加上説:古い話はあとから作られる
宮崎市定の『中国史』の古代編を読んでいると,「加上説」というのが出てくる。
神話時代の物語は,古い時代に関する話ほどあとから作られたものである可能性が高いという説である。
これを加上説というが,日本神話でも同じようなことがあると言われているので両方を取り上げてみた。
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下の図は日中の神話に対する加上説を並べて図示したものである。
まず,中国の神話時代の帝王たちの系譜について。
孔子は理想的な帝王の姿として周の文王・武王を描いた。これに対抗して墨子は文王・武王よりも前に手本とするべき帝王として禹を置いた。これにさらに対抗したのが孟子で,禹の前に,堯・舜といった帝王を置いた。老子・荘子の流れをくむ道家はさらに古い時代の帝王として黄帝を置き,農業の専門家たちである農家は神農をその前に置いた。易学を専門とする儒家の一派はさらに前に伏犠を置いた。
ということで,春秋戦国時代の学者たちは自分たちの学問の祖となる人物をライバル学派の祖の前に置くということを繰り返し,その結果,古代帝王の長い系譜が出来たというわけである。これが中国神話の加上説であり,宮崎市定『中国史(上)』の166~167ページに出てくる。
つぎに日本の記紀神話の加上説について。
これは4年ほど前,本ブログの記事「松前健『日本の神々』(中公新書)を読む」で紹介したので採録になる。松前健『日本の神々』の文章をもう一度引用しよう:
イザナギ・イザナミの国生み神話は,もともと淡路島付近の海人の風土的な創造神話,天の窟戸神話は,もと伊勢地方の海人らの太陽神話,スサノヲの八岐大蛇神話は,出雲の風土伝承,天孫降臨は宮廷の大嘗祭の縁起譚,というように,記紀の各説話はめいめい異なった出自・原素材を持っている。それらの原素材は,それだけで完結していて,互いに無関係であったに違いない。ところが,ある一時代にこれらの説話を操作し,これらを人為的に一定の構想をもって,結びつけ,大和朝廷の政治的権威の淵源・由来を語る国家神話の形とした少数の手が感じられるというのである。(松前健『日本の神々』189~190ページ)
つまり,大嘗祭の縁起譚として天孫降臨神話があり,天孫降臨神話の前の話として天の窟戸神話が結び付けられ,天の窟戸神話の前の話として国生み神話が結び付けられた可能性があるというわけである。
ちなみになぜ,天の窟戸神話と天孫降臨神話が直接結びつき,八岐大蛇神話が脇に追いやられているのか,という疑問がわくかもしれないが,そのあたりは本ブログの過去記事「アメノイワヤト神話と天孫降臨神話は直結していた」をご覧いただきたく。
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もし加上説が正しいとすると,史書に記された歴史のうち,信ぴょう性の高い部分が短くなり残念な思いをする人もいるかと思われる。
しかし,それは史書に記載された歴史,つまり文書化された歴史が短くなっただけのことである。
考古学が教えるように,中国の場合,彩陶文化や黒陶文化といった文化が太古に栄えていたことは確かであるし,日本の場合も,紀元前145世紀から紀元前20世紀にいたる長期間にわたって高水準の縄文文化が栄えたわけである。文字になった歴史が短くとも嘆く必要はない。
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