« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015.06.30

ついにデフォルト…プエルトリコが!?

世界中がギリシャに注目しているこのドサクサにプエルトリコがデフォルト(債務不履行)宣言をしたという:

プエルトリコがデフォルト宣言…金融市場影響も」(読売新聞,2015年6月30日)

プエルトリコはアメリカの自治領なので,米国内の話だが,負債の総額は700億ドル(現在のレートで8兆6000億円)だというから,国際金融市場にも少なからぬ影響があると思われる。

ちなみにIMFの推計では2015年4月のギリシャの政府債務残高は3161億ユーロ(現在のレートで43兆3400億円)であるから,プエルトリコの債務の約5倍。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.29

アイヌに会うための旅:松浦武四郎とイザベラ・バード

昨日,探検家イザベラ・バードを主人公とする漫画,佐々大河『ふしぎの国のバード』について書いた。

この作品の中における,バードの旅の動機の一つは「消滅しつつある江戸文明を記録する」ことだが,それに加えて「アイヌに会う」こともまたバードを突き動かしていた強力な動機であった。

ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)
佐々 大河

KADOKAWA/エンターブレイン 2015-05-15
売り上げランキング : 18284

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

バードの『日本奥地紀行』(原題"UNBEATEN TRACKS IN JAPAN")では多くの紙数を割いて,蝦夷地の様子,アイヌ(Aino)の人々の生活が描かれている。

バードはアイヌたちに相当惚れ込んでいたようで,あるアイヌの男性(純粋なアイヌではないようだが)についてこのように述べている。

"I think I never saw a face more completely beautiful in features and expression, with a lofty, sad, far-off, gentle, intellectual look, rather that of Sir Noel Paton's "Christ" than of a savage. His manner was most graceful, and he spoke both Aino and Japanese in the low musical tone which I find is a characteristic of Aino speech. These Ainos never took off their clothes, but merely let them fall from one or both shoulders when it was very warm." (LETTER XXXV, GINSAINOMA, YEZO, August 17., "UNBEATEN TRACKS IN JAPAN", ISABELLA L. BIRD)

アイヌに魅せられていたのはバードだけではない。それ以前にも松浦武四郎という幕末の探検家がいた。

ドナルド・キーンは『百代の過客〈続〉』の一章を割き,アイヌに深い愛情を抱いた松浦武四郎のことを紹介している。

松浦武四郎は弘化元年(1844年)以降,6回にわたりアイヌの手を借りながら蝦夷地を探検し,ついには択捉島や樺太まで踏破した。

松浦武四郎の残した蝦夷地の記録には『後方羊蹄<しりべし>日誌』『石狩日誌』『夕張日誌』『十勝日誌』『納沙布日誌』『知床日誌』『北蝦夷余誌』等があり,江戸の人々にアイヌの素晴らしさを伝えている。

実はドナルド・キーンは松浦武四郎について述べたこの一章の中で,先に触れた『日本奥地紀行』の一節を引いてバードがアイヌの魅力に「いかれて」いた有様を描いている。幕末と明治とで時間の差はあれ,バードも松浦武四郎もアイヌの魅力に捕らわれてしまったという点では同じである。

百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)百代の過客 〈続〉 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)
ドナルド・キーン 金関 寿夫

講談社 2012-04-11
売り上げランキング : 522980

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

つい先週,NHKの「歴史秘話ヒストリア」で松浦武四郎の生涯が紹介されていた。松浦武四郎こそは「北海道」という名称の名付け親であった。「北海道」の「海」とは,アイヌ語の「カイ」,すなわちアイヌの国のことだったとは,この番組で初めて知った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.28

佐々大河『ふしぎの国のバード』を読む

この間,佐々大河(さっさ・たいが)の漫画『ふしぎの国のバード』を読んだ。

19世紀のイギリスの旅行家イザベラ・バードが書いた『日本奥地紀行』をもとにした作品である。1巻では1878年(明治11年)の横浜から日光までの旅が描かれている。

ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)ふしぎの国のバード 1巻 (ビームコミックス)
佐々 大河

KADOKAWA/エンターブレイン 2015-05-15
売り上げランキング : 18284

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
イザベラ バード Isabella L. Bird

平凡社 2000-02
売り上げランキング : 22957

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

原作『日本奥地紀行』の良い入門書とも言えるし,江戸の情緒を残した当時の日本人の生活をビジュアルに表現している点では,原作を越えているようにも思える。

NHKの『タイムスクープハンター』を見た時の楽しさに近い。

一つ難を言えば,バードは1831年10月生まれなので,当時,46歳である。佐々大河の描くバードは若すぎる。


駐日英国全権公使パークスの夫人がバードにパークスの言葉として伝えた

「今,この国でひとつの文明が滅びようとしている」

というセリフは,あれですね,渡辺京二の『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』の基本テーマですね。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)
渡辺 京二

平凡社 2005-09
売り上げランキング : 622

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


日本奥地紀行』の原文(もちろん英語)はGutenberg Projectで読むことができる:

"Unbeaten Tracks in Japan by Isabella L. Bird"

ちなみにバードは日本についての紀行文をまとめただけでなく,隣国朝鮮についても紀行文を書いている。その話は以前に書いた(参考)のでここでは省略。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.24

廣中平祐先生と話した

某月某日,勤め先某所で廣中平祐先生とお会いした。ご存じ,日本人で二人目のフィールズ賞受賞者である。

知っている人は知っていると思うが,廣中先生は山口県玖珂郡由宇町(現岩国市)の生まれである。御年84歳。

Heisukehironaka_2

会話に加えていただいたが,何故か話題はSERSの話と,韓国の話と,カジノ法案反対という話。

まあ,いまさら数学の話をしても,という感じだろうと思う。

昔,この人の『生きること学ぶこと』を読んで,すごい人だと感動したこともあるが,直接会ってみるとなんか違った。とはいえ,目は鋭く輝いていた。

生きること学ぶこと (集英社文庫)生きること学ぶこと (集英社文庫)
広中 平祐

集英社 2011-05-20
売り上げランキング : 123898

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

今年はノーベル賞の天野先生も見たし(参考),なんか得した気分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.21

先々週はKLに行っていた件

仕事が山積しているため,更新が滞りがちですが,先々週はKLことクアラルンプールに行っていたわけです。

Kl2015061202

↑ご存じ,KLのシンボル,ペトロナス・ツインタワーの一方の塔

UTM(マレーシア工科大学)のカレッジの一つであるMJIIT(マレーシア日本国際工科院)というところにお邪魔しておりました。

Mjiit20150612

↑このカラーリングは大学には見えない。

どうやら雨季らしく,天気は良かったり悪かったり。一日のうちに一度は土砂降りに見舞われます。

Kl2015061201

↑暗雲たちこめるKL上空の様子

Kl2015061203

↑その一方でカーッと晴れる瞬間もある。おなじみペトロナス・ツインタワー。

わずか数日の旅だったものの,活気あふれる清潔で安全な街の生活を満喫。マレーシア人たちは不景気だと言っていたけど本当だろうかと思うぐらいだった。

世界ふれあい街歩き 東南アジア/ベトナム ホーチミン・マレーシア クアラルンプール [DVD]世界ふれあい街歩き 東南アジア/ベトナム ホーチミン・マレーシア クアラルンプール [DVD]

ポニーキャニオン 2011-01-18
売り上げランキング : 69684

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.09

トルストイ『読書の輪』の文章をもう一丁

トルストイ『読書の輪』<<КРУГ ЧТЕНИЯ>>(抄訳解説版は『ロシア語一日一善』)の文をもう一つ訳しておく。

ちょっと長いが頑張る。

Одно из самых грубых суеверий есть суеверие большинст­ва так называемых ученых нашего времени о том, что человек может жить без веры.
  • <<самый>>は最上級を表す。<<самый грубый>>で「もっとも粗野な」の意。<<...ых>>は形容詞の複数生格
  • <<суеверие>>は「迷信」
  • <<большинст­во>>は「大多数」
  • <<так называемый>>は「いわゆる」
  • <<ученых>>は「科学的」の複数生格ではなく,実は「学者たち」を表している
  • <<нашего времени>>は<<наша время>>「私たちの時代=現代」の生格
  • <<о том, что...>>は「...という」。間にタンゴがたくさん入ってわかりにくいが,<<суеверие...о том, что...>>という構成になっており,「...という迷信」と訳す

ということを踏まえると次のように訳される。

「もっとも粗野な迷信の一つは,現代のいわゆる学者の大半が抱いている,『人間は信仰が無くても生きられる』という迷信である」

この文章,主語がどれかわかりにくい。ロシア語における"be"動詞にあたる<<есть>>の前にある<<Одно из самых грубых суеверий>>が主語であるとも,<<есть>>の後ろにある<<суеверие большинст­ва так называемых ученых нашего времени >>が主語であるとも言える。

イェスペルセンの主語・述語論(参考)をもとに考えると,「•主語はより限定的・特定的であるが,述語はそれほど限定されていない」ということであるから,<<есть>>の後ろにある<<суеверие большинст­ва так называемых ученых нашего времени >>の方を主語に選ぶ方が適切かもしれない。

その場合の訳は

「現代のいわゆる学者の大半が抱いている『人間は信仰が無くても生きられる』という迷信は,もっとも粗野な迷信の一つである」

となる。どちらでも意味は通じる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

声に出して読みたいロシア語:トルストイ『読書の輪』を読む

日曜日にアレクセイ・ゲルマンの『神々のたそがれ』を見てロシア語熱が再発したので,トルストイ『読書の輪』<<КРУГ ЧТЕНИЯ>>(抄訳解説版は『ロシア語一日一善』)の一文を訳すことにする。

Жизнь человека без веры -- жизнь животного.
  • <<Жизнь>>は"Life",「生活」や「人生」の意
  • <<без>>は"without"の意味を持つ前置詞で,後に続く単語は生格をとなる。だいたいロシア語で否定形関係は生格を採ることが多い。後ろに続く<<веры>>は<<вера>>「信仰」の生格。
  • <<животного>>は<<животное>>「動物」の生格。抽象名詞は形容詞の中性形から作られるというのは以前にも学んだこと

これらを踏まえて訳すと

「信仰をもたない人の人生は獣の人生である」

となる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.08

アレクセイ・ゲルマン監督の遺作『神々のたそがれ』を見てきた

YCAMでアレクセイ・ゲルマン監督の遺作,『神々のたそがれ』を見てきた。原題は<<Трудно быть Богом>>, つまり「神様はつらい」である。

【あらすじ】

舞台は,とある惑星の都市アルカナル。

この惑星は,地球から 800 年ほど遅れた発展を遂げており,中世ルネッサンス期を迎えているかのようであった。

そこに目を付けた地球人たちは,科学者・歴史家らの調査団を派遣した。しかし,最初の潜入から20 年が経過しても,そこで繰り広げられるのは,圧政,殺戮,知的財産の抹殺であり,文化発展の兆しは全く見られない。

地球人の一人,ドン・ルマータは,未来から知識と力を持って現れた神のごとき存在として惑星の人々から崇められているが,政治に介入することは許されず,ただただ権力者たちによって繰り広げられる蛮行を傍観するのみであった…(チラシより)

「ルネサンス誕生の瞬間が見られるかも」という地球人たちの希望は見事に打ち砕かれた。大学の破壊から知識人の迫害がはじまり,反知性主義が凱歌を揚げた。ポルポト時代のカンボジアにも通じる状況。地球人たちは失望し,あきれ返っている。ドン・ルマータはしきりに<<тоска>> (気が滅入る), <<трудно>> (疲れる)という言葉を口にしている。だがそれでもドン・ルマータは領主の一人としてこの星の人々の生活に入り込み,時として闘争にも加わりながら,参与観察を続けているのであった。

ひたすら降り注ぐ雨と,泥と,糞尿と,血と,内臓と……さらに暴力と,陰謀と,無知とに包まれた世界で生きる人々を描いた作品である。3時間もある大作だが,ただただスクリーンにくぎ付けとなった。

ソ連/ロシアと言ったら,タルコフスキーとかソクーロフとか。また世界に目を向ければ,テオ・アンゲロプロスとかタル・ベーラ(参照)とか,強烈な作品をこれまで見てきたが,今度のこれもまた素晴らしい。悲惨すぎてユーモアすら漂っている。

Bogtrudno

ウンベルト・エーコ曰く:

「アレクセイ・ゲルマンに比べれば,タランティーノはただのディズニー映画だ」(「神々のたそがれ 劇場用パンフレット」94ページ)

おっしゃる通りで。タランティーノは暴力を扱っていても様式美と言えるぐらい綺麗ですからね。

浅田彰先生などはやはり上手いこと本作を批評している:

「ルネサンスの期待は中世への退行によって裏切られ,解放は抑圧,知は狂信,富は貧困,平和は暴力を生む。歴史の悪循環をそのように俯瞰することすらここでは不可能だ。際限のない泥と糞の海を横切りつつ,視界が限られた中で,すべてに触れ,嗅ぎ,舐め,吐き捨てるほかはない。そして言葉というより声,音楽というより音に耳を澄ますこと。これは単に見るべき映画ではなく,そうやって全感覚で体験すべき映画なのだ――ラブレーやブリューゲルの世界に身体ごと放り込まれたかのように」(「神々のたそがれ 劇場用パンフレット」93ページ)

SFであるにも関わらず,醜悪な世界と人間とを,美しさを感じさせるほど徹底的に描いているので,リアリティーが半端ない。ヒエロニムス・ボッシュとラブレーとを混ぜ合わせた世界を撮ってきたドキュメンタリーのようだ。バザンから「映画におけるリアリズムとは何か?」と聞かれたら,「この映画に答えがあります」と答えよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.05

反知性主義の凱歌

内田樹先生の憂えた通り(「コンビニ化する大学と知性の危機について」,「国立大学改革亡国論『文系学部廃止』は天下の愚策」)になりつつありますよ。

政府,職業訓練専用の高等教育機関設立方針 4年後にも開校」(2015年6月4日,産経ニュース)

日本がよく手本にするアメリカなんか実は教養と学歴が重視される社会で,某ビジネススクールを出ないと某業界に入れなかったりと,社会における大学の価値が重要視されている。社会システムに大学がエンベッド/インプルメントされている。大学の卒業証書はギルドに参加するための必須アイテムなのである。

日本の大学人はこういう枠組みを構成するのに失敗した。故に大学不要論の潮流へと飲み込まれてしまうのだ。

日本では反知性主義が凱歌をあげつつある。

しかし,日本の大学人にとって活路はないわけではない。新興国では今後数十年間,高等教育需要が存在し続ける。南に道は開かれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「天使の声」シャーロット・チャーチ,「反緊縮財政」運動に加わる

1998年,シャーロット・チャーチ(Charlotte Maria Church)は12歳で歌手デビューした。そのデビューアルバム"Voice of an Angel"は全世界で1000万枚を売り上げ,シャーロットは一躍,天才少女歌手として脚光を浴びることとなった。

しかしある時期を境にシャーロットの生活は乱れ始め,やがて彼女はタブロイド紙のゴシップ記事の常連になっていった。天才少女歌手からビッチへの変貌である。

ところが,事態はそれだけでは終わらない。

シャーロットは今新たに社会運動家へと変貌を遂げつつある。ガーディアン紙がこのように報じている:

"Charlotte Church says she would pay tax at 70% to protect public services" (by Peter Walker, The Guardian, June 4, 2015)

英国のキャメロン政権は緊縮財政の名のもと,社会インフラや教育への投資をカットし続けている。

これに対し,反緊縮財政運動(Anti-austerity campaign)が広がりつつあるが,シャーロットもまたそれに加わるということである。

英国の一部メディアは彼女のことを"a prosecco socialist",すなわちワイン片手に社会活動を行う偽善者と皮肉っているのだが,これまでゴシップでたたかれてきたシャーロットがその程度の批判に負けるわけがない。

彼女は言う:

"I have paid all my tax since I was 12 years old, and I would certainly be happy if the rate was 60% or 70%. I wouldn’t move away, I wouldn’t have an offshore account."
「私は12歳から税金を払ってきているし,もし税率が60~70%になったとしてもうれしいぐらいだ。私は逃げないし,海外に口座を作るようなこともしない」

政府は教育や国民保健サービスに資金を投じるべきであり,そのためなら税金が高くなっても構わないと彼女を主張する。

シャーロットの舌鋒は鋭く,キャメロンのことを女性嫌いの低俗な奴とケチョンケチョンにけなしている。

シャーロットは6月20日にロンドンで実施される反緊縮財政行進に参加するとのこと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.03

わりと先が読める話が好きになってきた件

備忘録としてチラシの裏的なことを書く。

仲間由紀恵・町田啓太主演のNHKドラマ「美女と男子」というのがある。途中から見ても全体がわかるぐらい,先が読めるドラマだが,それでも面白い。

40代も半ばになってきたせいか,難しい話が苦手になってきた。わりと先が読める話がかなり好きになってきた。

そういう意味では他愛無い漫画もいい。

この辺なんか,とくにいい:

浦田カズヒロ『僕のおじいちゃんが変な話する!』(講談社)
僕のおじいちゃんが変な話する!(1) (講談社コミックス)僕のおじいちゃんが変な話する!(1) (講談社コミックス)
浦田 カズヒロ

講談社 2014-07-09
売り上げランキング : 96710

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


清野静流『青春乙女番長!』(講談社)

青春乙女番長!(1)青春乙女番長!(1)
清野静流

講談社 2013-06-13
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

どちらも3巻で完結。

飽きられないぐらいの長さで完結するのは潔くて良い。プロの仕事だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うるわしの大和は人工環境

ご存じのとおり,「里山」というのは原始林ではなくて人が手入れして作った人工環境である。

俗にいう自然環境のほとんどは人間が働きかけて作った「自然環境」であることは忘れてはいけない。アマゾンですら人工環境だという説もある(参照:「【アマゾンに文明があったんだ】実松克義『アマゾン文明の研究』を読んだ【驚異のモホス文明】」)。日本の古代もまたそうであった。

古墳時代,王権が確立していたとされる大和の地もすでに大規模な改造が行われていた。

有岡利幸は,日本における里山の歴史を描いた『里山』の中で,雄略天皇一言主に出会ったときのエピソードを引いて,大和の山々がすでに里山として改造されていたことを示している。

里山〈1〉 (ものと人間の文化史)里山〈1〉 (ものと人間の文化史)
有岡 利幸

法政大学出版局 2004-03
売り上げランキング : 274790

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

雄略4年,天皇は葛城山へ鹿狩りに行った。そのとき天皇一行が居る尾根の向かいの尾根に天皇一行とそっくりな行列がいるのを見つけた。それが一言主の一行だったのである。

山の尾根から向かいの尾根にいる人々(神々?)が見えるというのはどういうことか。山頂に森林が無いということである。森林限界以下の葛城山の山頂に森林がないということは,すでに葛城山が尾根まで開発されていたということに他ならない。

「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和しうるはし」

と歌われる大和の美観は古代人が作り出した人工環境だったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015.06.01

映画のスクリーンの空間は遠心的

時間のあるうちにバザンの主張をメモっておく。

バザンは演劇の舞台や絵画の額縁との対比により,映画のスクリーンの特性を陳述してみせる。

「舞台装置は裏側から支えられつつ,彼方の不在によって存在している。それは絵画が額縁によって存在しているのと同じである。 <中略> アクションが繰り広げられる舞台および舞台装置は,世界に無理やりはめ込まれた,しかしまわりを取り囲む『自然』とは本質的に異質な,美学的小宇宙<ミクロコスモス>なのである。」(「10 演劇と映画」,『映画とは何か(上)』266ページ)
「スクリーンとは絵画における額縁のような枠ではなく,出来事の一部しか見せない,いわばマスクなのである。登場人物がカメラのフレームからはずれると,私たちはその人物が視野から消えたのだと理解はするが,その人物はセットの別の場所,私たちからは隠された場所にそのまま存在し続けているのである。 <中略> 舞台の空間とは対照的に,スクリーンの空間は遠心的なのである。」(「10 演劇と映画」,『映画とは何か(上)』266ページ)

この映画のスクリーンの特性を生かして,「絵画映画」なるものの可能性を肯定するのが「絵画と映画」なる一文である。

「額縁が空間を内へと収斂させていくのとは反対に,スクリーンが私たちに見せる一切のものは,すべてが外の世界に際限なく延び広がっていくはずである。額縁は求心的でありスクリーンは遠心的なのだ。とすれば,絵画制作のプロセスを逆向きにして,額縁にスクリーンをはめ込むなら,絵画の空間はその方向性や境界を失い,わ私たちの想像力にとって無限の広がりを獲得するだろう。そのとき絵画は,造形芸術としての特徴を失うことなく映画の空間的な特性を与えられ,あらゆる方向に絵画の境界を越えていく仮想的な絵画空間となる。」(「12 絵画と映画」,『映画とは何か(上)』321ページ)

これで思い出したのが,デルヴォーの絵画に捧げられた,ラウル・セルヴェのアニメーション『夜の蝶』である。アニメーションもまた映画の一部門であり,スクリーンの外への広がりが感じられる。

夜の蝶』の場合,空間の広がりはもとより,(円環的であるが)時間の広がりをも感じさせるものとなっており,デルヴォーの絵画を超絵画的なものへと転生させている。

「夜の蝶」ラウル・セルヴェ作品集 [DVD]「夜の蝶」ラウル・セルヴェ作品集 [DVD]

ジェネオン エンタテインメント 2006-07-21
売り上げランキング : 167693

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »