井出幸男『宮本常一と土佐源氏の真実』を読む
どえらい本が出たなぁ,というのが第一印象。
宮本常一の唱える「生活誌」の一つの成果であり,また同氏の業績の一つとして重要な位置を占める『土佐源氏』(『忘れられた日本人』所収)。それは,土佐(高知)の博労の人生と性遍歴の聞き書きである。
かねてから『土佐源氏』は民俗資料ではなく,創作ではないのかという疑念が寄せられていた。これに対し,宮本常一は採集した資料であることを生涯に渡り繰り返し主張してきた。網野善彦は『忘れられた日本人』の解説において『土佐源氏』(創作の可能性を明確には否定しなかったものの)「最良の民俗資料」として賞賛した。一般には,やはり『土佐源氏』は民俗資料として認識されている。
しかし本書は,『土佐源氏』には実は地下出版物『土佐乞食のいろざんげ』という原作があったということを検証している。
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『土佐源氏』は土佐の博労からの聞き書きにしては,語り口が土佐弁らしくなく,むしろ周防大島の言い回しが多くみられる。こういう状況証拠によってすでに民俗資料ではなく創作ではないかという疑念が生じる上に,決定的なのは『土佐乞食のいろざんげ』(青木信光が紹介した)というほとんど同じ内容の(それどころか『土佐源氏』よりも豊富な内容を持つ)地下文学が存在するということである。『土佐乞食のいろざんげ』は作者不詳とされているが,本書の検証を踏まえると宮本常一の作品である可能性が高い。
著者は,宮本常一が『土佐乞食のいろざんげ』を執筆するにあたって『チャタレイ夫人の恋人』『四畳半襖の下張』等から影響があった可能性を指摘しており,これは注目に値する。佐野眞一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫)には,『土佐源氏』執筆当時,宮本常一が男女関係について悩んでいたことや『チャタレイ夫人の恋人』を読んでいたことが示されており,このことを踏まえての推測である。
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本書の著者の狙いは宮本常一の業績である『土佐源氏』を貶めることではない。「その成り立ちについて,検証を尽くしたうえで,あるべき正当な評価の道を見出したい」(本書34ページ)ということである。
検証の内容については本書を読んでいただくとして,本書の著者は『土佐源氏』の位置づけについて次のように述べている:
「これまで縷々述べてきた成立の経緯からも明らかなように,『土佐源氏』は原作も改作も含めて,何よりもまず宮本自身の肉体と観念を通じて生み出されてきた「文学作品」であることを認識すべきであろう。「民俗資料」としての意味を考えるのは,そのことを確認し十分承知した上でのことである」(本書68頁)
先に触れた佐野眞一は『旅する巨人』の中で宮本常一をノンフィクションライターとしてとらえ,最大級の共感を以て宮本常一の姿勢を肯定するわけである。しかし,それはそれとして,結局は,『土佐源氏』は文学作品としての価値を持つものの,民俗資料としては肯定しえないというのが本書の示唆するところである。
ここからは小生の雑感。
小生などはバイオマスの歴史を研究するにあたり,宮本常一が山林の経営や薪の使用について記した著作を参考にし,教えられることが多かったわけである。宮本常一の博識と行動力には脱帽するばかりである。ただ,その記述については学術的というよりは一般向けという書きぶりで,学術資料としての物足りなさを感じていた。
「私の様に民俗の採集を学問とするよりも詩とせんものには」
と宮本常一は「左近翁に献本の記」という文章の中に記しているそうだが,やはりそういう姿勢だったからだろうか,と思う。
『土佐源氏』にしても「学問とするよりも詩と」することを選んだ結果としてとらえるべきであろうか。
本書の著者は元は高知大学の教授であった人で,さらにその前は新聞記者であったという経歴の持ち主である。厳密さを疎かにしない学究としての見識と,真実を見極めようとするジャーナリストとしての姿勢とが相まって,本書は非常にスリリングかつ面白い内容に仕上がっている。
『土佐乞食のいろざんげ』に関しては,その全文が資料として本書に掲載されている。これと『忘れられた日本人』(岩波文庫)所収の『土佐源氏』とを見比べてみれば,著者の主張のリアリティはさらに増すことだろう。
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