平和を創り出す工場としての広島平和記念公園
1949年,「広島市平和記念公園及び記念館協議設計」において,丹下健三らの案が一等を獲得した(丹下都市建築設計が公開している当時の設計案および模型)。
この案に基づいて建設されたのが平和記念公園であり,「広島平和会館原爆記念陳列館(現・広島平和記念資料館)」をはじめとする建築物群であった。
丹下らしいといえるのはその配置である。
豊川斎赫『丹下健三――戦後日本の構想者』の記述を引こう:
「丹下は与えられた敷地の北側に位置する産業奨励館の残骸(現在の原爆ドーム)に照準を合わせるように南北に基準線を引き,この線上に祈りの場・広場・建築群を配していった。この建築群は敷地の南端に位置し,基準線に直行する東西方向に長く配置している。この結果,敷地の中央に立派な施設をするのではなく,彼岸の象徴ともいえる原爆ドームと直に向き合う広場の建設に力点が置かれた配置計画となった」(『丹下健三――戦後日本の構想者』,15~16ページ)
位置関係は下のマップからも確認できるだろう。太田川が平和記念公園と原爆ドームとを分け,此岸と彼岸との関係を演出しているのである。
原爆被災者慰霊のために,当初は鐘楼のようなものを建設する案があったようである(進駐軍広島市建築・都市計画顧問・ジャッピー案)。
しかし,「平和は訪れてくるものではなく」「実践的に作り出していくものである」と考えた丹下は,「平和を創り出すための工場」として広島市平和記念公園と記念館とを整備する決意をしたのであった。
日米において様々な議論はあったが,オバマ大統領の広島平和記念公園訪問は平和を創り出す工場としての機能をリブートする意味を持っていた。
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