ジョホールバル「陳旭年文化街」
ジョホールバルの名所探しの続きである。
JBセントラルから西に歩いて行くと「陳旭年文化街」という通りにたどり着く。
ちょっとした中国人街の雰囲気のある通りである。
陳旭年って何?と疑問が生じるが,これは人名。19世紀にジョホールで港主を務めた人物である。
陳旭年は"Tan Hiok Nee"と発音する。中国の潮州出身なので,潮州語の発音なのだろう。
1827年,清国潮州彩塘鎮に生まれた。衣服の行商人から徐々に商売を拡大。ジョホールのスルタン,アブ・バカルとの友誼を深め,アブ・バカルの妹を妻に迎えた。
1864年にはアブ・バカルの許可を得て,10か所の港主となった。港主というのは,ジョホール貴族の依頼により,港周りの土地を開墾し,管理する華人のことである。陳旭年"Tan Hiok Nee"は開墾した土地で胡椒やガンビール(阿仙薬)を栽培し,利益を得た。
1866年にはマレー半島最大の港主となり,1870年にはスルタン・アブ・バカルから「華僑僑長」の称号を得た。要するにジョホールにおける華人の代表者となったわけである。
「陳旭年文化街」はかつて陳旭年が市場を開いていた場所の跡らしい。それもあって,華人系の商店が軒を連ねている。こんなど派手な建物もある:
「紅楼閣 (Red house)」というが,「小厨」と書いてあるので,レストランなのだろう。
| 固定リンク
「東南アジア」カテゴリの記事
- 高野秀行『西南シルクロードは密林に消える』(2023.05.05)
- 納豆が食べたくなる本|高野秀行『謎のアジア納豆』(2023.04.20)
- 「情動エンジニアリング」について考える本(2022.03.19)
- 東南アジアの現代史はこれで:『はじめての東南アジア政治』(2022.02.11)
- ミャンマーにてクーデター(2021.02.01)
コメント