諏訪勝則『古田織部』を読む――織部は織部焼に関わっていたのか?
山田芳裕(やまだ・よしひろ)の『へうげもの』はすでに21巻に至り,終焉に差し掛かっている。
1巻から読み続けている小生としては感慨無量である。
そんな折,突如,中公新書からこんな本が出た:
諏訪勝則『古田織部』。
この本は歴史学の研究成果をもとに,『へうげもの』とは異なった織部像を描き出している。
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著者・諏訪勝則氏も漫画『へうげもの』のことは意識しているようで,「はじめに」でも触れている。
漫画『へうげもの』で描かれている織部像は諏訪氏の言う通り「ひょうきんで策士的な男」である。しかし,それは『へうげもの』という作品世界でのこと。史料を通して浮かび上がってくる織部の人物像は,懇切丁寧・沈着冷静な第一級の文化人といったところである。
例えば,本書の2章,3章では利休と織部の間で交わされた書簡が数多く紹介されているが,そこからは,諸事細やかな配慮のできる織部を利休が頼りにしていた様子がうかがわれる。と同時に書簡からは「利休が実は気さくで饒舌で機知に富んだ会話ができる人物であったこと」(本書108ページ)も浮かび上がっている。これでは,『へうげもの』の利休と織部が入れ替わってしまったようではないか。
本書では『へうげもの』では触れられていない,織部に関する史実が紹介されており,読んでいて驚かされる。
例えば,織部と連歌界とのつながり。
これは鶴崎裕雄氏の研究成果によるものであるが,織部は信長に仕えていた頃に連歌界を取り仕切る里村一門の連歌会に度々参席していたことがわかっている。織部は利休門下に入る以前から,連歌を通じて著名な文化人と交流を深めていたようである(本書30~33ページ)。
また,黒田如水との交流。
『へうげもの』では黒田如水と直接交流する場面はないが,実際には,織部が黒田如水に茶の湯を指導していた。本書ではこのことを示す書状が紹介されている(本書153~154ページ)。
また,勢高肩衝の由緒。
『へうげもの』では本能寺の変の直後,織部が弥助から信長の形見として受け取ったことになっている。実際には本能寺の焼け跡から破片が発見され,修復後,秀吉のものとなり,そして秀吉から織部に渡ったということである。
さらにまた,織部が織部焼に関わっていたことを断定できる資料が無いことも驚きである。
『へうげもの』では織部が作陶に積極的に関わっていたことが当前のことのように描かれているが,本書によればそれは断定できないとのこと。織部が織部焼を茶会に用いていたことは間違いないものの,織部が織部焼を焼かせたかどうかを明確に示す史料はないという。
加藤唐九郎(あの永仁の壺事件の人)や矢部良明氏が織部が織部焼に深く関与していたことを推測しているが,あくまでも推測の範囲でのことである。
本書は織部の人物像を描くとともに,なぜ織部が切腹を申し渡されたのか,という謎にも取り組んでいる。
大坂夏の陣で大坂方に内通していたというのが,表向きの理由である。
しかし,第一級の文化人として築き上げた人的ネットワークが,幕府にとって脅威であったから――というのが著者が推測する真の理由である。
これは利休にも関白秀次にも通じることである。利休は茶の湯を通して強固な人的ネットワークを構築していたし,(あまり知られていないが)関白秀次も文化事業を通して仏教界や公家社会とつながりを持っていた。秀吉にとっては,どちらも潜在的な脅威だった。
「利休・秀次・織部が有する隠然たる力は,権力者の手も及ばざるところにあり,排斥しなければならなかったと考えられる」(本書199ページ)。
シンプルだが理にかなった推測だと思う。
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