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2015.09.01

安田喜憲『ミルクを飲まない文明』を読む:ハラハラする歴史書

洋泉社の歴史書はエッジが効いていて,いつも面白い。
5月に出た安田喜憲『ミルクを飲まない文明』にはハラハラさせられた。

メソポタミア,エジプト,インダス,黄河のいわゆる四大文明だけが「文明」なのではない。これらは稲作牧畜民の文明であって,長江文明,クメール文明,マヤ文明のような稲作漁撈民によって築かれた別系統の文明もしっかりと存在しているのだ!というのが本書の主張の一つである。「ミルクを飲まない文明」とは,環太平洋各地に形成された稲作漁撈文明の総称である。


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こうした主張は実は珍しいものではない。以前,「【アマゾンに文明があったんだ】実松克義『アマゾン文明の研究』を読んだ【驚異のモホス文明】」という記事で,アマゾンにも文明が存在したという説を紹介しているが,「四大文明」だけが「文明」なのではない,という見方は既に広く共有されていると思う。


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実松 克義

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「四大文明」という固定観念を突き崩す,という点ではあまり新しさを感じない本だが,世界各地の湖に残された「年縞(ねんこう)」の調査結果を基に,古代文明の興隆と衰亡を気候変動によって説明する「環境史観」には,非常に説得力がある。さすが環境考古学の権威。宮崎市定は,歴史は事実の論理でなくてはならない,と述べていたが,環境史観をベースに一貫した説明がなされているのは本書の優れたところである。

また,稲作漁撈民の古代信仰に関する新たなヒントを提供している点でも本書は興味深い。例えば,「注連縄(しめなわ)」は交尾する蛇の姿で豊穣・生命の再生等の象徴であるという話(吉野裕子説)や,「玉」は山のシンボルであるという話(著者の説)は古代の信仰を読み解くうえで非常に重要な指摘である。

本書にはこういった優れた記述が見られる一方で,これから述べるような危うい記述が随所に見られ,安心して読むことができない。面白いがハラハラする。


<過剰な稲作漁撈礼賛>

本書で繰り返し主張されるのは,

  • 稲作牧畜文明は支配的・収奪的
  • 稲作漁撈文明は調和的・循環的

ということである。

前者「稲作牧畜文明」に対しては

「欧米の市場原理主義や金融資本主義に立脚した『畑作牧畜民の文明原理』では21世紀の世界がどうしようもなくなった」(4頁)

とか

「21世紀の人類は,森と水の循環系を破壊する畑作牧畜民によって引き起こされた地球環境問題,とりわけ水問題で危機に直面することになった」(178頁)

といった徹底的な批判が加えられる。

これに対し,後者「稲作漁撈文明」に対しては

「稲作漁撈社会は王自らも労働を大切にした。農民とともに働くことが王の役割でもあった。『勤勉こそ最高の美徳』であったのが稲作漁撈社会なのだ」(63頁)

とか

「森と水の循環系を守り,人や自然を信じて,美しい大地とともに生きてきた文明」(179頁)

といった礼賛の言葉が投げかけられている。こうした善悪二元論にも似た主張には疑問を禁じ得ない。

稲作漁撈民の社会は地球環境に優しかったのかもしれない。しかし,戦争が皆無だったわけではないし,人身御供が広く行われていた。簡単に礼賛するわけにはいかない。


<論理の飛躍>

文章技法のバイブルともいえる『理科系の作文技術』では事実の記述(「…である」)と推論(「…と思われる」)とをきちんと分けるということが強調されている。

しかし,この本,そういったルールを無視して書いているところが散見される。

例えば,この文章:

「抜歯の風習がさかんなことと,『言霊』を重視することの間には深い関係が存在するのではあるまいか。抜歯を重視する人々は『言霊』を重視した人々だったのである。」(120頁)

「ではあるまいか」が直後に「だったのである」になってしまうのはまずい。「ではあるまいか」で留めておいた方が文章としてはよかったと思う。


また,この文章:

「(現代のマヤの)人々の衣装は色とりどりの刺繍を施した,まるでおとぎの国からやってきたような美しさだった。この美しい刺繍のように,マヤ文明も美しくかつ繊細な文明だったに違いない。なぜなら,美しいものを作れる人の心は美しいからである」(173頁)

こういう推論はいわゆる「アブダクション」である。マヤ文明が現代人から見ても美しい文明だった可能性はある。だが,こういう記事を見るとなんとなく違うような気がする:

古代マヤ人は捕えた敵を解体していた


<しつこい記述>

本書の随所に散見されるのが,重複した記述である。

例えば,

「マヤ文明最後の地がともに美しい湖と関係していることは興味深い。マヤ文明は水の文明だった。このマヤ低地南部では,湖の周辺に遺跡が集中していた。マヤ文明は,この美しい湖のほとりで繁栄したのである。<中略> マヤ文明の最後の残照は,侵入が困難な僻地のマヤ高地のアティトラン湖周辺と,亜熱帯雨林が侵略を阻んだペテン・イッツァ湖畔だった。その終焉の地が,ともにアティトラン湖とペテン・イッツァ湖という二つの美しい湖に守られるように位置していたことは,偶然ではあるまい。」(177頁)

という一節。半ページの間に「美しい湖」という同じ表現が三回,「マヤ文明最後の地」「マヤ文明の最後の残照」「その終焉の地」という類似表現が三回繰り返されている。

また,

「音環境の面からみると,人間の生命維持装置としては,日本の田舎すなわち農村の環境が都市よりもはるかに優れていることが明らかになった。都市よりも農村の方が優れていたのである。」(214頁)

という一節。農村の優位性を続けて2度主張している。

強調したくて繰り返し同じことを書くのだろうが,かえって印象を弱めているように感じる。

洋泉社の編集者は,紫綬褒章を受章した偉い先生だからといって遠慮せず書き直しをお願いするべきだったと思う。


<ギリギリで「トン」理論回避>

第1章の最後尾では,長江文明が滅亡し,人々が南下したという説が書かれているのだが,この文章を見たときはドキッとした。

「大きな民族移動は波となり,やがて東南アジアから南太平洋のイースター島まで到達する大民族移動を引き起こすのである」(78頁)

長江文明がクメール文明に引き継がれたという話はあり得なくはない。しかし,「イースター島」という記述を見た瞬間,このまま行くと,長江文明の系譜が米大陸につながってしまうのではないかと思ったのである。なにしろ第4章にはマヤ文明の話が控えている。

このあたりを読んでいるとき,小生の脳裏には「室町時代に太平洋を渡った日本人たちがいて,その伝統がズニ族に伝わった」という説を唱えた『ズニ族の謎』が浮かんだ。

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本書『ミルクを飲まない文明』の後半では「太平洋を渡った長江文明」というような「トンデモ理論」が展開されるのではなかろうかという嫌な予感。

しかし,最終章「環太平洋文明に共通する世界観」に至って,その心配は杞憂に終わった。

「しかし,彼らが中南米に渡って,マヤ文明やインカ文明をつくったという証拠はどこにもない」(187頁)

だが,助かったと思った一方で,「イースター島」の話はどこに行ったんだろうという疑問も残った。

本書『ミルクを飲まない文明』は決してつまらない本ではないし,有益な示唆も豊富に含まれている。しかし,強烈な主張に惑わされないことが必要である。読む前にはある程度の世界史に関する知識が必要だと思う。

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