記述は残るよ,いつまでも:樋口清之『木炭』を読む
バイオマスエネルギーについて考察するべく,名著との評価が高い,樋口清之『木炭』を読んでいる。
目くじらを立てるほどではないが,気になる記述があったのでちょっとだけ触れておく。
本書の初めの方で,人類による火の使用,炭の作成の始まりについての記述がある。北京原人の記述と並んで,愛媛県喜多郡肱川町の洞窟(カラ岩谷遺跡)で発見された鹿ノ川人という30万年前の古人類が火を使用したという記述が一度ならず登場する。
カラ岩谷遺跡では二種類の炭が見つかっており,そのうち一種類は意図的につくられたものではないかと著者は見ている。
「もしこれが確かに人工的につくったものであるなら,鹿ノ川人こそ世界で最初に意識的に炭をつくり使用した人類であるといえるのである」(『木炭』12ページ)
さて,ここで根本的な疑問が持ち上がってくる。
"ゴッドハンド"による「旧石器捏造事件」以来,日本の前・中期旧石器研究は瓦解し,30万年もの前まで歴史をさかのぼることは不可能となっている。
日本最古の石器としては金取遺跡のもの(推定8~9万年前),砂原遺跡のもの(推定12万年前)が見つかっているぐらいである(後者については議論百出で石器ではないのではという説もある)。
こうした現在の考古学の知見をベースにすると,「鹿ノ川人と呼ばれる30万年前の人類が火を使っていた,さらには炭を作成していた」という説は,とても受け入れがたいものである。
樋口清之が本書『木炭』の前身である『木炭の文化史』を著したのは1962年。さらにその元となる『日本木炭史』を著したのは1960年。また,カラ岩谷遺跡の発掘は1958年以降。今から半世紀以上前の考古学の知見で書かれた部分は,気をつけながら読まなくてはならない。
小生が「30万年前の炭」の記述にこだわるのは何故か?それは,今でも本書,『木炭の文化史』,『日本木炭史』に典拠して日本あるいは世界最古の炭をカラ岩谷遺跡の30万年前の炭とするネット上の記述を散見するからである。googleやbingで「木炭 最古」と検索すれば,そういった記述はいくらでも見つかる。
記述は無批判に残ることがある。とくに名著と呼ばれる本の記述は。
【追記1】
「伊予細見」というWEBマガジンに「第144回 カラ岩谷遺跡訪問記――大洲市肱川町(2014年7月)」という記事がある。実際にカラ岩谷遺跡を訪ねた編集人が,「30万年前の炭」の記述の問題点についてもフォローしている。
【追記2】
ネット上で調べるとカラ岩谷遺跡の脊椎動物遺骸に関する研究論文が見つかる:
長谷川善和ほか6名「愛媛県大洲市肱川町のカラ岩谷敷水層産後期更新世の脊椎動物遺骸群集」(群馬県立自然史博物館研究報告19巻,pp.17 - 38, 2015)
後期更新世とは西暦2000年から数えて12万6000年~1万1700年前の時代である。30万年前ではない。
この論文を読むと,
「当初,旧石器時代人の発見が期待されたが成果はなく,サル(Iwamoto,1975),オオサンショウウオ(Shikama and Hasegawa,1962),ネズミ類(Kowalski and Hasegawa,1976)について若干の記録がなされた」
とある。鹿ノ川人とは幻だったのだろうか?
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