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2015.04.21

アンドレ・バザン『映画とは何か』(上)を読む

アンドレ・バザンの『映画とは何か』の上巻を読んでいる。ここに収められているのは20代後半から30代後半に至る10年程度の間にバザンが書いた映画に関する論考15編である。

バザンは1918年生まれで1958年には亡くなっている。バザンが活躍している時代はそれほど長くないから,ここに収められている論考は,バザンの全生涯の仕事の最も重要な部分が全て押さえられているものと考えてよいだろう。

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フランスの思想家の著作を読むときと同様に,気取っておりペダンチックで思わせぶりな文章に,読者は面喰うかも知れない。しかし多少の集中力さえあれば,映画に対する認識を一変させるような,バザンの主張に触れることができる。

例えば,上巻の巻頭を飾る「写真映像の存在論」

絵画や彫刻などの造形芸術の起源は,全てを風化させ消滅させてしまう時の流れへの抵抗,つまり美学的というよりも心理学的な動機にあるものとバザンは見ている。肖像画などは今,この瞬間を永続的に保存しようという営為だというわけだ。従って,造形芸術の歴史というのは(美学的側面もあるものの)第一にリアリズムの歴史であるという。

写真や映画の登場は造形芸術の歴史を一変させる大事件だったという。絵画や彫刻よりも非主観的かつ正確に現実を写し取る写真や映画は,絵画や彫刻をリアリズムから解放した。

「私たちは写真を造形芸術におけるもっとも重大な出来事とみなすことができる。それは解放であると同時に成就であり,写真のおかげで西欧絵画はリアリズムへの執着をきっぱりと捨て去って,美学的自立性を取り戻すことができた」(『映画とは何か』(上),20ページ)

先ほど,本書の文章を「気取っておりペダンチックで思わせぶりな文章」と述べたが,それは例えば第4章「沈黙の世界」の冒頭のこんな文章に代表される:

「『沈黙の世界』〔ジャック=イヴ・クストールイ・マル監督,1956年〕を批評するのは,なるほど馬鹿馬鹿しさを免れないことだろう。この作品の美しさは,要するに自然の持つ美しさなのであって,この作品を批評することは神を批評するに等しいからだ」(『映画とは何か』(上),55ページ)

「この作品を批評することは神を批評するに等しい」とか言いながら,このあと批評が行われるのが,なんともおかしみを感じる。だが,海洋ドキュメンタリー映画である『沈黙の世界』の魅力が「重力からの解放」にあるという指摘は鋭いなと思わせる。

「それは三次元の世界,しかも空気に包まれた世界以上に落ち着いた,均質な世界であり,私たちを包み込んで重力から解放してくれる。私たちを地上に縛りつける鎖からの解放は,結局のところ鳥によってと同様,魚によっても象徴されうるものなのだ。」

「私たちの想像力を超えた科学の力のおかげで,人間は自らのうちに魚と同じ能力が秘められていたことを知り,空を飛ぶという古くからの神話を水中で現実のものとした。その神話は,騒々しい音をたてる金属の塊である飛行機よりも,アクアラングを着用したダイバーによってはるかに満足のいくかたちで実現された」(『映画とは何か』(上),56~57ページ)

各論考とも,読み進めていくうちにバザンの言う通りのような気がしてくる。バザンの文章力(訳者の力量も含めて)たるや,恐るべきものである。

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