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2015.01.29

天野先生がやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!

2014年のノーベル物理学賞受賞者の天野浩先生が宇部にやってくるというので,講演を見に行った。

Profamano0

場所は山口大学常盤キャンパス。天野先生のご講演は山口大学創基200周年記念行事という位置づけである。講演は午後2時45分から午後4時半までの105分で,2時には会場の前に長蛇の列ができていた。

講演内容はおよそ3つに分かれていて,

  • 11月の受賞決定の発表から今日に至るまでの忙しい日々の話
  • 今回受賞に至った研究の内容
  • 今後の研究の展開と省エネルギーへの貢献

といったことが話された。最後に,今回,天野先生がノーベル賞を受賞することになった研究成果は天野先生が20代のときのものなので,若い研究者の方々も頑張ってくださいというメッセージで講演が締めくくられた。

面白かったのは,受賞決定後,スウェーデンのテレビの取材で酷い目に遭ったという話。疲れて熱が出て大変だったのにもかかわらず,天野先生の日常を撮影したいというスウェーデンのテレビ局の希望で,無理やりジョギングさせられ,撮影されたということである。

天野先生が青色LEDの研究を始めることになるのは,学生の頃に,ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズといったスーパースターが登場してパーソナル・コンピュータの世界が興隆しはじめたので,なにかこの分野に貢献したいと思ったことがきっかけだそうである。しかし,当時名古屋大学にはコンピュータの素子に関する研究領域がなかったので,コンピュータ・ディスプレーの分野で役に立ちそうな青色LEDの研究に加わることにしたという。

あと,赤崎先生と天野先生の研究成果は特許化されたものの,それを迂回する形で中村修二氏の発明が行われ特許化されたという話も出た。知財戦術上,面白い話題である。だが,ちょっとマニアックで一般受けしない話かもしれない。

講演後に会場の一般の聴衆から「天野先生の研究成果には偶然に助けられた要素があるのでは」というコメントが寄せられた。これに対して,天野先生が「ノーベル賞の対象となった研究成果には偶然の要素もあるが,いろいろと最大限,頭を使いながら莫大な量の試行錯誤を重ねた結果えられた成果であることを理解してほしい」という回答があったことも記しておきたい。天野先生が見せた学者としての矜持である。


講演後,同僚T博士と出待ちしていたら天野先生の御近影を移すことができたので,ご紹介したい:

Profamano_3

上の写真はT博士ご提供のもの。
小生は天野先生が送迎の車に乗り込むところを撮ったがイマイチ:

Profamano2


ちなみに,なぜ,天野先生が山口大学に来たかというと,山口大学が白色LEDの研究拠点で,天野先生のGaN(窒化ガリウム,ガリウムナイトライド)の研究の一翼を担っているからである。

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2015.01.27

井筒俊彦生誕101年目に,初期著作『マホメット』を読む

井筒俊彦といえば,イスラーム学の泰斗であり,日本人がイスラームについて学ぼうとすれば,どこかでこの人の名を目にすることになろう。

井筒俊彦は第1次大戦の始まった年,1914年5月4日の生まれであり,今年は生誕101年目にあたる。

ちなみに,折口信夫の生涯に詳しい人であれば,折口の弟子であった加藤守雄や池田彌三郎と井筒俊彦が慶應義塾大学経済学部予科の同級生であったことも知っているかも知れない。加藤守雄や池田彌三郎が文学部国文科に転じて折口に師事したのとは違って,井筒俊彦は文学部英文科に転じ,西脇順三郎に師事することとなったものの,折口からも影響を受け続けたようである。

話が脇に逸れたので,元に戻す。

最近,日本も含め,世界各地でイスラム(イスラーム)過激派の問題が持ち上がっている。今ほど,イスラームについての知識が要求されている時代は無く,今ほど,この101年前に生まれた碩学の著作が重要性を帯びている時代は無いと思う。

ということで,昨日から井筒俊彦の初期著作『マホメット』(講談社学術文庫)を読んでいる。

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十数年前に一読した後,小生の本棚で休眠していた本である。わずか100ページ余りの小冊子であるが,今,再読してみると,なぜイスラームが砂漠の民に必要とされたのか,なぜ世界宗教となったのか,なぜ兄弟宗教とでもいうべきユダヤ教やキリスト教と決別したのか,ということがよくわかるようになる。

この本の特徴はイスラーム成立前の時代,「無道時代(ジャーヒリーヤ)」の砂漠の民の精神構造を多くの詩の引用によって明らかにしているところにある。「無道時代(ジャーヒリーヤ)」の記述に本書の半分が費やされ,なかなかマホメット(ムハンマド)が登場しない。だが,そうやってイスラーム成立の前史を詳述することによって,イスラーム誕生の文化的土壌,イスラームの必要性,特色が明確になっている。

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2015.01.26

イスラム過激派に関する問題を根本から学び直す

例の人質事件といい、その前の風刺画に端を発するパリの新聞社襲撃事件といい、日本に住む私たちもイスラム教について無知のままでいてはいけない状況になっている。

イスラム教自体やムスリムの生活習慣について知ることも重要だが、今、緊急度が高いのは、なぜイスラム過激派と呼ばれる人々が存在するのか、という理由について知ることだと思う。

イスラム過激派の問題は、19世紀に西欧の科学技術、思想、資本主義が世界を席巻し、イスラム世界が危機に直面したことに端を発している。

東アジアや東南アジアも西欧文明の脅威に直面したわけだが、基本的には西欧文明をかなりの程度受容することによって対応した。明治維新なんかその代表例である。

これに対し、宗教が信仰の領域にとどまらず、生活、道徳、法、政治と人間活動に関わるあらゆる領域に浸透しているイスラム世界では、西欧文明を簡単に受け入れることはできなかった。

例えば、イスラム世界にはシャリーアと呼ばれる法体系が確立されているが、全く異質な西欧由来の法体系と併存させるのは容易なことではない。だが、残りの世界では西欧の法体系が受容されており、イスラム世界が他の世界と付き合いを続ける限りは、西欧の法体系との付き合い方を模索せざるを得ない。

イスラム世界の西欧文明への対応は様々であった。ある者は、西欧社会をモデルとしてイスラム社会の改革を図った。トルコのようにアタテュルクの強力なリーダーシップの下、政教分離を実現した国もある。別の者は、原点回帰路線を採り、シャリーアへの依拠を強めた。原理主義の勃興である。

現代のイスラム過激派の問題は、イスラム世界の西欧文明に対する様々なリアクションの一つである。その根本原因を探ろうと思えば、まず原点である、19世紀のイスラム世界の危機から学ばなくてはならない。

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2015.01.21

本日もプノンペンで東横イン絶賛建設中

昨年9月にもお伝えした(参考)が,プノンペンでは東横インが建設中である。イオンモールから300メートル程度離れたところにある。

そろそろ出来たかな?と思ったが,まだ建設途中だった。外観はかなり出来上がっている。

Toyoko20150120

情報通によれば,資材の調達に結構時間がかかっているとか。なにしろ23階建ての超高層ビルですから。

以前の記事では

「東横インと言えば,青いネオンサインで有名だが,このプノンペンでは看板を光らせると税金がかかるということで,巨大な文字を表示するだけ,となっている。」

とお伝えしたものの,現在,夜になれば日本と同じように青いネオンサインが光り輝いており,税金を払うことにしたのかどうかわからないが,問題は解決した様である。

前にも書いたが,日本における東横インのビジネスモデルは,土地とビルを借りてホテルを営業するというやり方である。つまり日本各地の東横インの敷地と建物には別のオーナーが居るわけである。

ここプノンペンでもビジネスもでは全く同じで,カンボジア10大タイクーン(大君)の一人,Canadia Integrated Enterpriseグループ会長のPung Kheav Se(プン・キュー・サイ)氏の土地を借りてこのビルを建てている。このビルもまたプン会長のものとなるわけである。

2015年オープンということだから,あと数か月したらオープンするのだろうと思う。オープンしたらためしに一度泊まってみたいものだ。

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2015.01.20

プノンペンのソーカホテルを見物してきた

プノンペンにソーカホテル("Sokha Phnom Penh Hotel and Residence")が出来ているというので,見物に行った。

王宮から見て東北東の方向,トンレサップ川を挟んだ反対側にそれはでかでかとそびえていた。

Sokha01

Sokha02

Sokha03

送迎用のリムジンが馬鹿でかい。こんなのプノンペン市内を走れない。まあ,そういう安っぽい使い方はしないと思うが。

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内装もご立派でなにしろ壮大な感じがする。

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迦陵頻伽かアプサラかよくわからない天女らしきものがお客様を迎えてくれる。

昼飯のビュッフェが25ドル(※)もするので,パンとコーヒーだけ食べて帰った次第。

※ 25ドルあれば,TopazやLa Residenceのような高級フレンチ料理店でお昼のセットを食べておつりが出る。


ソーカホテルは,カンボジア10大タイクーン(大君)の一人,"Mr. SOKIMEX"こと,Sok Kong(ソッコン)氏の持ち物である。

SOKIMEXはカンボジア最大の石油販売企業である。また,SOKIMEXグループはアンコールワットの入場券販売業務を握っており,莫大な収入を上げている。

Sok Kong氏はあまりに偉い人なので,Oknha(オクニャ)の称号を授かっており,Mr. Oknha Sok Kongとお呼びしなくてはならない。

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2015.01.19

イオンモールのビアードパパ

相変わらずプノンペンにおります。

イオンモールが近くにあるので,毎日のように通っております。

ラッキーマーケットとかバイヨンマーケットなどの地元系(といっても華僑だと思う)スーパーマーケットに比べるとやや高めの値段設定だが,日本の食材が豊富なので,日本人滞在者にとってはうれしい限りである。

イオンモールの一階には,さくさくのシュークリームでおなじみの「ビアードパパ」が出店している。

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今回は「パイシュー」と「クッキーシュー」を買ってみた。それぞれ,1.6ドルと1.7ドルである。

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お味は?というと,大丈夫。日本と同じクオリティでした。

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2015.01.18

閻連科(イェン・レンコー)の『愉楽』

プノンペンにおります。熱帯とはいえ冬なので,日陰に居れば涼しく過ごせます。

さて,今日は休みなので読書。カンボジアに全く関係の無い中国小説を読んでいる。近頃話題になった閻連科(Yan Lienke,イェン・レンコー)の『愉楽』

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予備知識なしに読もうとすると結構面喰う。

まず,物語の構造がすぐには見えてこないからだ。

つぎに,章立ての数字にも驚くかもしれない。いわゆる「第一部,第二部,第三部,…」は「第一巻,第三巻,第五巻,…」,「第一章,第二章,第三章,…」は「第一章,第三章,第五章,…」と奇数のみ用いて表されている。奇数ばかり使うのは縁起を担ぐ古い風習を踏まえてのことらしい。文中の年号も「庚申」とか「戊午」とか十干・十二支を使うし,わざと古い慣習を用いて,物語に神秘性を持たせている。

そして,方言による記述が頻出するのにも驚くかもしれない。「じゃけぇ」とか「そがいに」とか広島弁らしき方言。訳者の谷川毅先生の出身は中国(山陰山陽)地方なのだろうか? 小生は中国地方に住んでいるので,特に読みにくいということは無い。

話題が逸れるが昔は小説における方言と言えば「んだんだ」とか「だべ」とか東日本風だった。だが,早口で大声の中国の田舎の方言を日本語の翻訳で表そうと思えば,チャキチャキした山陰山陽方言の方が相応しいのかもしれない。

閑話休題。面喰うことが多いものの,初めの100ページぐらい(第一巻と第三巻)を読むと何が起きているのかがわかるようになる。備忘録として初めの100ページ分の要約を書いてみるとこんな感じである:


◆   ◆   ◆


【『愉楽』第一巻・第三巻のあらすじ】

時代は戊寅(1998年)。舞台は身体障害者が集まって暮らしている,河南省西部,双槐県柏樹郷(そうかいけん・はくじゅごう)受活(じゅかつ)村。

受活村が真夏なのに大雪に見舞われる(大暑雪)という事件によって物語の幕が上がる。

受活村の全てのことは,元紅軍女兵士の茅枝婆(マオジー・バア)によって取り仕切られている。

茅枝婆(マオジー・バア)には菊梅(ジュイメイ)という娘がいる。菊梅は夫との間に侏儒妹(シュジュメイ)と呼ばれる,とても背の低い娘たちをもうけたが,夫はどこかに失踪。

じつは,その夫は今では双槐県の県長となっている。名を柳鷹雀(リゥ・インチュエ)という。もともとは捨て子だったが,数のアイディアによってよって頭角を現し,今や双槐県81万人の頂点に君臨している。

柳県長は双槐県を窮乏から救うべく,同県の観光地化を企んでいる。その目玉が「レーニン紀念堂」の建設である。ロシアで不要物扱いされていたレーニンの遺体を購入し,双槐県の魂魄山に安置して展示しようというのである。

レーニンの遺体購入には莫大な資金が必要だが,それを集めるために柳県長が考案したのが,受活村の身体障害者の持つ絶技を披露してお金を集めるという「絶技団」の編成である…。


◆   ◆   ◆


これから(第五巻から)が面白い展開になってくるのだが,ネタバレになるので本記事ではここで止めておく。

なお,「受活」はこの本のキーワードで,「楽しむ,享受する,愉快だ,痛快でたまらない」などの意味でつかわれている。

愉楽』のとっつき難さについては著者も認識しているようで,「日本の読者の皆様への手紙」でも

外国の読者にとって『愉楽』がどれほど読みづらい本かということもわかっています。 <中略> まず,最初にここで,日本の読者の皆さんに,この作品が普段読み慣れているものとは違うかも知れない,皆さんに喜んでもらえるものではないかも知れないということを,お詫びしておきたいのです。(『愉楽』448ページ)

と記している。とはいえ,最初の100ページを頑張りさえすれば,あとはとても面白い物語世界――「魔術的リアリズム」とか「神実主義」とか言われている――が広がっているということは読者諸氏に伝えておきたい。

ついでながら,読む前は大江健三郎『同時代ゲーム』のようなもの(ちなみに読み通せなかった)を想像していたのだが,村民のドタバタぶり,猥雑さ,注釈的文章の多さ,を見ると,井上ひさし『吉里吉里人』が頭に浮かんだりした。

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2015.01.17

衛星画像がとらえたボコ・ハラムの蛮行

今月上旬,ナイジェリア北東部・ボルノ州でイスラム過激派組織「ボコ・ハラム」が町を襲撃し,建物の破壊,住民の虐殺を行ったという報道があった。

一昨日,アムネスティ・インターナショナルがその蛮行の結果を示す衛星画像を公開した:

"Nigeria: Satellite images show horrific scale of Boko Haram attack on Baga"

同記事の下部に掲載された,ボコ・ハラムによる襲撃前(1月2日)と襲撃後(1月7日)の画像を比べると住宅が焼き払われ,木々(赤色で表示)も枝ばかりになっているのがわかる。

アムネスティ・インターナショナルによれば,Bagaという町では620軒,その近くのDoron Bagaという町では3100軒以上もの建物が焼き払われたという。

昨今のフランスでのテロ事件と合わせて,イスラム過激派に対する非難の声が高まるだろうことは容易に予想される。


ついでに。

テロリストに対する非難は当然のことだが,フランス某紙の風刺画についてはいかがなものかと思う。

批判や風刺はテロリストに対して向けられるべきで,預言者に対しては行われるべきではない。言論の自由のみ前面に出して,他者への思いやりや敬意を欠いているのでは,万人の万人に対する争いが広がるのみだ。

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2015.01.16

プノンペンで食事

今日もプノンペンにおります。

プノンペンにいて,毎日問題になるのが,どこで食事をしようかと言う話。食事ぐらいしか楽しみが無いし,変なところで食べてお腹壊すのもなんだし。

とりあえず,ここ数日,昼食と夕食をどこで食べたのかを記しておく(朝食はホテルで済ませているので省略):

  • 2015年1月12日昼: 松葉莉謝(シャンゼリゼ)/中
  • 2015年1月12日夕: 比摩人(ひまじん)/日
  • 2015年1月13日昼: シヴァ・シャクティ/印
  • 2015年1月13日夕: サンバ/伯
  • 2015年1月14日昼: 翁さんラーメン/日
  • 2015年1月14日夕: オリガミ/日
  • 2015年1月15日昼: Luna/伊
  • 2015年1月15日夕: Topaz/仏

フランス料理の名門,Topazと本格ブラジル料理のサンバを除けば,飲み物付きでだいたい10~20ドルというところ。翁さんラーメンはとんこつラーメンで5.5ドルだった。

サンバではシュラスコを堪能できるものの,ついつい食べ過ぎて翌日がつらい。

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↑サンバの外観

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↑中の様子

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↑牛肉を焼いております

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↑肉が大きすぎる

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↑パイナップルも串焼き。焼きバナナもそうだが,焼いたフルーツは旨い

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2015.01.15

ピケティ『21世紀の資本』…じゃなくてその入門書を読む

今日もカンボジアにおります。今は冬だということであり,涼しい(といっても最高気温は33℃)のでエアコンいらず。

一緒に働いている人が,今話題のピケティ『21世紀の資本』とその入門書とその反駁書を持ってきているので,とりあえず入門書を読んでみた。ノビーこと池田信夫先生の著書である。

日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント日本人のためのピケティ入門: 60分でわかる『21世紀の資本』のポイント
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「60分でわかる」と書いてあるが,実際,トータル60分弱で読み終えた。

資本収益率(株・債券・不動産への投資によって得られる利益の成長率)rと国民所得の成長率(≒労働によって得られる労働者の賃金の上昇率)gとの関係を表す

r > g

という不等式が,ピケティ『21世紀の資本』の重要部分だが,この不等式は理論的に導かれたものではなく,膨大なデータから導かれた経験則だという話。

この式が導くところは「資本主義では所得分配の格差が拡大する傾向があり,今後もそれは続く」ということである。

しかし,反駁本の著者,苫米地先生によれば,「資本を使って投資した方が労働によって賃金を得るよりも大きい」などというのは,日本人にとっては当たり前のことで,今更驚いてどうする,と言うことだ。「労働によって賃金を得るほうが効率的ならば,投資なんか誰もしない」という苫米地先生の主張は非常に的を射ていると思う。

『21世紀の資本論』の問題点『21世紀の資本論』の問題点
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とはいえ,米国ではこの不等式で表される「資本主義の根本的矛盾」が衝撃をもって迎えられたという。フランスよりも米国での売り上げの方が伸びているというのが特徴的だ。

異論反論いろいろあるわけだが,小生がノビー先生の解説本からもっとも感銘を受けたことは,ピケティがパリ経済学院のスタッフを使って10年以上の時間をかけて,20か国200年間の税務統計資料を収集・推計・分析し続けたということ。競争的資金導入により短期決戦型になってきた日本のアカデミズムの世界ではこういう研究は無理だろうと思った。

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2015.01.14

村井吉敬『インドネシア・スンダ世界に暮らす』を読む

カンボジアに居るのにもかかわらず,インドネシアに関する本を読んだ。

インドネシア経済・現代史の専門家で,2013年3月に亡くなった村井吉敬(むらい・よしのり)のデビュー作である。

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1975年2月,村井吉敬とその妻・内海愛子はインドネシアのバンドンでの生活を始めた。2年間のバンドン留学の始まりである。村井吉敬はパジャジャラン大学に籍を置きつつも教室外に飛び出し,インドネシア,主としてスンダの人びととの交流を深めた。そんな生活の中で見聞きし,考えたことを綴ったのが本書の大半を占める『スンダ生活誌――変動のインドネシア社会』である。

『スンダ生活誌』は1978年にNHKブックスとして刊行され,今回,本書『インドネシア・スンダ世界に暮らす』に採録された。

本書の最後には20ページほどの『パシコムおじさんの見たスハルト独裁』という文章が掲載されている。新聞「コンパス」紙のヒトコマ漫画を通して描かれた,スハルト登場からユドヨノ大統領就任までのインドネシア現代史である。

小生は毎年のようにバンドンに出張しているので,バンドンを中心としたスンダ人の世界について書かれた,この本を読むのは楽しかった。日本・東南アジア関係史の権威である後藤乾一による解説を含めて320頁を超える文庫本だが,すんなりと読めた。

著者が暮らした1975年頃と現在とではバンドンの社会・経済状況は大きく異なるが,それでも変わらない部分というのはある。

行商人の多さ,スンダ美人,「ゴムの時間」と称する時間にルースな感覚。これらは今も変わらない。

Sundabeauty
↑現代のスンダ美人

変わったものもある。「ベチャ」「コルト」「ホンダ」と呼ばれる交通機関は今ではタクシーや「アンコット」と呼ばれるものに変わった。

「ベチャ」というのは三輪の人力車であり,「コルト」とか「ホンダ」というのは小型の乗合自動車のことである。今では「ベチャ」は無い。「コルト」とか「ホンダ」というのが現在の「アンコット」に対応すると思う。

Angkot
↑バンドン市民の足,アンコット。緑色に塗られていることが特徴


1970年代のスンダの民衆は貧しいが,したたかでもある。日本人だからと言うことで著者から町内会の会費を多めに徴収する隣組組長がいたり,著者の家で自分の分の弁当をちゃっかりと作って自宅に持ち帰る家事手伝いの少女がいたり。

そういう民衆のしたたかさについて著者はこう述べている:

「長いものに巻かれながらも,多少なりとも自分たちの利益になりそうな可能性を選び取ってゆくのが民衆であろう」(村井吉敬『インドネシア・スンダ世界に暮らす』105頁)

著者が暮らした時代からすでに数十年が経過し,民主化や経済発展があり,インドネシア全体が豊かになってきた。とはいえ,依然として経済格差は大きい。バンドンに行くたびに,貧しい人々は今もなお,貧しいながらも,したたかに生き抜いているのを感じる。つり銭ごまかされるし,タクシーでボられるし(^-^;

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2015.01.13

ロシア語の思い出:finalvent氏のロシア語学習によせて

最近,finalvent氏がロシア語学習を開始したという。

[書評] 羊皮紙に眠る文字たち(黒田龍之介)」(極東ブログ,2015年1月9日)

フランス語,中国語,ドイツ語と次々に精力的に語学を修めておられるので脱帽せざるを得ない。

ロシア語と言えば,小生も20数年前に大学で第二外国語として選択したわけである。大学院の入試でもロシア語の試験を受けた。

finalvent氏のロシア語学習のはなしをきっかけとして,小生もロシア語学習の思い出を2,3披露したい。


◆   ◆   ◆


1. be動詞を使わないので驚いた

ロシア語学習の最初の段階で,"This is a pen"的なことを習うのだが,冠詞もbe動詞もない,やけに簡単な構造の文章だったので驚いた。

ロシア語で"This"は"Это"(エータ),"pen"は"ручки"(るーチキ)である(巻き舌r音をひらがなで表しておく)。

"This is a pen"はロシア語ではこうなる:

Это ручки.

そのまま読むと「これ,ペン」ということになる。


◆   ◆   ◆


2. でもbe動詞を全然使わないわけではない

ロシア語にbe動詞が全然存在しないわけではなく,"есть"というものがちゃんとある。これは"I have ..."というような文を話す時に用いられる。

"I have a pen"はロシア語ではこうなる:

У меня есть ручка.

直訳すると「私のところにペンがあります」ということになる。"У меня"は「私のところに」,"есть"はbe動詞で「ある」の意味。


◆   ◆   ◆


3. キリル文字の"в"は"b"ではなく"v"だ

小生にとってはキリル文字はかっこよく見えた。筆記体もかっこいい。今でも書ける。

ロシア語のアルファベットは,"а, б, в, ..."(アー,ベー,ヴェー)で始まるが,"б"が"b"で,"в"は"v"である。

キリル文字の"в"はギリシャ文字の"β"に由来する。

一昨年,本ブログで「ベータ(β)はいつヴィータとなりたまいしか?」(2013年3月13日)という記事を書いたが,古代ギリシャでは"β"は"b"だった。その伝統を受け継ぐのがラテン文字である。

ところが,古代ギリシャでも紀元300年頃から"β"は"b"から"v"に変化したらしい。その伝統を受け継ぐのがキリル文字である。現代ギリシャ語でも"β"は"v"になっている。

整理すると

"β"="b"系: 英語などラテン文字を使う言語,古代ギリシャ語
"β"="v"系: ロシア語などキリル文字を使う言語,現代ギリシャ語

という状況である。


◆   ◆   ◆


4. "h"の発音はキリル文字の"х"ではなく,"г"で表す

ローマ字の"h"をキリル文字で翻字するときは"x"(ハー,khの発音)ではなく,"г"(ゲー,gの発音)を用いる。

ということは"Yokohama"(横浜)は"ёкогама"(ヨコガマ)になるわけである。変な感じ。

ほかにもロシア語学習についてあれこれ思い出があるが,とりあえずこの辺で締めておく。

そうそう最後に。小生がロシア語について興味を持ったのは高校生の頃なのだが,そのころ読んでいたのがこの本:

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シベリアに抑留された日本軍兵士によるロシア語の思い出が紹介されているなど,今読むと古色蒼然たる内容だったが,当時はとても面白く読んだ。

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2015.01.12

エアアジア機利用は慎重に

年末にスラバヤ~シンガポール間に就航していたエアアジア機が行方不明になり,その後,墜落が確認された事件は記憶に新しいと思う:

エアアジア機行方不明の件」(2014年12月28日)

ニュースサイト「グローバルニュースアジア」によると,1月3日,スラバヤ発バンドン行きエアアジア便で,エンジントラブルが発生したという:

離陸直前にエンジンが突然停止し乗客パニック・エアアジア機=スラバヤ空港」(2015年1月5日,グローバルニュースアジア)

小生,シンガポールからインドネシア各地への移動やインドネシア国内の移動を頻繁に行っているが,エアアジア機の利用は慎重に検討した方がいいかもしれないと思った。

「地球の歩き方」などを読むと,「LCCだからと言って危険ではない」と主張されている:

LCCの安全性は大丈夫?」(「地球の歩き方」,2015年1月11日閲覧)

ごもっともな話ではございますが,「アジアのLCCの代表格であるエアアジア(マレーシア)も、創業以来,大きな事故は起こしていない」というのはもはや過去の話。この記事はそろそろ書き直した方がいいと思う。

同記事では「危険なLCCは淘汰される」と書いてあるが,危険なLCCが消えても,新たなLCCが登場して事故を起こして…という繰り返しになるだけではないかと思う。

伝統的な航空会社にはそれなりに安全に関するノウハウが蓄積されている,と思っているのですがどうでしょう?

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またプノンペンに来ております:日本・カンボジア友好条約60周年

今年初の海外出張はカンボジア・プノンペン出張です。

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こちら(プノンペン)の最高気温は33℃。山口市では7℃だということだから,温度差26℃。日本からの出張だとヒートショックを受けるわけです。

ちなみに今年はカンボジアと日本の友好条約60周年だという話:

「日本・カンボジア友好条約(日本国とカンボディアとの間の友好条約)」(在カンボジア日本国大使館)

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2015.01.08

「江戸しぐさ」は都市伝説の類との話(続報)

倫理/道徳は大事だし,人を思いやる所作は学び取らなくてはいけない。

だが,倫理教育の内容が良くても,その根拠や語り口が怪しかったりすると,その倫理教育全体が一挙に色あせて見えるものである。

何の話かというと,本ブログでも10月に取り上げた「江戸しぐさ」のことである(参考)。

「江戸しぐさ」が偽史であるという疑惑について,歴史研究家の原田実氏がBLOGOS編集部のインタビューを受けて詳しく簡潔に語っている:

「“偽物の歴史”を教育に用いるのは,倫理の根幹を破壊する行為~「江戸しぐさの正体」著者・原田実氏インタビュー」(BLOGOS編集部,2014年10月15日)

原田実氏の著書は昨年8月に上梓されたが,ここに来て,「江戸しぐさ」がネット上で一挙にトンデモ扱いされるようになった。

小生が「江戸しぐさ」について知ったのは,数年前,東京の地下鉄の広告によって,である。それ以前はそういう言葉は耳にしたことがない。小生は漫画家で考証家の杉浦日向子の作品やエッセーが好きで大学生の頃(大昔)から読んでいるのだが,その中で「江戸しぐさ」なる言葉を目にしたことはない。

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今回の「江戸しぐさ」騒動で気を付けないといけないのは,「『江戸しぐさ』と称される,人を思いやる所作を受け入れるか受け入れないかという倫理道徳上の問題」と,「『江戸しぐさ』の歴史的根拠があるのかないのかという真偽の問題」とを混同しないことである。

小生は『銀河英雄伝説』のヤン・ウェンリーの言動に畏敬の念を禁じ得ないのだが,ヤン・ウェンリーを実在の人物扱いするような錯乱はしてない。

今,問題になっているのは後者,「『江戸しぐさ』の歴史的根拠があるのかないのかという真偽の問題」である。「明治維新で江戸っ子が虐殺されたため,『江戸しぐさ』は滅亡の危機に瀕した」というような話を聞くと,それだけで「偽史」だと思わざるを得ない。

幕末に日本を訪れ,日本人の日常生活について記した外国人は多い。かの名著『逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)』(渡辺京二)は外国人の証言を積み重ねることによって,江戸の日本人の生活を描き出すことに成功した。

「江戸しぐさ」が江戸で本当に行われていた所作であるのならば,幕末に来日した外国人たちの証言にありそうなものだが。

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2015.01.07

世界初の浮体式潮流・風力ハイブリッド発電 (skwid),悪天候で沈没

世界初の「浮体式潮流・風力ハイブリッド発電」として話題を呼んでいた三井海洋開発株式会社の"skwid"だが,唐津沖で沈没したとのこと:

洋上発電装置,海底に沈む…実証実験中あえなく」(読売新聞,2015年1月7日)

上半分がダリウス型風車で,下半分がサボニウス型水車というダブル発電システムで,面白い装置だと思ったのだが,12月18日朝に行方不明になったということである。その後,沈没が確認された。12月17日には同地域が暴風雪に見舞われていた。

この装置は一昨年の第一次設置時にも災難に見舞われた。本ブログで過去に取り上げたことがある:

世界初の浮体式潮流・風力ハイブリッド発電 (skwid),水車紛失により落成式延期」(2013年10月14日)

同記事にも書いたが,日本で再生可能エネルギーを普及させようとする場合に直面するのが,日本の気候の厳しさ。

とくに風力発電・波力発電に関しては台風や雷や雪などが問題である。ヨーロッパで風力発電が盛んな理由としては,台風が来ないことが挙げられる。しかし,日本の場合は風車,水車はつねに過酷な気象条件にさらされる。

2013年に発生した曳航中の"skwid"が水車を紛失した事件について,過去記事で

「今回の事件は設置前の回航中に発生したものだが,設置できたとしても同じようなリスクがあるだろう。

と述べたが,あたかも予言したかのような結果となった。

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古色蒼然『岩波講座 日本歴史』

実家からいつまでも放置するなということで,大昔の『岩波講座 日本歴史』を送ってきた。

小生の祖父が全巻そろえたものの,小生がご幼少のみぎりにお亡くなりになり,残して逝ったものである。

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小学生のころから高校生のころまで時折読んではいたが,実家を離れて以来,放置してきたわけである。実家では邪魔者扱い。今回,二十数年ぶりに小生の手元に戻った次第である。

ざっと眺めてみたが,1962年~1964年に発刊されただけあって,書籍の外見だけでなく,執筆陣が古色蒼然。古代編だと石母田正とか,上田正昭とか,直木孝次郎とか。中世編だと,奈良本辰也とか林屋辰三郎とか。故人も存命の方も,今や重鎮も重鎮。

執筆陣の多くはいわゆる岩波文化人で,このシリーズのあちこちで執筆している家永三郎なんか,その最たるものである。読み通せば,いわゆる「戦後史観」にどっぷり漬かることができる。

これから時々,最近の歴史学の動向と比較して紹介してみたいと思う。現在の歴史学の水準からみて生き残れる論考はどれほどあるだろうか?

ちなみに今,岩波から出ている『岩波講座 日本歴史』はこういうやつ(予約出版):

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岩波書店創業100年記念事業だそうです。

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運転手さんのインドネシア語力が半端ない件

勤め先の運転手さんがインドネシア語ペラペラなので驚いた。

送迎の待ち時間を有効活用するために、インドネシア語のCDで勉強していたら覚えたらしい。半年で日常会話をほぼマスター。今ではインドネシア人やマレー人のお客さんと会話を楽しんでいる。大したものである。

初めの3カ月間は鸚鵡返しに繰り返していただけらしいが、耳が慣れてくると文章を考えて話せるようになったらしい。そのあとは日本語で文章を考えなくてもインドネシア語が直接口から出るようになったという。

あと、インドネシア人やマレーシア人の留学生を見つけては会話を試みていたようである。

今はハングルに挑戦し始めているという。60近いのに凄いバイタリティー。

諦めずにずっと続ける。それが語学上達の秘訣のようである。あたりまえか。

運転手さんが使っていた入門書はこれだった:

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小生もそろそろインドネシア語を覚えよう。

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2015.01.06

初詣は久能山東照宮

正月に静岡(清水)の実家に帰っていたわけである。

実家の慣例で,初詣は久能山東照宮と決まっている。

何回数えても数が合わないのだが,1159段(いちいちごくろう)の石段を登って,東照大権現こと家康公の霊に祈願をしに行くのである。

東照宮は切り立った崖の上にあり,駿河湾が見渡せる。遠くに伊豆半島が霞んで見える:

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今年はいつもの年と違っていて,参拝客が列を作らなければならなかった。例年は無秩序に上ったり下りたりの客で混雑しているのだが,事故防止のためかもしれない:

Toushougu01


社殿では4列に並んで参拝。なんか,バイトの人か本職の人か知らないが,参拝の混雑ぶりを写メにとっている東照宮のスタッフがいた:

Toushougu04

記録係だろうか?

東照宮の一番奥まったところには,家康公の霊廟がある:

Toushougu02

小さいころから家康公の伝記を読んで次の遺訓を覚えたものである:

人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事長久の基
怒りを敵と思え
勝つことばかり知りて負くるを知らざれば害その身に至る
己を責めて人を責むるな
及ばざるは過ぎたるに勝れり

いい言葉だと思っていたが,どうやら後世の作であるらしい。

家康公の苦労っぷりを知るためには,二木謙一『徳川家康』がコンパクトにまとまっていて読みやすい。

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司馬遼太郎も家康の生涯を『覇王の家』という小説に描いてはいるが,抑圧的な身分制社会を固めた張本人という偏見に基づく嫌悪感がなんとなく漂っていて,あまり読後感が良くない:

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家康公の霊廟に詣でた後,東照宮の境内を見て回ると,さすが模型のまち,バンダイやタミヤからの奉納プラモデルが並んでいた。ジバニャンもいたし,家康公の鎧兜(大黒頭巾羊歯前立兜二枚胴具足)を纏ったガンダムもいた:

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2015.01.05

【過年好】年末の富士と新年の富士【新年好】

過年好,新年好。

年末年始は全国的に荒れ模様だった。
そんな中,静岡(清水)の実家に帰ったのだが,今年も富士山を拝むことができた。

帰省中の飛行機の上から撮った大晦日の富士山がこれ:

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カメラで撮ると,目で見たよりもはっきりとは見えないのが残念である。

そして年が明けて元旦,清水の自宅から撮ったのがこれ:

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さらに午後,清水の日本平の茶畑から撮影したのがこれ:

Fuji20150101

晴れてはいたが,完全にクリアな空ではなかったので,富士山が背景の空の色に溶け込んであまりよく見えなかった。

新装オープンした日本平ホテルの中から写したのがこれ:

Fuji2015010102

正月の富士山は雲に覆われることが多く,時々顔をのぞかせる程度だった。

それにしても正月の清水はいつも晴れている。

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