大名の石高はパレートの夢を見るか?
前から気になっていたことをやってみた。
江戸時代の大名の石高の分布はひょっとしたらパレートの法則(ざっくり言うと「80-20の法則」)に従うのではないかと。
パレートの法則というのは経験則で,全体の数値の大部分(8割)は,全体を構成する要素の一部(2割)が生み出している,というような内容。
これを大名の石高でいえば,全国の石高の8割を2割の大名が占めている,ということになる。
果たしてそうだろうか?
とりあえず,寛文印知に基づいて,17世紀中ごろの大名の石高をまとめてみる。
次の表に示すのが,大名の石高を高い順に並べた結果である(全部で227家):
ただし,Wikipediaにも記載されているように,甲府徳川家,舘林徳川家,御三家については寛文印知の対象外だったので,それらの石高はあまり正確でない。
また,ここに挙げた石高には大名以外の大領主,例えば公家,門跡,寺社等は含まれていない。あと,重要なことだが幕府直轄地も入っていない。
以上のデータを使って,大名を石高の高い順に並べてみたのが下のグラフである:

各大名の石高(石高の高い順に並べた結果)
1位はもちろん加賀百万石で知られる前田家。次が伊達で,尾張名古屋の徳川家,島津,そして紀伊和歌山の徳川家と続く。5位までで全大名の石高の2割近くになる。
このグラフの縦軸を対数表示にしたのが次の図である:

各大名の石高(指数表示。石高の高い順に並べた結果)
200位以下は10,000石ちょうどの大名ばかりなので,直線的になってしまう。
必ずしもきれいな回帰ができないが,指数関数で回帰した結果も重ね合わせてみた。
次に,大名を石高の高い順に並べ,それらの石高を累積してみた結果を示す。

累積石高(石高の高い順に並べた結果)
随分ときれいな曲線となった。上位20%,すなわち45位までの石高の合計は1237万石で全体に占める割合は67.8%だった。約7割。惜しくもパレートの法則には届かなかった。
ただし上述したようにここでは幕府直轄地の石高が入っていない。それを入れたらパレートの法則にしたがう結果が出るかも。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 唐沢俊一氏逝去の報(2024.09.30)
- 「エルガイム」TV放送から40年(2024.08.29)
- 宮内橋の話(2024.02.24)
- 嘘歴史(その2)(2023.06.07)
- 嘘歴史(その1)(2023.06.04)
「アカデミック」カテゴリの記事
- 『<学知史>から近現代を問い直す』所収の「オカルト史研究」を読む(2024.05.23)
- データ主導時代に抗して(2023.11.08)
- モンゴル語の"Л (L)"の発音(2022.11.18)
- 『学術出版の来た道』を読む(2021.12.10)
- Proton sea | 陽子の海(2021.06.03)
コメント