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2015.11.03

本当は怖いエイモス・チュツオーラ

エイモス・チュツオーラの『薬草まじない』はユーモラスな語り口のせいで,ただの馬鹿話のような印象も受けるが,よく読むと恐ろしい一面も見え隠れする。

薬草まじない (岩波文庫)薬草まじない (岩波文庫)
エイモス・チュツオーラ 土屋 哲

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『薬草まじない』ではよく争い事が発生する。

旅の途上,主人公は,<ジャングルのアブノーマルな蹲踞の姿勢の男>だの,<頭の取りはずしのきく狂暴な野生の男>だの,<不愉快きわまりない野生の人間>だの,<強くて勇敢な門番><悪鬼>だの,様々な異種族に出会い,戦いを繰り返す。

こうした争いについて,この本の訳者・土屋哲は次のように述べている:

「決して攻撃的な勇気ではなく,外敵の侵略から自らの共同体を守護する専守防衛の勇気である。その意味でアフリカ人は真底から平和を愛する人びとであり,本書でも,狩人は決して自分から攻撃したり侵略をしかけることはないのだ。」(『薬草まじない』336ページ,土屋哲「訳者あとがき」)

しかし,文庫版の解説者・旦敬介は違う見解を示している:

「今回,あらためて特別に強く思ったのは,チュツオーラの最大のトピックが異種族に対する激しいヴァイオレンスであるということだ。<中略>異種族であるがゆえにアプリオリに対立していて,理由なく相手を暴力的に叩きのめす,いわば純粋なヴァイオレンス,本能的なヴァイオレンスだということではないか。」(『薬草まじない』351ページ,旦敬介「≪解説≫ チュツオーラと現代のヨルバ世界」)
「『異民族』は『人間』ではない(神である場合もある)から理解し合うこともできないし,徹底的な破壊の対象として扱っても正当化される,という民族観が主人公の側にも,『敵』の側にも共有されているように見えてくるのだ。」(『薬草まじない』352ページ,旦敬介「≪解説≫ チュツオーラと現代のヨルバ世界」)

『薬草まじない』は現代アフリカ社会が抱えている問題の一つ,すなわち,他の民族に対する不寛容さを主題化しているように見える,と旦敬介は指摘する。

ビアフラ戦争ルワンダ紛争ダルフール紛争第二次コンゴ戦争等々の中で,民族丸ごとを対象とした大量虐殺が繰り返し発生している歴史を振り返ると,この意見には激しく同意せざるを得ない。

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