秋吉台を歩いてきた:長者ヶ森
秋吉台でトレッキングしてきたわけだが,小さな山々を巡るだけでなく,長者ヶ森にも立ち寄ってきた。
草原が広がる中にぽつんと小さな森がある。これが長者ヶ森。
長者ヶ森の中に入ってみると,小さな祠がある。何を祀っているのかはわからなかった。
上野誠『日本人にとって聖なるものとは何か』(参考記事)を読むとわかるが,神を社殿に祀るようになったのは仏教が日本に入ってきて仏教寺院が建立されるようになったのに倣ったものである(同書55頁)。
森をそのまま祀るのは,社殿建築以前の本来の祭祀の姿である。「古代的思考」は今もなおわれわれ日本人の間に生きている。
長者ヶ森の南側には説明の看板が2つあるのだが,その説明が少しずつ違うのが面白い。
山口県と美祢市の教育委員会が立てた看板によれば,長者ヶ森はある長者の屋敷跡であるという。長者の子孫が屋敷跡に植樹して森になったという。
その長者が何者かというと諸説あり,ある説では平家の落人,ある説では周辺の銀山・銅山で栄えた商人とされている。
もう一つの看板では,長者を平家の落人とする説を採っている。平家の一部将,大田芳盛というものが秋吉台に移り住み,近郷を従え,ここに大きな居館を構えたという。大田氏の三代目,芳高の頃に内紛が起こり,一族は四散してしまった。その後,江戸時代になって大田氏の子孫が屋敷跡をしのんで植樹し,それがこの森となったという。
平家の落人はあちこちにいるのだなぁ,というのはツマの弁で,小生も同じ思いだ。
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