昏々沉沉たる未来
知識やスキルが累積され,年年歳歳,我々人間が賢くなり続ける……そんなことはない。
大型コンピューターからPCへのダウンサイジングはコンピュータサイエンスの民主化ともいうべき流れで,情報処理に関わる人々の数を増加させ,社会の情報化を促した。
しかし,PCからタブレットPCやスマートフォンへの移行という現在進行中の流れは,社会の情報化を加速させつつも,むしろコンピュータリテラシーの低下をもたらしつつある。
プログラミングができないというレベルにとどまらず,ワープロや表計算ソフトを使えない若者が増加しつつある。自動運転やコンシェルジェ機能など,親切極まりないAIの普及は人間のスキルや思考能力を失わせる可能性がある。ここ数十年に渡って積み上げてきたつもりの知識体系はデータとして記憶媒体上に残るかもしれないが,人々の頭脳からは失われるかもしれない。
我々の前には昏々沉沉たる未来が待ち受けているかもしれない。
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コメント
電気のない時代でも人間は思考していました。そうした時代にも個としての人間の知性と社会総体での野蛮さの矛盾はあったと思います。この図式は現代も反復されている。
しかし知性の外部委託に発する人間の退化は極めて新しい問題であり個としての人間の危機に直結する。そのようにお話しから察しました。
技術や知性の損失でいえば、祖先が使いこなしたはずの狩猟道具を私たちは使えないということもあるし、、これから何が起きようとしているのか熟考したいテーマですね。
投稿: 拾伍谷 | 2016.06.01 01:05