さて,蘇我氏のことですが……
昨年末に蘇我氏に関する新書が2冊ほぼ同時に登場し,本ブログでも「いま,蘇我氏がアツい」などと取り上げてみたわけである。
およそ2か月経ったということで,そろそろこの2冊を比べながら,心に移りゆくよしなし事を書き綴ってみたいと思う。
蘇我氏の古代 (岩波新書) 吉村 武彦 岩波書店 2015-12-19 売り上げランキング : 535 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
蘇我氏 ― 古代豪族の興亡 (中公新書) 倉本 一宏 中央公論新社 2015-12-18 売り上げランキング : 263 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
吉村武彦先生にせよ,倉本一宏先生にせよ,645年の入鹿暗殺(乙巳<いっし>の変)をきっかけに蘇我氏が滅亡したわけではない,という主張は一緒である。
乙巳の変によって滅んだのは蘇我本宗家であって,その他の蘇我氏は生き残っている。
吉村先生の著書では蘇我倉山田石川麻呂の血統=石川氏を8世紀まで追跡して終わっているが,倉本先生の著書では石川氏の行く末を10世紀の摂関期まで追跡しており,蘇我氏に対する倉本先生の執念のようなものを感じる。
蘇我氏の根拠地を大和国高市郡曽我に比定していること,また,蘇我氏帰化人説を否定していることなども両書がともに主張していることである。
蘇我氏帰化人説に関して倉本先生などは「現在でも世間では蘇我氏が渡来人であると考えている人に出会うことがよくあって,本当に驚かされる」(『蘇我氏―古代豪族の興亡』(中公新書),7ページ)と声を大にして否定している。
吉村版と倉本版と二つも蘇我氏の本があってどちらを先に読んだらよいのか悩む人がいるかもしれない。
小生としては,情報が網羅的で記述に癖が少ない吉村版を先に読む本としてお薦めしたい。『蘇我氏の古代』(岩波新書)では,連と臣の違いや「名負いの氏」(物部氏,大伴氏など)と地名を名乗る氏(蘇我氏)の違いのような日本の氏姓制度の特徴,また律令制下における蔭位制度の意義に関して丁寧な解説があるが,倉本版ではこうした制度についての解説はない。吉村版は索引がついているので,あとから読み返す場合には便利である。吉村版を読んでから倉本版に進むのが良いと思う。
倉本版は記述に癖がある。それがまた良い味わいを醸し出しているとも言えるが。
例えば,大王/天皇の和風諡号に関してはこだわりがあるようで,節が改まる度に,和風諡号で大王/天皇を呼ぶので,読むのが結構煩瑣だったりする。
例えば,『蘇我氏―古代豪族の興亡』(中公新書)第1章の冒頭の部分では,雄略帝は「大王大泊瀬幼武<おおきみおおはつせのわかたけ>(雄略)」,即位前の欽明帝は「天国排開広庭王子<あめくにおしひらきひろにわのみこ>」と記述している。そののち,14ページも進むと,再び「大王大泊瀬幼武<おおきみおおはつせのわかたけ>(雄略)」の記述が,さらに6ページ進むと「天国排開広庭<あめくにおしひらきひろにわ>(欽明)」の記述が現れる。通常の新書であれば和風諡号を一回示したら,その後は漢風諡号で済ますことが多いと思うのだが,倉本先生は和風諡号を繰り返すことにこだわりがある様子。
あと,倉本版では実際に史跡を巡ったときの感想が書かれているのが印象的である。
例えば,葛城地方の中心から平石古墳群までの距離に関する考察の中では
「この地(平石古墳群)は……葛城山南麓の水越峠を越えれば案外に近いというのが,現地を歩いた実感である」(『蘇我氏―古代豪族の興亡』,21ページ)
と経験にもとづく感想を披露している。
また,「難波の堀江」に仏像が遺棄されたという話のついでに登場した,豊浦寺跡の向原寺に安置されていたという観音菩薩立像については,
「これは1974年に忽然と姿を消したものの,2010年にインターネットオークションで『発見』され,無事に寺に戻ってきたというから,ありがたい話である」(『蘇我氏―古代豪族の興亡』,39ページ)
と,わりあい砕けた感じの感想を書いている。
他にも蝦夷・入鹿の墓の可能性がある五条野宮ケ原1・2号古墳が住宅地として造成されてしまったことについては,
「この古墳の発見は何故かほとんど報道もされないまま,住宅分譲地として造成された。あと100mも東に寄っていたら,というか市境がもう少し西にあってこの古墳が明日香村に含まれていたら,このような事態にはならなかったはずである。現地に立つと,返す返すも死後にも残念な蘇我氏という印象が強くこみ上げてくる」(『蘇我氏―古代豪族の興亡』,122~123ページ)
と,文化・教育行政の無情さを嘆いている。
というわけで,新書という形式の気楽さからか,筆が滑りまくるのが倉本版の特色である。
こうした脱線が多いので本題を忘れそうになるのが倉本版の面白いところであり,困ったところである。
やはり,安定したトーンで易しく包括的な情報を提供してくれる吉村版を読んで蘇我氏に関する基礎知識を身に着けたうえで,癖のある倉本版を手にするのが正しい順番だと思う。
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