落合淳思『殷―中国史最古の王朝』を読む
殷というのは占卜や祭祀犠牲による神権政治の王朝,現代人から見ると何処かイカれた王朝であって,人(ヒト)中心の時代が始まるのは周王朝からだと思い込んでいた。
こういう偏見をずっと抱いていたのだが,本書を読んでガラッと考え方が変わった。
殷 - 中国史最古の王朝 (中公新書) 落合 淳思 中央公論新社 2015-01-23 売り上げランキング : 4589 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
本書は,後世の文献である『史記』などに依らず,殷王朝と同時代の資料である「甲骨文字」をもとに,殷王朝の王統,祭祀,軍事,統治体制を解明した,画期的な書である。
本書によれば,古代には古代なりの合理主義が存在し,殷王朝もまた当時の合理主義に従って統治を行っていた。
本記事の冒頭で述べたような「神権政治」にしても,神威を利用した,当時としては合理的な政治システムだったことが本書では主張されている。占卜に使用された甲骨はあらかじめ加工され,吉兆がコントロールされていた。「神から人へ」という「殷周革命」の枠組みは,周王朝を理想化する孔子や司馬遷によって形成されたプロパガンダであって,小生もそれに毒されていたに過ぎない。
殷王朝は二里頭文化(BC20~BC16世紀)を担っていた王朝の後継者として登場した。殷王朝前期(BC16~BC14世紀)・中期(BC14~BC13世紀)の王統や政治体制については甲骨文字資料がないため,不明確なことが多いが,青銅器や遺跡(二里岡文化)等の考古学的資料からは殷の広大な支配領域や技術水準が明らかになってきている。
殷代後期(BC13~BC11世紀)には莫大な量の甲骨文字資料が作成されたが,著者はそれらの記述をもとに,殷代中期に王朝が複数の王統に分裂したことを推定している。祭祀に使用された甲骨文字には,複数の先王の名が記されているが,その組み合わせからは,殷代中期に「祖乙」という共通の祖先名を挙げる,
- 祖乙→象口甲→盤庚
- 祖乙→祖辛→祖丁→小乙→武丁
- 祖乙→羌甲
- 祖乙→南庚
という4つの王統が並立していたことが推定される。なお,これら4つのグループはかならずしも血縁で結ばれたものとは限られず,赤の他人が「祖乙」の子孫を自称していた可能性もある。
小生が高校生の頃の世界史の教科書・参考書には殷王朝では兄弟相続が行われていた可能性が記載されていたが,実際には複数の王統が存在していて,後から擬制親族として系図が作られ,兄弟相続が行われていたかのようなフィクションが作られた可能性がある。
殷代中期の混乱を統一したのは「武丁」で,かなりのカリスマ性を備えた人物だったと推定される。武丁は統治に祭祀・占卜を多用し,その結果,武丁代に最も多くの甲骨文字資料が作成された。
武丁以降が殷代後期ということになるが,甲骨文字の内容から推定すると,武丁の後継者たちはカリスマ性に頼らない支配機構を確立し,BC12世紀頃は安定した時代となっていたようだ。その後,BC11世紀に入ると敵対勢力が台頭した。これに対し,殷王朝は集権化によって対応したが,帝辛の時代に入って突如滅亡した。
帝辛は史記に出てくる暴君・紂王にあたるが,甲骨文字の記録からはとくに暴虐さは見られない。祭祀や軍事訓練を淡々とこなしており,国家経営は順調だったように思われる。
殷王朝滅亡に関しては,殷王朝を滅ぼした周王朝側の記録(青銅器に刻まれた金文など)しかない。周王朝としては,帝辛を暴君とすることによって殷周革命の正当性を訴えている。史記以降の歴史書は暴君討つべしという「天」の論理によって貫かれている。これに対する殷王朝側の甲骨文字資料は存在しないので,本当の滅亡理由はわからない。
本書の著者は,殷王朝の集権化そのものが地方領主の不満を買い,その結果,クーデターが起きたのではないかと推定している。しかし,地方領主の不満を買わないために分権化した場合には,殷王朝の滅亡はより早まったかもしれず,いずれの施策を採るにしても,殷の滅亡は避けられなかったかもしれないというのが,著者の結論である。
初めの方にも書いたが,本書を通して感じられるのが,合理性を以て殷王朝を理解しようという姿勢である。それは本書のあとがきにおいてこう記されている:
「つまり,古代文明なりの合理性によって殷王朝は維持されており,当時としてはバランスをとった支配体制が採用されていたのである。 <中略> ただし,こうした経験的に得られた社会の合理性は,万能ではない。新しい状況が出現したり,複数の合理性が矛盾を起こした場合,破たんすることもある。殷王朝も,末期において敵対勢力が再出現し,それに対抗して王の権力や軍事力を強化したが,集権化によって内部から反乱が起こり,最終的には王朝が滅亡した。 <中略> いわば「合理性の衝突」とも呼ぶべき現象によって殷王朝は滅びたのであった。」(殷―中国史最古の王朝 (中公新書)243~244ページ)
白川静の本などを読んでいると,古代には古代なりの論理があるとはいえ,それはオドロオドロしく,我々には不可解で違和感を伴うものである,という感じが拭えなかった。しかし,本書を読み通したら,そのオドロオドロしさはどこかに行ってしまった。
不可解な神秘的な文明といえば,マヤとかアステカとかが挙げられる。だが,これらの文明もまた,殷王朝と同様にそれなりの合理性によって運営されていたのではないかと,本書を読み終えてから思いなおすようになった。
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