秀吉の孤独:異父兄弟姉妹を殺戮
秀吉,若輩(若い頃)に孤(一人)と成て
秀吉から北条氏直に宛てた宣戦布告状の一文である(『言経卿記』)。渡邊大門『秀吉の出自と出世伝説』(歴史新書y)の34ページに引用されている。
秀吉は幼少時,孤児であったようだ。
『真田丸』で描かれているように,天下人となった秀吉の下には,母や兄弟姉妹,妻の寧の一族が集まっているが,それは後の話。
しかもわずか数年でその大家族物語は崩壊し,秀吉は孤独に戻っていく。
渡邊大門はその著書『秀吉の出自と出世伝説』の「あとがき」でこのように書く:
本書を書き終えて思うのは,「秀吉は孤独であった」ということに尽きる。何ら所縁を持たず,自らの力量一つで頂点に上り詰めた秀吉には,なかなか理解者があらわれなかったことであろう。(『秀吉の出自と出世伝説』235頁)
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秀吉は孤独を埋めるかのように,聚楽第に数少ない一族郎党を集めたわけだが,その一方で異父兄弟を始末するようなこともしていたようである。
秀吉の兄弟姉妹としては次の三人が知られている:
- とも: 母なか(大政所)と実父弥右衛門との間に生まれた同父姉
- 秀長: 母なかと義父筑阿弥との間に生まれた異父弟
- 旭: 母なかと義父筑阿弥との間に生まれた異父妹
『秀吉の出自と出世伝説』の62~67頁には,このほかにも何名かの兄弟姉妹がいたらしいことが記されている。
ルイス・フロイス『日本史』によれば,秀吉の関白就任の翌々年,伊勢の一名の若者が,秀吉の弟であると名乗り出たことがあった。また,尾張に住むある姉妹が秀吉の妹たちらしいことがわかり,召喚されたことがあった。
これらの者は喜んで迎えられただろうか?
否。いずれも惨く殺された。伊勢の若者も,尾張の姉妹も,従者もろとも斬首された。
母の不都合を隠すためであると考えられる。
ということで秀吉が兄弟姉妹として認めるのは,とも,秀長,旭の3名のみ。そのうち,信を置いたのは秀長のみである。血縁を限定した上に,信頼したのは弟のみ。自ら孤独を選んでいるようなものである。
秀吉は,ともの子・秀次を養子として迎え関白に任じているが,これとて,後に切腹を命じている。
結果として,秀吉は自らの死に臨んで,全くの赤の他人であり潜在的な政敵であった家康に息子・秀頼の後見を頼まざるを得なくなった。
秀頼もまた実子なのかどうか疑問を拭い去ることはできず,結局のところ,秀吉は一生涯,孤独であり続けたと言えるのではないだろうか?
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