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2015.12.01

ジョホールバル「陳旭年文化街」

ジョホールバルの名所探しの続きである。

JBセントラルから西に歩いて行くと「陳旭年文化街」という通りにたどり着く。

Chinkyokunenstreet

ちょっとした中国人街の雰囲気のある通りである。

陳旭年って何?と疑問が生じるが,これは人名。19世紀にジョホールで港主を務めた人物である。

陳旭年は"Tan Hiok Nee"と発音する。中国の潮州出身なので,潮州語の発音なのだろう。

1827年,清国潮州彩塘鎮に生まれた。衣服の行商人から徐々に商売を拡大。ジョホールのスルタン,アブ・バカルとの友誼を深め,アブ・バカルの妹を妻に迎えた。

1864年にはアブ・バカルの許可を得て,10か所の港主となった。港主というのは,ジョホール貴族の依頼により,港周りの土地を開墾し,管理する華人のことである。陳旭年"Tan Hiok Nee"は開墾した土地で胡椒やガンビール(阿仙薬)を栽培し,利益を得た。

1866年にはマレー半島最大の港主となり,1870年にはスルタン・アブ・バカルから「華僑僑長」の称号を得た。要するにジョホールにおける華人の代表者となったわけである。

「陳旭年文化街」はかつて陳旭年が市場を開いていた場所の跡らしい。それもあって,華人系の商店が軒を連ねている。こんなど派手な建物もある:

Redhounse

「紅楼閣 (Red house)」というが,「小厨」と書いてあるので,レストランなのだろう。

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