『鯰絵』の現代的意義
岩波文庫版『鯰絵』の巻末には宮田登,小松和彦,中沢新一の3者による解説文が掲載されているのだが,東日本大震災後の日本人にとって最も意味のある解説文は中沢新一による「プレート上の神話的思考」である。
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一節を引用しよう:
「鯰絵を前にして,そこに表現されている知性のたくましさ,洒脱さ,高さに,驚かされる。そして同じ大震災を経験した現代日本人との知性における大きな落差に,気づかされることになる。大震災を体験したあと,現代日本人は『絆』だとか『復興』だとか,平板なボキャブラリーを動員しての紋切り型の思考しか生み出せなかったのではないか。そのため大震災があらわにした現実を前にして,大きな広がりと射程をもった根源的な思考で,それを受け止めることがほとんどできなかった。人間も自然の一部分にすぎないという真実が,そういう思考には深い実感として組み込まれていない。ようするに私たちには人間のことしか見えていないのである。」(『鯰絵』582ページ)
そういった現代人とは違い,江戸の庶民たちは鯰絵を通して,猛威を振るう自然に向き合うすべを知っていた。江戸時代の庶民であっても,そこらにいる鯰が地震の張本人だと本気では思っていない。本気では鯰を地震の張本人だとは思っていないが,あえて鯰を地震の張本人として非難したり,からかったりして,「知性とユーモアをもって,乗り越えがたいほどの困難を乗り越えようとしているのだ」(583ページ)
科学技術が発達し,危険の予知や被害の軽減が可能になってくるに従って,災害はあってはならないことになり,人は絶対に死んではいけないことになった。ロングスパンで見れば,必ず災害に遭い,死ぬこともあるというのに,それを無視して幸せな生活が永遠に続くかのような錯覚に陥っているのが現代人である。
何世代もの間に培われてきた神話的思考を土台に,自然と折り合いをつける方法を身につけていた江戸の庶民に学ぶことは多い。『鯰絵』は単に昔の人々の考え方をまとめた本ではない。自然と向き合う,死と向き合う(メメント・モリ)。そういうことを思い出せさせてくれる現代的意義を持っている。
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