田中慎弥『宰相A』を読んだ
何なんだこの小説は。
小説のネタが尽きてきた小説家が,母の墓参りに行けば何かつかめるのではないかと思い,列車で故郷のO町に向かう。O町に到着して目が覚めたところ,そこは全く別の日本だった――。
井上ひさし『吉里吉里人』で主人公の作家・古橋健二が「吉里吉里国」に入国するときもこんな感じではなかったか? なんとなく既視感がある。
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主人公の名前がTだとわかるのは,O町に到着して軍に連行され,尋問が行われた時である。そこから徐々に,この「別の日本」の状況がわかってくる。
Tが入り込んでしまった日本は1945年に敗戦を迎えたのち,アングロサクソン系の人間が入植して日本人を名乗っている。公用語は英語。民主主義が支配する完全なる国家主義的国家を標榜している。国民は緑色の制服を着ている。対外的には戦争主義的世界的平和主義を掲げ,同盟国アメリカとともに世界中で戦争を繰り広げている。
もともと住んでいた日本人は旧日本人と呼ばれ,特別な居住区に住まわされている。旧日本人の中でもアングロサクソン系日本人の主義主張を受け入れれば,日本国民として遇される。Tの尋問を担当した女性軍人も,日本国首相のAも,旧日本人から日本国民となった者たちである。
主人公Tは旧日本人の居住区に受け入れられ,伝説の英雄Jの再来として遇される。ここからドタバタの悲喜劇が始まる。
と,まあ,あらすじはここまでにして,改めて思うのが,何なんだこの小説は,ということである。
純文学というのは既存の枠組みに収まらない,つまり分類できないことを以て純文学というのかもしれない。
だが,それにしては,井上ひさしや筒井康隆を思い出させるようなストーリー展開である。パラレルワールド・ドタバタ喜劇というレッテルを張ってしまいそうだ。
橋の上の車の中での,Tと女性軍人との会話なんか,昔の筒井康隆作品のようだ。
この小説,巷間に言われるように安倍首相や現在の日本を風刺した小説だとすれば,ちょっと陳腐かなと思う。田中慎弥先生ともあろう方がそんな意図で書くはずがない,と思っていたらあっさり認めていたのでびっくりした(参照)。
文中,Tが執拗に「紙と鉛筆」を求める。これは作家としての命みたいなものだからいいとしよう。抑圧された中で執筆をしたいという願望,なんか故見沢知廉の『調律の帝国』思い出した。
Tは脳内の紙に脳内の鉛筆で文章を書き留める。『調律の帝国』の主人公(囚人)は紙縒りで文章を書き留める。
最後は両方とも発狂するし(Tは洗脳されるのだが),ここでもなんとなく既視感。
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文中では他にも「制服」に関する考察が繰り返される。制服=国家の一員としての象徴。しかし,その考察に三島由紀夫や「ゴッドファーザー」のマイケル・コルレオーネやカフカの『城』のバルナバスを繰り返し登場させる必要はあるかなぁ?
田中慎弥先生が書いただけに何か仕掛けが,と思って深読みするのだが,そんなことせずに,現状を極端に戯画化して描いた風刺小説として読んだ方がよいのかもしれない。
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