビルマ軍の強さの原因の一つには,鉄砲を携えたポルトガル人傭兵隊の存在があった。当時の最新鋭兵器により,モン族,シャン族は平定されていったのである。しかし,第1次ビルマ・シャム戦争では,アユタヤ朝側もポルトガル人傭兵隊を擁していたため,圧倒することができなかった。

さて,第1次ビルマ・シャム戦争終結直後の1550年,タビンシュエーティー王は暗殺され,タウングー朝は混乱に陥る。これを救ったのが王兄バインナウンである。

バインナウンは国内の混乱を鎮めると,勢力圏拡大に乗り出し,1558年にはチェンマイを陥落させ,ランナー朝を服属させた。これ以後,2世紀にわたり,ランナーはビルマの属国となる。

1564年,先王の遺志を継ぎ,バインナウンはアユタヤ朝への再侵攻を開始した。王都アユタヤは再びビルマ軍に包囲され,アユタヤ朝は降伏し,属国となった(第2次アユタヤ包囲)。この後,アユタヤ朝は反旗を翻すが,1569年,王都アユタヤがビルマ軍により陥落し,アユタヤ朝は属国に戻った(第3次アユタヤ包囲)。


◆   ◆   ◆


さて,このようにタイ系民族の世界がビルマの脅威にさらされていたとき,ランサーン王国は何をしていたか?

ポーティサラート王の場合,アユタヤ朝と対立していたため,ビルマと同盟した。第1次ビルマ・シャム戦争の際は北からアユタヤ朝を攻めるよう要請されている。

セーターティラート王の場合はどうか? 1558年にランナー朝の王都チェンマイが陥落すると,セーターティラート王は防御の体制を固めた。1560年には,アユタヤ朝と同盟を結んだ。また同年,王都をルアンパバーンからヴィエンチャンへと移した。

この遷都時,チェンマイから招来し,ルアンパバーンに安置されていたエメラルド仏(プラケオ)もヴィエンチャンへと移された。エメラルド仏を安置するためにヴィエンチャンに建立されたのが,ワット・ホー・プラケオである。

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↑現在のワット・ホー・プラケオ

1569年,アユタヤが陥落した。バインナウン王が次に狙いを定めたのはタイ系最後の王国,ランサーンであった。
同年,ビルマ軍はランサーンの王都ヴィエンチャンを攻め落としたが,セーターティラート王はゲリラ戦を展開し,抵抗をつづけた。その結果,1570年,ビルマ軍は撤退を余儀なくされた。撤退するビルマ軍に対してセーターティラートは攻撃を加え,3万人の捕虜と100頭の象を手に入れたという。

ビルマの脅威が去ったためか,勝利の余勢をかってか,セーターティラート王はその後,1571年から1572年にかけてクメール(カンボジア)への遠征を試みた。しかし,そのさ中,ランサーン貴族や高僧の陰謀によりセーターティラート王は暗殺されてしまった。強力な王を喪ったランサーン王国では王位継承争いが発生。混乱に陥ることとなった。

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2016.08.06

(続々)最近のおこま嬢

相変わらず,ラオスに滞在しているわけであるが,今日はラオスの話を休みにして,最近のおこま嬢の写真をアップする。

山ブーム,パンブームに続き,空前の猫ブーム。

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↑キャットタワーの頂上にいるおこま嬢

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↑寝顔があまり可愛くないところが逆に可愛いおこま嬢。

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2016.08.05

ラオス史メモ:ランサーン王国の黄金期

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16世紀,ランサーン王国が巨大な帝国に成長する最初で最後の機会があった。

以前その話を物語仕立てで書いてみた(「百万の田と百万の象の帝国:失われたラオ人の帝国」)が,ここでももう一度取り上げてみたい。

ランサーン王家には長子相続や立太子制度のような仕組みがなかったため,王が崩御した後,必ずと言ってよいほど王位継承を巡る争いが生じた。このような争いはランサーンの国力を弱める原因となった。

ただし,治世の長い王がいた場合にはランサーンは繁栄した。

ウィスン(Visoun / Vixun / Visunarat, 在位1500~1520年),ポーティサラート(Photisarath, 在位1520~48年),セーターティラート(Setthathirath, 在位1550~1571年)の親子三代の王たちは,それぞれ在位年数が長く,ランサーンは繁栄し,黄金期を迎えていた。

ウィスンの時代にはラオス人の文化,宗教観が形成された。

ランサーン王国の建国神話を記したニターン・クンブロムが作成されたのはウィスンの治世下であったし,初代のファーグムがアンコール朝から招来した仏像を王都シエンドーンシエントーンに安置することを決定したのはウィスンであった。この仏像はパバーン仏と呼ばれており,これに由来して,シエンドーンシエントーンは後にルアンパバーンと呼ばれるようになる。

ウィスンの子,ポーティサラートは敬虔な仏教徒だった。民間の精霊(ピー)信仰を禁じ,多数の寺院を建立した。

ランサーンが繁栄し,勢力圏を拡大するにつれ,周辺の国々との衝突が激しくなってきた。

ポーティサラートはビルマと同盟を結び,1535年,1539年,1548年の3回にわたってアユタヤに侵攻した。

1540年にはアユタヤ朝が大軍を以てランサーン王国に侵攻した。しかし,サラ・カムの戦いでアユタヤ軍はランサーン軍に破れ,膨大な死者を出して敗走した。

1548年の侵攻はビルマ・シャム戦争の一環として行われた。ビルマ・ランサーン連合軍を迎え撃ったのは,アユタヤ朝のマハー・チャクラパット王と王妃スリヨータイである。王妃スリヨータイは夫を守って戦死したと言われている。この勇敢な王妃の話はタイでは大人気で,映画にもなっている(↓)。

ところで,ポーティサラートはランナーの王女を妃に迎えていた。ポーティサラートとランナーの王女の間に生まれたのがセーターティラートである。

セーターティラートの外祖父にあたるランナー王が1546年に崩御すると,ランナーの王族に男子がいなかったため,セーターティラートがランナー王として即位することとなった。

その後,1548年,ポーティサラートが象に押しつぶされて亡くなるという事故が発生した。これでセーターティラートはランサーンとランナーという2つの王国の王位を継承することとなった。

しかしながら,セーターティラートがランサーン王位を継ぐため,ランナーを離れると情勢は一変。ランナーの官吏や貴族たちが別の人物をランナー王として擁立した。

これにより,ランサーン・ランナー二重帝国が誕生する機会は永遠に失われた。

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2016.08.04

ラオス史メモ:ランサーン王国の創建

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13世紀から14世紀にかけて,メコンおよびチャオプラヤー川流域でタイ系の国々が次々に誕生した。ランナー,スコータイ,アユタヤ,そしてラオ人の国,ランサーンである。

ランサーン王国の建国(1353年)におけるファーグム (Fa Ngum) 王の功績は,ニターン・クンブロム (Nithan Khun Borom)という年代記に書かれている。しかし,ニターン・クンブロムは叙事詩であって,その記述内容をすべて信じるわけにはいかない。

グラント・エヴァンスの著書"A short History of Laos"によれば,ファーグム王およびその息子・サームセーンタイ王の存在はスコータイや中国といった他国の年代記からも確認できるとのことである。しかし,クメールやランナーの記録には出てこないらしい。

The actual existence of Fa Ngum is recorded on a Sukhothai stele as a lord from across the Mekong, and his son Sam Saen Thai seems to be mentioned in Chinese sources. There are, however, no other corroborating sources from Cambodia,Ayudhya, Vietnam or Lan Na. (Grant Evans "A short History of Laos", p.10)
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信頼性には乏しいが,ファーグム王の事跡は次の通りだという。

まず,ファーグムはシエンドーンシエントーン(後のルアンパバーン)の王族に生まれた。ファーグムは若いころ,よくわからない理由により父王に追放され,アンコール朝に逃れた。アンコール朝で妃と兵力を得たファーグムはシエンドーンシエントーンへの帰路に就いた。その途上で様々なムアンを征服し,王位に就いた。

ファーグム王はベトナム,ランナー,アユタヤと条約を結び,勢力圏を確定した。以上がランサーン王国の建国過程である。

しかし,ファーグム王は即位から20年足らずの1371年に謎の理由により追放されてしまう。

ファーグム王の妃がクメール人であったことでもわかるように,ファーグム王の後ろ盾はアンコール朝であり,宮廷には多くのクメール人が入り込んできたようである。妃がラオ人の間に上座部仏教をもたらし,ファーグム王がアンコール朝から仏像を招来するなど,ランサーン文化にはクメール文化の影響が強く表れていた。

マーチン・スチュアート=フォックスは,ランサーンの宮廷内においてクメール勢力と旧来のラオ人貴族らとの間に軋轢が生じ,それがファーグム王の追放に結び付いたのではないかと推測している。

マーチン・スチュアート=フォックスは1368年に起こった2つの事件に注目している。一つはアンコール朝の後ろ盾である元朝が明によって倒されたこと(トゴン・テムルの大都放棄)。もう一つはファーグムの妃の死である。この二つによってクメール人勢力は弱まり,ファーグム王は追放されてしまったというのである。

ファーグム追放の後,その息子,サームセーンタイ王が即位する。サームセーンタイとは「30万のタイ系の人々の王」という意味であり,その威光がしのばれる名である。

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2016.08.03

ラオス史メモ:ランサーン王国以前

青山利勝著『ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像』(中公新書)では,19世紀以前のラオスの歴史をバッサリと省略しているが,これは正しい姿勢かもしれない。

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というのも「ラオス史」というもの自体に大きな議論があるからである。

先日紹介したマーチン・スチュアート=フォックスは『ラオス史』(めこん)の中でこう書いている。

ラオス人以外の歴史家,特にアイデンティティーや伝統の形成,史料批判についてポスト・モダン的思考の影響を受けた人にとって,ラオス史の継続性は明白なものとは言えない。ラーンサーンの解体とフランス領ラオスの成立との間には約2世紀の隔たりがある。さらに,ラーンサーンの後継王国はラーンサーンを継承していると声高に主張したが,1828年からの65年間,そうした主張をするのに最も適した国はもはや存在していなかった。1893年,ラオスと呼ばれる政治的実体が再び形成された時,領土はかつてのラーンサーン王国の半分以下となり,人口もその一部が含まれているだけであった。実際,フランスがインドシナ連邦の1区域として創出し,ラオ人が1945年に独立国家に昇格させたものは,ラオ人による初期マンダラの直系の後継者であると全面的に主張できるはずもない新しい実体であった。(『ラオス史』34ページ)
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とはいえ,現時点でのラオス側の公式見解に立てば,ランサーン王国こそがラオス人およびラオス国家のアイデンティティーの基礎である。ラオスに関わる者にとって,ランサーン王国に関する知識は必須のものである。

そこで,今回から数回に渡ってランサーン王国についてのメモをまとめてみる。


◆   ◆   ◆


ファーグム王によるランサーン王国の建国(1353年)について語る前に,タイ系民族(英語では現在のタイ人を意味するThaiと区別してTaiと書く)の南下について触れないといけない。これはヨーロッパにおけるゲルマン民族,アフリカにおけるバンツー系民族の大移動に匹敵するレベルの民族大移動である。

だいぶ前の記事「メコン流域国について勉強中」でも書いたが,ここでおさらい。

タイ系民族は紀元1世紀前後に中国南部(雲南省南東部~広西省西部)から南下を始めた。おそらく,漢帝国の支配領域の拡大=漢族の南下による圧力を受けたためだろう。

タイ系民族の中にはミャンマー方面に移動したグループもいるが,ここではメコン川に沿って南下したタイ系民族の話に絞る。移動ルートを下図に示す。

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タイ系民族の大移動は何世紀にもわたるものであるが,8世紀~9世紀初頭にはタイ系民族のムアン(くに)がタイ最北部に成立していた。ムアンというのは近代の領域国家とは異なり,古代日本の国々と同じく,村落がゆるく結合してできた小国のことである。

さて,9世紀から13世紀ごろ,インドシナ半島で勢力を誇っていたのが,モン・クメール系民族のアンコール朝=クメール帝国である。

アンコール朝は現在のシェムリアップ付近を拠点として9世紀に成立。次第に勢力を拡大し,12世紀前半スーリヤヴァルマン2世の治世下,かのアンコール・ワットを建設した。そして,ジャヤバルマン7世(在位1181~1218年)のとき,インドシナ半島のほぼ全域を領土とした。いわゆるクメール帝国の成立である。

このクメール帝国の勢力圏に入り込んできたのがタイ系民族である。ジャヤバルマン7世が崩御後,クメール帝国の支配力が弱まり,13世紀および14世紀にはクメール帝国の勢力圏内にいくつものタイ系王国が樹立された。

マンラーイ王に率いられてメコン川流域を離れ,別の大河川,チャオプラヤー川上流のチェンマイに拠点を構えたタイ系民族のグループがある。このグループはランナー(「百万の田」の意)王国を成立させた(1259年)。後に触れるように,ランサーン王国と縁の深い兄弟国である。

チャオプラヤー川沿いに南下を続け,スコータイの地を拠点としたグループもある。これが現在のタイ王国を建国した人々,小タイ族,別名シャム族である。シャム族の人々はスコータイからクメール人を追い出してスコータイ朝を築いた(13世紀)。

チャオプラヤー川のさらに下流,現在のタイ王国の中部アユタヤに成立したのが,アユタヤ朝である(1351年)。この王朝はアンコール帝国の版図を蚕食して勢力を広げ,やがてはスコータイを服属させるようになる。

ここまではチャオプラヤー川には移ったタイ系民族について述べたが,そのままメコン川に沿って広がったグループもある。このグループをラーオ(ラオ)族という。13世紀中ごろまでにメコン川流域の広い範囲に定住していた。そして1353年,ラオ族のリーダー・ファーグム王が,ルアンプラバン(ルアンパバーン。旧名はシエンドーンシエントーン)を拠点としてランサーン(「百万頭の象」の意)王国を築いた。


◆   ◆   ◆


13世紀および14世紀にタイ系民族の王国が続々と誕生した背景には,モンゴル帝国/元王朝の影響があるとマーチン・スチュアート=フォックスは『ラオス史』(めこん)の中で指摘している。

そもそもランナー王国の始祖,マーンライ王がタイ最北部を離れ,チェンマイに移った原因の一つには,元による雲南・大理遠征によって,南詔国の首都,大理が陥落(1253年)したことが挙げられる。もっとも,後にランナーは元に対して朝貢することにしたわけであるが。

ジャヤバルマン7世崩御後,激しい後継者争いなどもあってアンコール朝の栄華には陰りが見えてきていた。そこにさらに打撃を与えたのが元の侵攻である(1283年)。こうしてモン・クメール系民族の力が弱まるにつれ,タイ系民族の指導者たちが覚醒し,続々とタイ系王国を築き始めたというわけである。

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2016.08.02

ラオスのビジネス環境

ラオスは投資先として魅力があるかというとなかなか答えづらいものがある。

単に人件費の安さだけを求めて進出すると失敗する。

それはよその国では見られないラオス人の国民性に由来する。

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ラオス人の国民性のつかみにくさは20年ほど前の書籍,『ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像』(青山利勝,中公新書)にも書かれていたことである。

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まじめだが嫌なことはしたくない。安い賃金でも働くが,時間外労働には応じない。家の用事だの法事だのの方が重要。

そういう人々に対して日本式の「5S」とか「カイゼン」とかを押し付けると,多くは逃げ出してしまうわけである。

以前,「ぼくのかんがえたさいきょうのラオスじん」という記事の中で,だらだらと考察してみたが,「寛容」「プライド」「享楽的」というキーワードで整理してみると,なんとかラオス人の国民性を把握できそうである。

人に物事を強制しないのと同時に人から物事を強制されたくない。恥をかきたくないのと同時に人に恥をかかせたくない。

そういう精神からは,恥かきベソかき汗を流しながら刻苦勉励するという態度は出てこないわけである。

だが,考えてみると,こういう国民性は,大国のはざま(大マンダラのはざま)で翻弄されてきた歴史的経緯のもとで形成されてきた,無駄な衝突を避けるための智慧のようなものかもしれない。


◆   ◆   ◆


国民性以外のビジネス環境としての厳しさをもう一つ挙げよう。それは,人口の少なさである。ヴィエンチャンこそそれなりに人が集まっているが,ちょっと田舎に行くと過疎状態。ラオスに進出した日系企業の幹部の最大の仕事は人集めである。

ある村に工場を建てたとしても労働者がそろわない。その村のみならず近隣の村々を回り,村々の偉い人々に土産を持って行ったり,お酒をふるまったりする。そして若い人々を紹介してもらう。それが,日系企業の幹部の最重要任務である。

近所に他の日系企業があったりするとさらに大変である。人材の取り合いになる。人材募集のエリアを拡大せざるを得ない。

こうしてやっと人がそろったとしても油断はできない。先ほど述べたような国民性のため,割り増し給与があったとしても時間外労働が増えたら退職者が続出する。また,農業の繁忙期は危ない。それを機に実家に帰って職場に戻らないというケースは多々ある。


◆   ◆   ◆


このように書いていくと,ラオスは投資先として絶望的な感じがしてくるが,そうでもない産業もある。

日系の某漢方薬企業はラオスで薬草の農園を拓いている。これは結構うまくいっているらしい。

毎日毎日,水をやり,草むしりをし,収穫する。こういった時間のかかる単調な作業――だが,無理なことはせず,競争もなく,日の出に始まり日の入りに終わる周期的な作業――はラオス人の国民性にフィットしているようで,ラオス人労働者たちは,まじめに農園の運営をしているのだそうだ。

アグリビジネス。それはラオスにおける投資先として見込みがある分野かもしれない。


【追伸】
ラオスにおける例外的な勤勉さで知られた「ナンプーコーヒー」の親父さんおよび店員だったが,残念ながら,先ごろレストラン経営を終了してしまった。

「ナンプーコーヒー」は食品と雑貨の店になってしまった。

さらば「ナンプーコーヒー」のカオ・ピヤック。

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ラオスの国花:ドクチャンパ

ラオスの国花,ドクチャンパ (Dok Champa)がよく咲いている。

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英語ではPlumeriaと呼ばれる。夾竹桃の一種である。

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2016.08.01

(続)最近のおこま嬢

8月になってしまった。

相変わらずラオスにいながら,日本の家にいるおこま嬢の写真を掲載するわけである。

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マットからはみ出して寝るというのが乙なところである。


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