アウエハント『鯰絵――民俗的想像力の世界』を読む
ジャカルタにいるというのに全く関係のない本を読んでいる。
アウエハント『鯰絵――民俗的想像力の世界』(岩波文庫)。
まあ,海外出張時の小生の典型的なパターンである。カンボジア出張時には吉田類『酒場詩人の流儀』を読んでいたし(参考)。
鯰絵――民俗的想像力の世界 (岩波文庫) C.アウエハント 小松 和彦 岩波書店 2013-06-15 売り上げランキング : 44546 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「鯰絵(なまずえ)」というのは,1855年(安政2年)に起こった大地震の直後に大量に出回った多色刷りのナマズの絵である。鹿島大明神が要石でナマズを押さえつけている絵や江戸の民衆がナマズをやっつけている絵など様々な種類の絵が出回った。
鯰絵に描きこまれた画題や詞書を読み解きながら,江戸の民衆文化だけでなく,その基底にある日本文化の深層にも迫ろうというのが本書の目的である。
著者のアウエハント(Cornelius Ouwehand)はオランダ人の研究者で,柳田國男の下でも研究を行っている。本書は1964年にアウエハントがライデン大学に提出した博士論文がもとになっている。著者の研究手法はまさしく構造主義のそれであり,柳田や折口らが築き上げてきた日本民俗学の成果をもとに,民間信仰の構造を明らかにしている。
訳者たちもすごい。小松和彦や中沢新一といった精鋭ぞろい。水木しげるの若い友達ばかりではないか。
この600ページを超える大部の中で,アウエハントは鯰絵に関連するであろう様々な事項を余すところなく検討している。どれもこれも面白い考察なのだが,ここですべて紹介するのは無理。
そこで,ここではナマズの両義性とでも称すべきことを紹介しておく。
中世(少なくとも14世紀初頭)の日本では日本を取り巻く海を,日本を取り巻く巨大な蛇または龍のイメージでとらえていたようである。そしてその蛇龍が17世紀の終わりには巨大なナマズへと変化していったとのこと。いくつかの鯰絵の中で,ナマズはナマズの顔をした龍やクジラとしても描かれており,ナマズとクジラと龍は互いに代替可能なイメージとなっていたようである。
鯰絵の中には,地震を起こすナマズを懲らしめるエビスの姿が描かれているものがあるが,クジラは時としてエビスとも呼ばれる(※)。そして先ほど述べたようにクジラとナマズが代替可能だとすると,
エビス(善)=クジラ=ナマズ(悪)
という関係が成り立つ。とすると,一つの画面の中で善のエビスと悪のナマズとが対面する(実は両者は同一のものの2つの側面である)という興味深い構図が出来上がる。
いくつかの鯰絵の中ではナマズは金持ちを打擲して金銭を吐き出させる世直し鯰として登場しており,この場合のナマズは民衆の側に立つ存在となっている。
ということで,鯰絵のナマズは善悪両極を担った存在として描かれている。地震を起こし,社会をリセットする存在。文化人類学でいうところのトリックスター。
だから地震を起こした張本人であるにもかかわらず,愛嬌たっぷりに描かれているのかもしれない。
※クジラとエビスの話
クジラは時折,日本の近海に現れ,食料として漁村に幸をもたらすので,宝船に乗って来て幸をもたらすエビスに例えられた。
エビスは常世の国からやってくる神だが,そもそもはイザナギ・イザナミに捨てられた不幸な神でもあり,必ずしも幸だけをもたらすわけではない。
エビスの本拠地である常世の国は海の彼方の幸の多い国であると言われるとともに地の底の恐怖に満ちた暗い国であるとも言われる。ここにも善と悪,禍福の両義性が見られる。
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