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2014.12.10

毅然と死す

昨日,ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(岩波文庫)について記事を書いたが,何よりも感動的だったのは,死に臨むドローゴの姿だった。

死は恐ろしい。迫りくる死に対応する方法はあるだろうか。

およそ8年前の2006年にそういう記事を書いたことがある(「死を覚えよ(1) 良く死ぬことは可能か?」2006年2月21日)。その後もいろいろ考察したものの,納得できるような答えは見つからないままである。

では別の問い。

毅然として死ぬことは可能だろうか?

ブッツァーティ『タタール人の砂漠』の最終章におけるドローゴの臨終の場面を読みながら思い出したのが,中井久夫『時のしずく』(みすず書房)に収められた「安克昌先生を悼む」という素晴らしい弔辞だった。

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精神科医であり,翻訳家であり,エッセイストである中井久夫が,2000年に40歳で亡くなった安克昌という精神科医の葬儀の際に述べた弔辞である。

この文の中では安克昌が毅然として逝った様子が述べられている。

二日間の意識混濁ののち,きみは全身体をつっぱらせて全身の力をあつめた。血圧は170に達したという。そして,何かを語ってから,「行くで,行くで,行くで,行くで」と数十回繰り返して,毅然として,再びは帰らぬブラックホールの中に歩み行った。きみの死は素敵だった。きみが好んだことばのようにワンダフルだった。しかし,きみの人生はもっとワンダフルだった。(中井久夫『時のしずく』285ページ)

安克昌の母親は涙をぬぐいながら「あんな素敵な死は見たことがありません」と述べたそうだ。


毅然として死んでいった人がいたことは確かである。

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コメント

自身の死ですか…
明晰にして苦悩の人フロイトが最後にモルヒネの投与を希望した話を思い出します。
彼は自分に訪れた幸福感を投薬によるものと明晰に意識していたと思うのですが、それでも安堵して死んだのではないかなと。

中井久夫の本は良いですね。内容も良いのですが文章がとても好きです。暖かい日差しを浴びるような気持になる名文と思います。

投稿: 拾伍谷 | 2014.12.10 02:04

もうちょっと考えてみました。

死に向かう際の苦痛、恐怖あるいは解放感のようなものは、生のそれではないでしょうか。痛いと思うのは死ではなく生にまつわる感覚であると。
現在進行形の死とは詰まるところ現在進行形の生であると思います。人間は生まれた時から死につつあるし、死ぬまで生き続けるものであると。
さて、それに対し「死」とは我々のまったく知ることのない未知であり、想像も及ばず形容もできないものです。それゆえに我々は生を死と呼び換えて思考可能なものとしているのではないでしょうか。
死と「死」は異なるものであるというのが私の考えです。

投稿: 拾伍谷 | 2014.12.10 02:15

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