« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »

2016.07.31

最近のおこま嬢

小生はラオスにいるのだが,ツマから家のおこま嬢の写真を送ってきたので掲載する次第。

Dsc_0744s_2

キャットタワーに乗り,西日に向かって座っておられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.30

『ラオス史』(めこん)の読み直し

東南アジア史の大家,マーチン・スチュアート=フォックスによる『ラオス史』(めこん)を読み直しているところである。通常だと読み飛ばしてしまいそうな序章が面白い。

ラオス史ラオス史
マーチン スチュアート‐フォックス Martin Stuart‐Fox

めこん 2010-11
売り上げランキング : 38113

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

マーチン・スチュアート=フォックスはこの本の意義,位置づけについてしっかりと書いている。

歴史書の書き方はいろいろある。「△△年,○○王が××をした。」というような,特定の人物の事跡を連ねていくのはどちらかというと古い書き方である。有名人の事跡よりも集団を,民衆を,少数派を,社会制度を,環境を,世界との関連を・・・というように,多様な主体によって成立する,一筋縄ではいかないシステムを描くのが昨今の歴史書の叙述スタイルだと思うのだが,本書はあえて古い叙述の仕方を選んでいる。

というのも,

「21世紀のグローパル化に国家が翻弄される時,多民族からなるラオスの人々が直面する課題の最たるものは,包括的なラオスアイデンティティーを再強化するのに役立つ歴史叙述の構築」(本書16ページ)

が求められており,この本はそのための歴史書だからである。

そのため,そもそもラオスという国のかたちが出来上がったのはそんなに古い話ではない,とか,現在のラオスはランサーン王国からの連続的した歴史を持つ国家ではない,とか,ラオス人というのは多様な民族で構成されていて,いわゆるラオ人たちの歴史に絞った叙述は適切ではない,とかいったような,現代の歴史家から呈されそうな様々な問題をわかったうえで,

「ラーンサーン王国からラオス人民民主共和国にいたるラオスの歴史は連続しているとのラオス人の主張を支持して」(本書14ページ)

歴史上のラオ人の指導者たちとその敵対者たちの行動の記述を中心に,この本は書かれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴィエンチャン市中レート:1円=76.5kip

ヴィエンチャン市内で両替してみたのだが,本日のレートは1円=76.5kipだった。

600pxflag_of_laos_svg


過去,本ブログで取り上げたレートは以下の通りである:

ヴィエンチャン市中レート:1円=64.6kip」(本ブログ,2015年8月11日)
ヴィエンチャン市中レート:1円=76.37kip」(本ブログ,2014年2月14日)
ヴィエンチャン市中レート:1円=82kip」(本ブログ,2013年2月22日)
【ヴィエンチャン市中レート】1万円=890,000kip」(本ブログ,2010年2月19日)


ずっと円安kip高の傾向が続いていて,昨年8月は,1円=64.6kipという最悪(?)の交換レートだった。しかし,今回は一昨年並みに円の強さが戻ってきた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.28

今年もラオスにやってきました。

さて,今年も恒例のラオス出張。

まるで騙されているかのように,何事もなくスムースにヴィエンチャン入りしたわけである。

600pxflag_of_laos_svg

市中レートの確認やら関係者各位への挨拶やらは明日以降のお仕事ということで。

そういえば,数日前までASEAN首脳会議やっていたんだっけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.24

佐村河内守についてのドキュメンタリー『FAKE』を見てきた

この土曜日,ツマと一緒にYCAMに出かけ,佐村河内守を取り上げた映画『FAKE』(森達也監督)を見てきた。

この映画,メッチャやばい。頭が混乱する。

見ているうちに,次第に佐村河内守とその妻・香さんがとても魅力的な人々に思えてくる。

最初は疑いの目を以て,あるいは蔑みの目を以て佐村河内守という人物を見ていた人々の多くは,この映画を見ているうちに佐村河内夫妻に感情移入していくことになるだろう。

そして,佐村河内守に対して年末特番への出演を依頼するフジテレビのスタッフ。佐村河内守の「悪事」を暴き糾弾した筈のノンフィクションライター・神山典士。佐村河内守のゴーストライターを務めてきたという現代音楽家・新垣隆。これらの人々がむしろ不誠実な人物たちのように見えてくるから恐ろしい。

例えばこんな演出がある。今を我が世の春とばかりにテレビや雑誌に登場する新垣隆。これを自宅で黙って見つめ続ける佐村河内守。こうした対比を繰り返し見ているうちに「ゴーストライター騒動」後に定着した両者の評価の逆転が起こる。これは恐るべき演出の効果だ。

"WIRED"誌のインタビュー記事(「『FAKE』――それは付和雷同の国への楔:森達也、15年ぶりの新作を語る」)において,森達也は「純愛映画を撮ったつもりですけど」と言っているのだが,この映画,実際,佐村河内守と妻・香さんとの美しい夫婦愛のドキュメンタリーとして見ることができる。上映会場でも佐村河内守が香さんへの感謝の気持ちを述べるシーンで,聴衆のすすり泣く声すら聞こえた。こっちももらい泣きしそうになった。

『FAKE』のパンフレットでは作家の岡映里が「すべてを喪ってなお残るもの」という文章を寄せているのだが,その中で岡映里が触れているように,このドキュメンタリーは失意から立ち上がる物語でもある。森達也は決して無色透明・永世中立の監督ではなく,佐村河内守に介入することによって,佐村河内守を作曲家として再生させてしまった。

こういう風に書いていくと感動のドキュメンタリーという感じなのだが,じつはそう簡単な話ではない。

夫婦の純愛,失意からの再生ということが描かれているのは間違いないのだが,それらすらひっくり返そうとする演出が出てくるあたり,この映画は一筋縄ではいかない,複雑な映画でもある。

佐村河内守の引き起こした騒動,その全貌はこの映画では完全には明らかにならない。ただ,神山典士や新垣隆が主張することだけが真実ではなさそうだ,ということを観客に感じさせる。『FAKE』のパンフレットで重松清が「豊穣なグレイゾーン」と言っているが,まさしくその通り。


「真実とは何か。虚偽とは何か。この二つは明確に二分できるのか。メディアは何を伝えるべきなのか。何を知るべきなのか。そもそも森達也は信じられるのか。」(森達也,『FAKE』公式プログラムより)


【追記】

2016年7月8日付で新垣氏所属事務所からこの映画に対する見解が出ているので,リンクを張っておく:

映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務​所の見解

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2016.07.21

書簡によるクーデター:トルコにおける1971年のクーデター

1971年3月12日,メムドゥフ・ターマチ(Memduh Tagmac)参謀総長からデミレル首相に対して書簡が手渡された。「書簡によるクーデター」の始まりである (1971 Turkish military memorandum)。

Flag_of_turkeysvg


◆   ◆   ◆


5月27日のクーデターの翌年,1961年10月に行われた総選挙ではイノニュ率いる共和人民党が比較第一党となった。しかし共和人民党は過半数を占めてはおらず,政局は不安定なままだった。

1965年の総選挙では,デミレル率いる公正党が大勝した。公正党は先のクーデターで倒された民主党の後継政党であり,中道右派路線を採っていた。与党が議席の過半数を占めていることにより,比較的安定した政権運営が可能となっていた。

公正党政権の下,トルコ経済は順調に成長した。しかし,国内の経済格差は拡大していった。

公正党政権が積極的に推し進めた外資導入は,経済成長を促した一方で,国内の中小資本家や商人に対して打撃を与えた。農業の機械化は,生産性を向上させ,地主層や富農層に恩恵をもたらしたものの,農業労働者を失業に追い込んだ。経済格差に不満を持つ者たちは左右両翼の政治活動に身を投じていった。


◆   ◆   ◆


さて,先のクーデターの後,1961年5月に制定された憲法の内容は民主的なものだった。この憲法の下,トルコ国内の言論や政治活動は活発化したが,同時に左右両勢力の衝突も激しいものとなった。

左派勢力としては左派学生運動,トルコ労働党,革命的労働者組織といったものが,右派勢力としては反世俗主義でイスラム原理主義的な国民秩序党,汎トルコ主義を掲げる民族主義行動党といったものがあった。

1969年の総選挙では,デミレル率いる公正党が再び大勝したものの,上述の経済格差拡大を背景として,左右両勢力による街頭デモ,ストライキ,テロが繰り返され国内は騒然とした状況になっていた。

1971年1月以降,混乱は極限に達した。過激派の大学生による銀行強盗や米国軍人の誘拐,ネオファシスト団体による爆弾テロ,全国的なストライキ,国民秩序党による反ケマリズム運動の激化,等々が発生し,デミレル政権は機能不全に陥った。

このような状況で始まったのが,軍部の「書簡によるクーデター」である。


◆   ◆   ◆


軍部が書簡により要求したのは「民主主義の枠組みの下,強く信頼に足る政府を樹立すること」であった。

そして,当時の無政府状態,同胞同士の殺し合いを終わらせ,「アタテュルクの慧眼」に習い,憲法の下,政治改革を推し進めていくことが新政府の役割であると主張していた。

このあと,デミレル内閣は退陣し,4月27日に戒厳令が布告された。

戒厳令の下,学生組織は解散,政治集会,左翼系出版物,ストライキは禁止となった。

民政への移管は1973年10月の総選挙まで待つこととなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.20

5月27日のクーデター:トルコにおける1960年のクーデター

1960年5月27日未明,アルパスラン・トゥルケシュ(Alparslan Turkes)大佐に率いられた若手将校ら38人(37人とも言う)がクーデターを起こし,トルコの民主党政権を倒した。

Flag_of_turkeysvg


◆   ◆   ◆


1960年,トルコの社会経済は混乱の極みにあった。米国による経済支援(トルーマンドクトリンマーシャルプラン)は終わりつつあり,トルコ経済は困難に直面していた。10年以上続く民主党政権に対して,学生による抗議デモが繰り広げられていた。

そのような状況下で,アドナン・メンドレス(Adnan Menderes)首相は新たな経済支援の道を求めてモスクワ訪問を計画していた。

同じ頃,アルパスラン・トゥルケシュ大佐たちはクーデターを計画していた。アルパスラン・トゥルケシュ大佐はアメリカで反共教育を受けてきた将校団の一人だった。クーデター首謀者たちにとって,民主党政権の振る舞いは国是ケマリズムからの逸脱であった。

1960年5月27日の午前3時からクーデターは始まり,犠牲者を一人も出さないまま終了した。その日の朝,アルパスラン・トゥルケシュ大佐はラジオで「偉大なるトルコ国民よ」と呼びかけ,「トルコ史における一時代の終わりと新時代の到来」を宣言した。

このクーデターによってジェラル・バヤル大統領,アドナン・メンドレス首相,閣僚,民主党議員,そのほか政府高官らが逮捕された。

また,235人の将軍,3000人以上の士官が解任され,500人以上の裁判官や検察官,1400人以上の大学教員が追放された。

クーデター後成立した臨時政権:国家統一委員会の首相兼国防相には人望の厚いジェマル・ギュルセル将軍が就任した。


◆   ◆   ◆


クーデター後,マルマラ海のヤッスアダ島において旧政権閣僚に対する裁判が始まった。罪状は汚職,憲法違反,そして反ギリシャ人暴動「イスタンブール・ポグロム」の謀議だった。

1961年9月15日,ジェラル・バヤル大統領,アドナン・メンドレス首相,ファティン・リュシュトゥ・ゾルル外務大臣,ハサン・ポラトカン財務大臣など15人に死刑判決が下った。

国際社会からの抗議により,上述の4名の主要閣僚以外に対しては恩赦が出されたものの,ファティン・リュシュトゥ・ゾルル外務大臣,ハサン・ポラトカン財務大臣に対しては翌日,死刑が執行された。

アドナン・メンドレス首相は処刑に先立って自殺を図ったため,処刑延期となったが,9月17日に改めて刑が執行された。

ジェラル・バヤル大統領に対しては高齢を理由に刑は執行されなかった。

翌月15日,トルコでは総選挙(参照)が行われた。新たな首相には総選挙で比較第一党となった共和人民党の党首,イスメット・イノニュが選ばれた。イノニュは建国の父アタテュルクの盟友であり,大統領,首相を何度も経験したベテラン政治家だった。

クーデターから1年で民政移管は果たされた。しかし,軍部の影響力は1965年の総選挙まで続くこととなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.14

にわかに注目される「最後の上皇」光格天皇

今上陛下が「生前退位」の意向を示されているという話,大ニュースと化して,海外メディアでも取り上げられている:

"Japan's Emperor Akihito plans to step down, according to report" (the guardian, 13 July, 2016)

ここでにわかに注目を浴びているのが,現時点では「最後の上皇」となっている光格天皇(在位1780~1817年)のことである。約200年前に退位された方。

事績を調べてみると,結構非凡なことをされている:

崩御後のことであるが,漢風諡号が復活したというのも特筆するべき点だろうと思う。

光格帝以降,政治における天皇家の存在が重要性を増し,現代にいたるわけで,時代の潮流を変えた人物と言えよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.12

井出幸男『宮本常一と土佐源氏の真実』を読む

どえらい本が出たなぁ,というのが第一印象。

宮本常一の唱える「生活誌」の一つの成果であり,また同氏の業績の一つとして重要な位置を占める『土佐源氏』(『忘れられた日本人』所収)。それは,土佐(高知)の博労の人生と性遍歴の聞き書きである。

かねてから『土佐源氏』は民俗資料ではなく,創作ではないのかという疑念が寄せられていた。これに対し,宮本常一は採集した資料であることを生涯に渡り繰り返し主張してきた。網野善彦は『忘れられた日本人』の解説において『土佐源氏』(創作の可能性を明確には否定しなかったものの)「最良の民俗資料」として賞賛した。一般には,やはり『土佐源氏』は民俗資料として認識されている。

しかし本書は,『土佐源氏』には実は地下出版物『土佐乞食のいろざんげ』という原作があったということを検証している。

宮本常一と土佐源氏の真実宮本常一と土佐源氏の真実
井出 幸男

新泉社 2016-03-18
売り上げランキング : 226773

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

『土佐源氏』は土佐の博労からの聞き書きにしては,語り口が土佐弁らしくなく,むしろ周防大島の言い回しが多くみられる。こういう状況証拠によってすでに民俗資料ではなく創作ではないかという疑念が生じる上に,決定的なのは『土佐乞食のいろざんげ』(青木信光が紹介した)というほとんど同じ内容の(それどころか『土佐源氏』よりも豊富な内容を持つ)地下文学が存在するということである。『土佐乞食のいろざんげ』は作者不詳とされているが,本書の検証を踏まえると宮本常一の作品である可能性が高い。

著者は,宮本常一が『土佐乞食のいろざんげ』を執筆するにあたって『チャタレイ夫人の恋人』『四畳半襖の下張』等から影響があった可能性を指摘しており,これは注目に値する。佐野眞一『旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫)には,『土佐源氏』執筆当時,宮本常一が男女関係について悩んでいたことや『チャタレイ夫人の恋人』を読んでいたことが示されており,このことを踏まえての推測である。

旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)旅する巨人―宮本常一と渋沢敬三 (文春文庫)
佐野 眞一

文藝春秋 2009-04-10
売り上げランキング : 156662

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


◆   ◆   ◆


本書の著者の狙いは宮本常一の業績である『土佐源氏』を貶めることではない。「その成り立ちについて,検証を尽くしたうえで,あるべき正当な評価の道を見出したい」(本書34ページ)ということである。

検証の内容については本書を読んでいただくとして,本書の著者は『土佐源氏』の位置づけについて次のように述べている:

「これまで縷々述べてきた成立の経緯からも明らかなように,『土佐源氏』は原作も改作も含めて,何よりもまず宮本自身の肉体と観念を通じて生み出されてきた「文学作品」であることを認識すべきであろう。「民俗資料」としての意味を考えるのは,そのことを確認し十分承知した上でのことである」(本書68頁)

先に触れた佐野眞一は『旅する巨人』の中で宮本常一をノンフィクションライターとしてとらえ,最大級の共感を以て宮本常一の姿勢を肯定するわけである。しかし,それはそれとして,結局は,『土佐源氏』は文学作品としての価値を持つものの,民俗資料としては肯定しえないというのが本書の示唆するところである。


◆   ◆   ◆


ここからは小生の雑感。

小生などはバイオマスの歴史を研究するにあたり,宮本常一が山林の経営や薪の使用について記した著作を参考にし,教えられることが多かったわけである。宮本常一の博識と行動力には脱帽するばかりである。ただ,その記述については学術的というよりは一般向けという書きぶりで,学術資料としての物足りなさを感じていた。

「私の様に民俗の採集を学問とするよりも詩とせんものには」

と宮本常一は「左近翁に献本の記」という文章の中に記しているそうだが,やはりそういう姿勢だったからだろうか,と思う。

『土佐源氏』にしても「学問とするよりも詩と」することを選んだ結果としてとらえるべきであろうか。


◆   ◆   ◆


本書の著者は元は高知大学の教授であった人で,さらにその前は新聞記者であったという経歴の持ち主である。厳密さを疎かにしない学究としての見識と,真実を見極めようとするジャーナリストとしての姿勢とが相まって,本書は非常にスリリングかつ面白い内容に仕上がっている。

『土佐乞食のいろざんげ』に関しては,その全文が資料として本書に掲載されている。これと『忘れられた日本人』(岩波文庫)所収の『土佐源氏』とを見比べてみれば,著者の主張のリアリティはさらに増すことだろう。

忘れられた日本人 (岩波文庫)忘れられた日本人 (岩波文庫)
宮本 常一

岩波書店 1984-05-16
売り上げランキング : 6427

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2016.07.11

青山利勝『ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像』を読む

いつものような新刊の紹介ではなく,20年以上前に出た本についてのメモ。

著者はラオス日本大使館で92年8月から94年9月まで2年余り勤務していた外交官。当時のラオスの社会経済情勢や独立に至るまでの道を描いている。

ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像 (中公新書)ラオス―インドシナ緩衝国家の肖像 (中公新書)
青山 利勝

中央公論社 1995-05
売り上げランキング : 374304

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

本ブログを継続してお読みの方はご存知の通り,小生は2009年以来毎年,ラオスのヴィエンチャンに出張している(参考)。なのでここ7,8年のラオスの状況についてはそれなりに把握しているつもりである。

その小生が20年余り前に出版された本書を読んでみたわけだが,

「驚くほど変わっていない」

というのが正直な感想である。

本書ではラオス人の国民性のつかみにくさを強調しているが,小生もそう思う。

ラオス人は労働意欲が低いと言われるが,その一方でナムグムダム建設の事例に見るように勤務に精励する姿も見られる。

よくよく考えれば,フランス,アメリカといったかつての支配勢力,ヴェトナム,タイ,中国といった周辺の大国の圧力に屈することなく独立を保っているのだから,単にのんびりした人々でないことは確かである。

「一見,温和でおとなしそうに見えるラオス人も,こころの底には強い意志と我慢強さを包み隠しているのであろうか」(6ページ)

と著者は語るが,その通りだろう。

また,ラオス人の頭の中では「社会主義と仏教」,「社会主義とかつての王政」とが同居しているのが不思議だと著者は語るが,ラオス人たちが社会主義を政治体制として掲げているのは,過去の経緯から選択しただけで,独立・政治的安定性を維持するための方便として掲げているのに過ぎない,と思えば,不思議ではないのかもしれない。


◆   ◆   ◆


本書の第3章ではラオスの歴史を扱っているが,ランサーン王国の栄光と凋落の話はあっさりと数ページで終わり,19世紀後半から独立に至るまでの近現代史が記述の中心となっている。

読んでいてわかりにくいのが,パテト・ラオ,ラーオ・イッサラ,ネオ・ラーオ・イッサラ,ネオ・ラーオ・ハクサート,ラオス人民党といった政治組織や政治運動の関係。同じものを改称したり,TPOに応じて別称を使っていたりするのだろうが,もう少し解説が必要だと思った。

ラオス近現代史で最も重要な人物といえば,カイソーン・ポムヴィハーンだと思う。カイソーンがラオス独立に果たした役割については,ラオスの社会主義体制を記述した第2章で触れているが,ラオス近現代史を描いた第3章では記述の重複を避けたのか,あまり触れていない。カイソーン・ポムヴィハーンについては第3章で取り上げたほうがまとまりが良かったのではないだろうか。また,上述の政治組織や政治運動の動きについてもカイソーンを中心に描けば,もう少しわかりやすかったのではないだろうか?

本書で特筆すべきことがあるとすれば,第5章で日本人が関わった3つの事件:

  • 辻政信参議院議員失踪事件(1961年)
  • 杉江臨時代理大使夫妻殺害事件(1977年)
  • 浅尾三井物産ヴィエンチャン事務所長誘拐事件(1989年)

が紹介されていることだろう。それぞれ背景を異にする事件だが,辻政信については自業自得と言えるだろう。旧陸軍参謀時代の世界観のまま,功名を挙げようとして動乱のインドシナ半島に飛び込み,命を落とした,というところだと思う。


◆   ◆   ◆


昔の「新書」,とくに政治経済を取り扱ったものは,現在では読むに堪えないものが多いのだが,本書に関しては今でもinformativeであるし,面白く読める。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.07

「太平記」ファンの皆さま,『南朝研究の最前線』が出ました

全国1000万人の「太平記」ファンの皆さま,おまっとさんでした。

洋泉社から『南朝研究の最前線』が出ました。

南朝研究の最前線 (歴史新書y)南朝研究の最前線 (歴史新書y)
日本史史料研究会

洋泉社 2016-07-02
売り上げランキング : 2559

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

最近は出張続きで疲弊しているのだが,荒廃した心をいやしてくれるのは歴史書である。

本書は1970年代から80年代に生まれた,30代から40代の若い研究者たちが主力となって執筆した最新の南朝研究の論考集である。

30代から40代を若いというかという批判はあるかもしれないが,小生から見れば年下ぞろい。

以前は中世日本の研究者と言えば網野善彦のようなはるかに年上の人々を思い浮かべていたのであるが,よくよく考えれば,年年歳歳,若い研究者が陸続として輩出されてくるわけで,小生よりも年下の研究者たちが次第に主力となってくるのは当たり前のことだ。

本書を読んで面白いと思ったのは,かつて一世を風靡していた網野史観がここにきて一掃されそうな雰囲気だということ。

かつてのカリスマ歴史学者たちは観念が先にあって,その観念に応じて証拠をそろえるようなスタイルだった。

これに対して本書の執筆者たちは,実証性を非常に重んじており,例えば雑訴決断所牒(ざっそけつだんしょちょう)といった当時の公文書等の分析を通して,「建武政権」の意思決定システムを明らかにしている。

網野善彦にかかると,後醍醐天皇などは異形化されてしまうのだが,それは図像からの発想。本書所収の中井裕子,亀田俊和の論考などを読むと,後宇多天皇の統治システムを継承した,わりと堅実な,わりと普通の統治者(治天の君)としての後醍醐天皇の姿が浮かび上がってくる。

建武政権には旧鎌倉幕府の武家官僚たちが大勢参加したし,武士たちはわりと公平に恩賞を受けた。

話としては「異形の王権」(by 網野善彦)であることの方が面白いのだろうけれど,本書で示されるのは鎌倉幕府や室町幕府と建武政権との不連続性よりも連続性の方である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.07.03

ダッカ飲食店襲撃テロ事件:ABCでは日本人の名前が出ている件

ダッカで飲食店襲撃テロ事件が発生し,イタリア人や日本人を含む多数の人々が殺害された。

今年は小生もバングラデシュの仕事を請け負っていたかもしれないので,他人事ではない。

Flag_of_bangladeshsvg

JICA業務を請け負っている「オリエンタルコンサルタンツグローバル」,「アルメックVPI」,「片平エンジニアリング・インターナショナル」の3社の社員,計7名が犠牲になったということだが,今のところ日本国内では氏名は明らかになっていない。

その一方で,米メディアABCニュースを経由して7名中4名の名が報道されている:

"Identities, Nationalities of Dead in Dhaka Restaurant Attack" (ABC by the associated press, Jul 2, 2016, 8:42 PM ET)

ここでは名を伏せるが,同記事では「片平エンジニアリング・インターナショナル」の女性男性社員1名と「アルメックVPI」の男性女性社員2名および女性男性社員1名の名が出ている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年6月 | トップページ | 2016年8月 »