閻連科(イェン・レンコー)の『愉楽』
プノンペンにおります。熱帯とはいえ冬なので,日陰に居れば涼しく過ごせます。
さて,今日は休みなので読書。カンボジアに全く関係の無い中国小説を読んでいる。近頃話題になった閻連科(Yan Lienke,イェン・レンコー)の『愉楽』:
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予備知識なしに読もうとすると結構面喰う。
まず,物語の構造がすぐには見えてこないからだ。
つぎに,章立ての数字にも驚くかもしれない。いわゆる「第一部,第二部,第三部,…」は「第一巻,第三巻,第五巻,…」,「第一章,第二章,第三章,…」は「第一章,第三章,第五章,…」と奇数のみ用いて表されている。奇数ばかり使うのは縁起を担ぐ古い風習を踏まえてのことらしい。文中の年号も「庚申」とか「戊午」とか十干・十二支を使うし,わざと古い慣習を用いて,物語に神秘性を持たせている。
そして,方言による記述が頻出するのにも驚くかもしれない。「じゃけぇ」とか「そがいに」とか広島弁らしき方言。訳者の谷川毅先生の出身は中国(山陰山陽)地方なのだろうか? 小生は中国地方に住んでいるので,特に読みにくいということは無い。
話題が逸れるが昔は小説における方言と言えば「んだんだ」とか「だべ」とか東日本風だった。だが,早口で大声の中国の田舎の方言を日本語の翻訳で表そうと思えば,チャキチャキした山陰山陽方言の方が相応しいのかもしれない。
閑話休題。面喰うことが多いものの,初めの100ページぐらい(第一巻と第三巻)を読むと何が起きているのかがわかるようになる。備忘録として初めの100ページ分の要約を書いてみるとこんな感じである:
【『愉楽』第一巻・第三巻のあらすじ】
時代は戊寅(1998年)。舞台は身体障害者が集まって暮らしている,河南省西部,双槐県柏樹郷(そうかいけん・はくじゅごう)受活(じゅかつ)村。
受活村が真夏なのに大雪に見舞われる(大暑雪)という事件によって物語の幕が上がる。
受活村の全てのことは,元紅軍女兵士の茅枝婆(マオジー・バア)によって取り仕切られている。
茅枝婆(マオジー・バア)には菊梅(ジュイメイ)という娘がいる。菊梅は夫との間に侏儒妹(シュジュメイ)と呼ばれる,とても背の低い娘たちをもうけたが,夫はどこかに失踪。
じつは,その夫は今では双槐県の県長となっている。名を柳鷹雀(リゥ・インチュエ)という。もともとは捨て子だったが,数のアイディアによってよって頭角を現し,今や双槐県81万人の頂点に君臨している。
柳県長は双槐県を窮乏から救うべく,同県の観光地化を企んでいる。その目玉が「レーニン紀念堂」の建設である。ロシアで不要物扱いされていたレーニンの遺体を購入し,双槐県の魂魄山に安置して展示しようというのである。
レーニンの遺体購入には莫大な資金が必要だが,それを集めるために柳県長が考案したのが,受活村の身体障害者の持つ絶技を披露してお金を集めるという「絶技団」の編成である…。
これから(第五巻から)が面白い展開になってくるのだが,ネタバレになるので本記事ではここで止めておく。
なお,「受活」はこの本のキーワードで,「楽しむ,享受する,愉快だ,痛快でたまらない」などの意味でつかわれている。
『愉楽』のとっつき難さについては著者も認識しているようで,「日本の読者の皆様への手紙」でも
外国の読者にとって『愉楽』がどれほど読みづらい本かということもわかっています。 <中略> まず,最初にここで,日本の読者の皆さんに,この作品が普段読み慣れているものとは違うかも知れない,皆さんに喜んでもらえるものではないかも知れないということを,お詫びしておきたいのです。(『愉楽』448ページ)
と記している。とはいえ,最初の100ページを頑張りさえすれば,あとはとても面白い物語世界――「魔術的リアリズム」とか「神実主義」とか言われている――が広がっているということは読者諸氏に伝えておきたい。
ついでながら,読む前は大江健三郎『同時代ゲーム』のようなもの(ちなみに読み通せなかった)を想像していたのだが,村民のドタバタぶり,猥雑さ,注釈的文章の多さ,を見ると,井上ひさし『吉里吉里人』が頭に浮かんだりした。
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