宮崎市定『中国史』を読む
先々月,先月と,東洋史学の泰斗・宮崎市定の著書,『中国史』が上下巻に分けて岩波文庫から上梓されたので,購入し昨日から読書中。
中公文庫で出ているこの人の本はほとんど購入し,岩波文庫のものもいくつか読んでいるが,中国の通史はこれが初。
小生の頭の中では,宮崎市定(東洋史),中村元(仏教),井筒俊彦(イスラーム)が三大東洋学者であり,文庫本が出たら読まなくてもすぐ購入することにしている。
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この通史を貫くのは上巻の総論に記述されているように,歴史は単なる事実の集積ではなく,論理の体系であるという主張である。それも抽象的な論理ではなく,「事実の論理」の体系でなくてはならないということ。
読者の中には,早く古代から現代にいたる歴史の流れを知りたくて,上巻の総論を読み飛ばしたいと思う人もいるだろう。しかし,上巻の総論こそが宮崎史学のエッセンスなので,じっくり読むべきである。
かつてE. H. カーが『歴史とは何か』の中で「歴史は現在と過去の対話である」と述べた。しかし,いまいち小生にはピンとこなかった。
ところが,今回,『中国史』の総論を読んでいたら,歴史というものの意義についてはっきり述べている箇所があって,心中の霧が晴れた。
人間の実生活には,絶えず将来を予測し,将来に備えながら,現在の瞬間を生き,新しい歴史を作っていく一面と,また絶えず過去を振返って過去を整理する一面とがある。そして過去を整理しておかなければ,明日の生活に支障を来すことになるのである。過去はそのまま消えて行くものではなく,その中の必要な部分は将来に再生する。だから過去を整理するという仕事は,それ自身が生活の進行なのである。何だか反対の方向に向いているように見えて,実際はそのいずれも,我々が生きて行く間に起る,生活の営みに外ならない。(『中国史 (上)』,33ページ)
歴史の意義が明確になったので,今後も安心して歴史書を読み散らかすことができる。
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