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2016.07.20

5月27日のクーデター:トルコにおける1960年のクーデター

1960年5月27日未明,アルパスラン・トゥルケシュ(Alparslan Turkes)大佐に率いられた若手将校ら38人(37人とも言う)がクーデターを起こし,トルコの民主党政権を倒した。

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1960年,トルコの社会経済は混乱の極みにあった。米国による経済支援(トルーマンドクトリンマーシャルプラン)は終わりつつあり,トルコ経済は困難に直面していた。10年以上続く民主党政権に対して,学生による抗議デモが繰り広げられていた。

そのような状況下で,アドナン・メンドレス(Adnan Menderes)首相は新たな経済支援の道を求めてモスクワ訪問を計画していた。

同じ頃,アルパスラン・トゥルケシュ大佐たちはクーデターを計画していた。アルパスラン・トゥルケシュ大佐はアメリカで反共教育を受けてきた将校団の一人だった。クーデター首謀者たちにとって,民主党政権の振る舞いは国是ケマリズムからの逸脱であった。

1960年5月27日の午前3時からクーデターは始まり,犠牲者を一人も出さないまま終了した。その日の朝,アルパスラン・トゥルケシュ大佐はラジオで「偉大なるトルコ国民よ」と呼びかけ,「トルコ史における一時代の終わりと新時代の到来」を宣言した。

このクーデターによってジェラル・バヤル大統領,アドナン・メンドレス首相,閣僚,民主党議員,そのほか政府高官らが逮捕された。

また,235人の将軍,3000人以上の士官が解任され,500人以上の裁判官や検察官,1400人以上の大学教員が追放された。

クーデター後成立した臨時政権:国家統一委員会の首相兼国防相には人望の厚いジェマル・ギュルセル将軍が就任した。


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クーデター後,マルマラ海のヤッスアダ島において旧政権閣僚に対する裁判が始まった。罪状は汚職,憲法違反,そして反ギリシャ人暴動「イスタンブール・ポグロム」の謀議だった。

1961年9月15日,ジェラル・バヤル大統領,アドナン・メンドレス首相,ファティン・リュシュトゥ・ゾルル外務大臣,ハサン・ポラトカン財務大臣など15人に死刑判決が下った。

国際社会からの抗議により,上述の4名の主要閣僚以外に対しては恩赦が出されたものの,ファティン・リュシュトゥ・ゾルル外務大臣,ハサン・ポラトカン財務大臣に対しては翌日,死刑が執行された。

アドナン・メンドレス首相は処刑に先立って自殺を図ったため,処刑延期となったが,9月17日に改めて刑が執行された。

ジェラル・バヤル大統領に対しては高齢を理由に刑は執行されなかった。

翌月15日,トルコでは総選挙(参照)が行われた。新たな首相には総選挙で比較第一党となった共和人民党の党首,イスメット・イノニュが選ばれた。イノニュは建国の父アタテュルクの盟友であり,大統領,首相を何度も経験したベテラン政治家だった。

クーデターから1年で民政移管は果たされた。しかし,軍部の影響力は1965年の総選挙まで続くこととなる。

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