日立研究所,80年余りの歴史に幕
「技術の日立」 その研究開発を支えていた日立研究所が80年余りの歴史に幕を閉じる。
日立製作所が4月1日付で研究開発体制の再編成を行い,研究所群を整理統合するためだ:
「日立が研究開発体制を再編、中研など国内3研究所は解体へ」(マイナビ,2015年2月27日)
日立製作所には現在,中央研究所(CRL),日立研究所(HRL),横浜研究所(YRL)の3つの研究所がある。そのうち,日立研究所は,1934年に設立された,日立製作所最古の研究所である。現在では社会インフラ分野の研究開発を担当している。
小生の若かりし頃は中央研究所(通称:中研),日立研究所(通称:日研)のほかに,基礎研究所,生産研究所(生研),システム開発研究所(シ研),機械研究所(機研),デザイン研究所(デ研)など全部で7つの研究所があった。
その後,日立の経営状況が芳しくなくなるにつれ,研究所群の整理統合が行われ,現在の3研究所体制となった。
その整理統合過程で,たとえば土浦に拠点を置いていた機械研究所は2004年にひたちなかに移転し,さらに2011年に日立研究所に吸収された。ちなみに,デザイン研究所はデザイン本部として格上げされた。
現在の研究開発体制は次のとおりである:
- 研究開発グループ
- 技術戦略室
- 中央研究所
- 日立研究所
- 横浜研究所
- デザイン本部
これが4月1日からは、「社会イノベーション協創統括本部」,「テクノロジーイノベーション統括本部」,「基礎研究センタ」の2統括本部・1センタ体制となる。
- 研究開発グループ
- 技術戦略室
- 社会イノベーション協創統括本部
- テクノロジーイノベーション統括本部
- 基礎研究センタ
日立研究所はどこに行ってしまうのかというと,「テクノロジーイノベーション統括本部」に吸収される。
日立製作所の基礎研究部門は「基礎研究センタ」が担うことになるが,社外の研究機関との連携を強める方針だということだから,実際には大学や国立研究機関など,他の研究機関へのアウトソーシングになるのだろう。
日立製作所は昔から大量の研究者を大学や国立研究機関に送り込んでいる(というか日立製作所を辞めて大学や国立研究機関の教員・研究員になっている人が大量にいる)。
日立製作所が日立OBの大学教員などを活用すれば,大学・国立研究機関側は外部資金を獲得でき,日立製作所側は人件費を圧縮(国民が負担しているとも言う)して研究開発の生産性を向上できるわけで,いわばWin-winのビジネスモデルが成立する。
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