『鯰絵』における構造分析:オランダ構造主義の伝統と日本民俗学の研究成果の見事なマリアージュ
業務多忙につき,読書の時間が足らず,だいぶ日数がかかったがアウエハントの『鯰絵』を読み終わった。
前にも紹介したが,600ページを超える大部。1440円+税でこれほど長く楽しめるのだから読書というのは実に良い。
鯰絵――民俗的想像力の世界 (岩波文庫) C.アウエハント 小松 和彦 岩波書店 2013-06-15 売り上げランキング : 44546 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
1855年の大地震の直後,膨大な種類の多色刷りの「鯰絵」が出回った。これらの絵を読み解くために,アウエハントは膨大な量の日本民俗学のデータを渉猟し,日本人が抱いている神話世界の両義的な構造を明らかにした。
本書のもととなっているのはアウエハントの博士論文であり,人文系の博士論文はかくあるべしというお手本のようなものである。工学分野で博士号を取ったものとしては,「人文系スゲェ」と感嘆せざるを得ない。
なによりも凄いと思うのは第1部から第2部,400ページ余りをかけて検討を重ねてきた様々な小問題を,第2部第3章あたりから構造分析の手法を使ってまとめあげるところである。
莫大な量の民話から収集した大地と水界,河童,猿,カワワロ,ヤマワロ,その他もろもろの要素を,相互に干渉しあう二元論的な構造としてまとめあげたのが,次の図である。
また,本書の主題である鯰,つまり地震を起こす悪の存在でありながら,世直しを行い人々に富をもたらす善の存在でもある鯰をエビスや鹿島大明神や水神といった関連する神々に結び付けながら整理したのが次の図である。
この図には小生が「目」の絵を書き足しているが,これは2つの視点A, Bから次のように読み解くことができるということを表している。
まずAからは次のような読み解きができる:
- 「鹿島大明神は,雷神の姿とそれに連なる英雄の観念を通じて,エビスという形象に置き換えられる」(488ページ)
- この図でいう「英雄」とは巨人,怪童という言葉で置き換えても良く,<鹿島大明神―雷神―文化英雄>,<エビス―少名毘古那―文化英雄>という関係を表現するための名称である
- 鹿島大明神もエビスも石を通して示現するという点で共通している。鹿島神宮には神体として要石が祭ってある。漁村の中には,海底で拾った石をエビスと称して祭る事例がある
- 結果的に鹿島大明神とエビスは置換可能な存在となる。『鯰絵』の中には,鹿島大明神が鯰を要石で押さえつける画題もある一方,エビスが鯰を瓢箪で押さえつける課題もあり,両者が置き換え可能であることの傍証となっている
またBからは次のような読み解きができる:
- 猿は水辺にすむ存在であり,山に住むヤマワロ,川に住むカワワロという存在に分裂する
- 「カワワロは水神の観念が擬人化したものであり,その二次的な擬人化が水界の醜い少童(水童)である。これらを介して,<負>の,つまり水界のエビスとの直接的なつながりもまた可視的なものとなるのである」(490ページ)
- 漁師や猟師にとって「エビス」は猿を表す言葉だった。また,広島では河童を「猿猴」と呼んでおり(「猿猴橋」という地名・広電の駅名がある),猿とエビスと河童の間には密接な関係性が見られる
- また,大津絵に見られる猿が瓢箪によって鯰を抑えるという画題と,エビスが同じく瓢箪によって鯰を抑えるという画題との類似性によって,猿と河童とエビスとが相互に置換可能な存在であることがわかる
これらの図式によって,アウエハントは鯰絵の背後にある神話的世界を明瞭に示すことに成功した。
構造主義といえばレヴィ・ストロースであり,もちろん,アウエハントもその研究成果に触れている。しかし,本書は,フランスに先んじてオランダの人類学の領域でデ・ヨングらによって発展してきた構造分析の伝統に位置づけられるものである。
より短く(ソムリエ風に)言えば,本書はオランダ構造主義の伝統と日本民俗学の研究成果の見事なマリアージュである。
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