1966年のデザイン騒動
1970年に大阪万博が開催された。183日間の会期中に6421万8770人もの入場者を迎え、成功裏に終わったことはよく知られている。
この万博の公式シンボルマークの選考過程で一悶着があったことを諸兄は知っているだろうか?
日本万国博覧会協会は公式シンボルマーク選定のため、勝見勝、河野鷹思、桑原武夫、丹下健三、原弘、真野善一、新井真一(通産省デザイン課初代課長)ら7名を審査委員とする指名コンペを実施した。
指名されたのは15名のデザイナーと2団体。締め切りは1966年1月31日だった。
同年2月9日に審査が行われ、応募作48点の中から西島伊三雄の案が選定された。対立する左右二つの円が結びつき、その上方に調和的発展を意味するもう一つの円が浮かんでいるという絵柄だった。
西島伊三雄案(東京国立現代美術館『大阪万博1970 デザインプロジェクト』2015年,21ページより)
しかし、大阪万博のテーマ「人類の調和と発展」を見事に表現したかのようなこの作品は、万国博覧会協会の石坂泰三会長(経団連会長、元東芝会長)の鶴の一声によって却下された。
「誰が見たって上のやつは日の丸だよ……日本はいばってやがるという批判を受けるかも知らぬよ」(前掲書21ページ)
これを受けて万博協会は、先に指名したデザイナーたちに再度応募を要請、4月4日に石坂泰三会長を含む審査会が開かれた。応募作57点の中から選ばれたのが、大高猛の案だった。今でもよく知られている、桜をモチーフとした作品である。
選考過程に対しては大きな議論が巻き起こった。デザイン界からは、審査委員会は万博協会会長に屈するべきではなかったという意見が寄せられた。審査委員会の権限が不明瞭だったことから起きた騒動であったといえる。
それから49年を経た今年、オリンピックをめぐる騒動が二つ発生した。審査委員会の権限の不明瞭さという点では、1966年のデザイン騒動は、エンブレムパクリ疑惑よりも国立競技場建設騒動に似ている。
参考: 東京国立現代美術館『大阪万博1970 デザインプロジェクト』2015年
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