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2015.06.01

映画のスクリーンの空間は遠心的

時間のあるうちにバザンの主張をメモっておく。

バザンは演劇の舞台や絵画の額縁との対比により,映画のスクリーンの特性を陳述してみせる。

「舞台装置は裏側から支えられつつ,彼方の不在によって存在している。それは絵画が額縁によって存在しているのと同じである。 <中略> アクションが繰り広げられる舞台および舞台装置は,世界に無理やりはめ込まれた,しかしまわりを取り囲む『自然』とは本質的に異質な,美学的小宇宙<ミクロコスモス>なのである。」(「10 演劇と映画」,『映画とは何か(上)』266ページ)
「スクリーンとは絵画における額縁のような枠ではなく,出来事の一部しか見せない,いわばマスクなのである。登場人物がカメラのフレームからはずれると,私たちはその人物が視野から消えたのだと理解はするが,その人物はセットの別の場所,私たちからは隠された場所にそのまま存在し続けているのである。 <中略> 舞台の空間とは対照的に,スクリーンの空間は遠心的なのである。」(「10 演劇と映画」,『映画とは何か(上)』266ページ)

この映画のスクリーンの特性を生かして,「絵画映画」なるものの可能性を肯定するのが「絵画と映画」なる一文である。

「額縁が空間を内へと収斂させていくのとは反対に,スクリーンが私たちに見せる一切のものは,すべてが外の世界に際限なく延び広がっていくはずである。額縁は求心的でありスクリーンは遠心的なのだ。とすれば,絵画制作のプロセスを逆向きにして,額縁にスクリーンをはめ込むなら,絵画の空間はその方向性や境界を失い,わ私たちの想像力にとって無限の広がりを獲得するだろう。そのとき絵画は,造形芸術としての特徴を失うことなく映画の空間的な特性を与えられ,あらゆる方向に絵画の境界を越えていく仮想的な絵画空間となる。」(「12 絵画と映画」,『映画とは何か(上)』321ページ)

これで思い出したのが,デルヴォーの絵画に捧げられた,ラウル・セルヴェのアニメーション『夜の蝶』である。アニメーションもまた映画の一部門であり,スクリーンの外への広がりが感じられる。

夜の蝶』の場合,空間の広がりはもとより,(円環的であるが)時間の広がりをも感じさせるものとなっており,デルヴォーの絵画を超絵画的なものへと転生させている。

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