『エベレスト3D』を見てきた
シネマスクエア7で『エベレスト3D』を見てきた。
これは「1996年のエベレスト大量遭難」をもとにした映画である。
3D映画はやはりすごい。ベースキャンプからエベレスト山頂を眺めるときや登山途中に高所から下界を見下ろすときの奥行きときたら筆舌に尽くしがたい。
登山家ロブ・ホールが設立したニュージーランドの登山ガイド会社「アドベンチャー・コンサルタンツ社(AC社)」は1992年に公募隊を組織し,エベレスト登頂に成功していた。エベレスト商業登山の嚆矢である。
そして,1996年。AC社は再び,エベレスト営業公募隊を募集した。参加費は1人65,000ドル。これもロブ・ホールが引率して,顧客たちとともに5月10日に登頂を果たすというツアーである。
AC隊は登山途中ですでに様々な障害に見舞われていた。顧客の一部はエベレスト登頂に成功したが,スケジュールが大幅に狂ったことや悪天候に見舞われたことが原因で,AC隊員の多くは下山時に遭難した。
AC隊の顧客の一人,ベック・ウェザーズの奇跡的な生還があったものの,AC隊では結果として,ガイド4名のうち,隊長のロブ・ホールとガイドのアンディ・ハリスが,顧客8名のうち,ダグ・ハンセンと難波康子が死亡した。
悪天候,大勢の登山者による渋滞の発生,登山者の技術レベル,隊同士・シェルパ同士の対立など,さまざまな原因が挙げられるが,総じてエベレストの商業登山化が生み出した悲劇ともいえる。
AC隊の顧客の一人だったジャーナリストのジョン・クラカワーは生還し,後にこの事件についての本を書いている。
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ところで,難波康子はこの登頂によって,日本人女性では田部井淳子に次いで2人目のエベレスト登頂者となったと同時に,日本人として田部井淳子に次いで2人目の七大陸最高峰登頂者となった。この栄冠を戴いた直後に命を落としたというわけである。ちなみに映画で難波康子を演じたのはロンドン在住の日本人女優森尚子であった。撮影の過酷さについて森はインタビューに答えている(参考)。
エベレスト山頂はじめ,8000メートルを超える高所は「デスゾーン」と呼ばれる。
映画の中で,登山前のブリーフィングでロブ・ホールが「高度8000メートル以上では,人間は少しずつ死んでいく」と言っていたのが印象に残った。
デスゾーンでは人間は死につつあるのだ。できる限り滞在時間を短くしなくてはならない。スケジュールが狂うこと,それは死の始まりなのである。
ちなみに「1996年のエベレスト大量遭難」については『エベレスト 死の彷徨』という 1997年の映画もあるが,これは先に述べたジョン・クラカワー『空へ―悪夢のエヴェレスト』をもとにした作品だということである(未見)。
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